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こんな私は嫌だっ!!

人の事が気になって仕方ありません。 特に友達の幸せな出来事が気になって仕方ありません。 例えば、友達に彼氏が出来たりすると『羨ましい』という気持ちを通りこして『恨めしい』と思うことさえあります。 表面上は『良かったね』等と笑顔でいう事が出来るのですが、内心はぐちゃぐちゃな気分です。 心が狭い人間なんだなと自覚しています。 でも、こんな自分は大嫌いです。 変えたいです。 どうしたら人の事があまり気にならず、ちゃんと人の幸せを心から笑顔で祝福出来る人間になれるのでしょうか?

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  • kyhr1688
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回答No.1

はじめまして。 抽象的な物言いになるかもしれませんが、お許しください。 ・自分がどういう個性を持っているかを理解する。 ・自分と他人は違う個性を持っていることを理解する。 人のことをうらやましく思う人は、他人も自分と同じ価値観を持っていると勘違いしている人が殆どです。 (子供の頃、人が持っているモノが欲しい、親に買って欲しいって思いますよね。それはそれを持っている家庭の家計事業と自分の家の家計事情に違いを理解していない、子供の発想ですよね。それと一緒) みんな自分と同じはずなのに、なぜ自分は人と同じようにならないのか、ということで「うらやましい」と思うわけです。 それが恋愛という状況であれば、その原因を「見た目」のせいにしたりすることで緩和できる場合もあるのでしょうが…… 人のことをうらやましいと思う自分がいやなら、自分らしさを追求する努力をして、自分に自信を持つことが最初にすべきことでしょうね。

noname#105732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 回答者様の言われるとおり他人も自分と同じ価値観を持っていると多少なりとも思っている部分はあります。 自分がどういう個性を持っているのか・・・。 それがわからないので、人の事を羨ましく、恨めしく思ってしまうのでしょうね。 自分に自信を持つってなかなか難しいです。

その他の回答 (5)

  • jimmy35
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回答No.6

No.5です。 方法的には比較的簡単です。但し、意志の強さが必要にはなります。 自分の行動や言ったことを自分の考えでできるだけ客観的に評価するということです。これは言葉も簡単ですし、何も考えなければ行動に移すのも簡単でしょう。しかし、自分の悪い部分も鏡のように映し出された客観性を評価する必要があります。ここで次に進む気持ちがなえてしまいがちだということです。難しさと言えばそれ位ですね。意志の強さが必要だというのはそこにあるということです。 そうして自分に対する情報を得て自分とはこういう人だということを良い悪い含めて姿にしていく作業です。人は精神的には成長をやめませんから、当然100%わかるということはないと思います。そういう意味で先の回答に「終わりのない旅」と書きました。それでも、知ろうとする努力をやめるべきではないと思います。そうすることによってある程度自分がわかってくること、自分がわかれば他人のことについても理解しやすくなること、ここから自然に祝福できる人格ができると思いますね。

noname#105732
質問者

お礼

教えていただきありがとうございます。 自分の事を客観的にみた事がないので、難しそうに感じるのですが、実践してみます。

  • jimmy35
  • ベストアンサー率26% (468/1774)
回答No.5

No.1さんに一票ですね。 まず、自分とはということを考えるべきでしょう。3つ下の質問に同じようなことを書いています。自分という人がわかっていれば、祝福(祝福って実は良い感情が出る他人事なんです)も素直に出せると思いますね。 かなり昔の話ですが、祝福というのは占い師がもっとも得意とする分野でした。しかし占い師も人間です。感情がありますから「羨ましい」とか「恨めしい」とか思うワケです。それを克服するため修験等の修業をし、自分を生まれ変わらせることで自信をつけて他人を祝福できる自分を作っていったという歴史が日本にはあります。だからと言ってあなたに修験修業をしろとは言いません。ただ、内なる自信をつけるために自分を知ることを始めてほしいなとは思います。終わりのない旅路なのですが自分を知る旅を始めてください。人がみなたどる旅路でもありますからね。

noname#105732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 『自分を知る。』これってすごく難しいですよね。 どのようにすれば自分を知ることが出来るのか、それを探すことも難しいですよね。 皆さんはどのようにして自分を知っているのでしょうか?

noname#132831
noname#132831
回答No.4

 よく祝福の言葉として、『やさしい旦那さんで羨ましいわ!』とか、『こんな庭のある家に私も住みたいわ!うらやましい。』とかと言う場合があると思います。『素敵な旦那さんね』とか『素敵な家ですね』と言うよりも、お世辞っぽくなくて自然な感じがすると思います。人に『わたしは羨ましい』と口が裂けても言えない人は、そう発言することで「自分がどう思われるか」を考えるからです。可哀そうな人と思われないだろうか、人をうらやむような狭量な人と思われないだろうかと心配するからです。一方、お世辞の代わりに『わたしは羨ましい』と言える人は、「自分の発言が他者にどう影響を与えるか」を考えている人です。人を羨むことは人間として当然のことであって、ちっとも恥じる感情でないと確信しているのです。  人と人の中で生きる私たちは、他の人から評価され影響を受ける立場であると同時に、他者を評価し影響を与える立場でもあるはずです。どちらの面に目を向けるかによって、心理的には大きな差になってしまいます。幼い頃、私たちは親の目を気にして、親に受け入れられるように気を配りました。そのなごりが今も残っているのかも知れません。yoppy1217さんは、むしろ自分に厳しすぎるように僕には見えます。「友人の幸せを羨ましいと思っている」のも貴方なら、「羨ましいと思う自分を律しようとしている」のも貴方です。どちらに目を向けるかで、“自己承認”出来るかどうかに差が出ます。  他者の評価によって“自己承認”を得ようとする人は、幼い頃の私たちと同じです。「自分はこんなにも駄目な人間だ」とことさらに卑下する人は、その実、同情を誘って他者の承認を得ようとしているだけなのです。他者の評価を必要としないでも自己承認できる人を「自己承認において自立している人」と僕は呼びたいと思います。  逆説に聞こえるかも知れませんが、「完全でない自分を許す」「醜い感情を持つ自分を許す」ことが、他者の評価に依存する態度から解放することにつながるのです。「他者の評価を気にする自分」も許すことです。さらには、「完全でない自分を認めてくれなかった親」も許していきましょう。    http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/01/3.html 自分の値打ちは自分で決めよう

参考URL:
http://www.counselingservice.jp/lecture/lec283-1.html
noname#105732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 学生時代は幸せそうな人のあらさがしをして、友達通同士で悪口を言ってすっきりするなんて最低な事をしていました。 社会人になりそんな事をしている自分が嫌になり、幸せそうにしている人に対したとえ心の中はぐちゃぐちゃでも笑顔で『おめでとう』や『よかったね』と言うように心がけました。 でも、ここ最近になっていろんな部分でひずみが出てきているのかドロドロした感情が渦巻いてしまうようになりました。 たまに幸せそうにしている人に対し『こういう部分が羨ましい』と口に出して言ってしまう自分がいます。 「完全でない自分を許す」「醜い感情を持つ自分を許す」 この言葉がとても心に響きました。 ありがとうございます。

  • kanburu
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回答No.3

>ちゃんと人の幸せを心から笑顔で祝福出来る人間になれるのでしょうか? 聖人君子でもないのでフツーの一市民にはできるはずがありません。 一市民ならば妬みがあって当然です。

noname#105732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうかなぁ??? 心から祝福している人はいるんじゃないかなぁと私は思うのですが・・・。

回答No.2

yoppy1217さんのお友達は恨めしいとまで思うような男性を彼氏に持っているのですか? だとしたらすごいですよねどんな環境にいるのですかw でもいいと思いますね お友達の相手以上の彼を作ろうというエネルギーになるのでそれでいいんじゃないでしょうか

noname#105732
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 例えば、今私に彼氏がいなかったとしましょう。 そうなれば例えどんな彼氏であろうと『彼氏』という存在自体を羨ましく思ってしまうのです。