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大学でためになったこと(遊び以外)
大学を卒業した人に大学はどうだったかを聞くと「楽しかった」という人は多いですが、大学で勉強したことを将来に生かせるか、何が身についたかと聞くと歯切れの悪い答えばかりです。 遊びに行った人と就職に有利になるから行った人が大勢いるのはわかりますが、そういう人ではなく大学の授業・勉強がとてもためになったという人の話が聞きたいです。どんなところがためになりましたか? また、中年になってから大学に入学する人がいますが、そういう方で卒業までがんばった方はどういう風に大学を選んだか、何か役に立ったのかを教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
大学は、就職予備校ではありません。学問で身を立てている人、資格で身を立てている人以外、例えばビジネスマンなどに「大学で学んだことが役に立った」という人がいたとしたら、その人の学ぶ姿勢の柔軟性が高いか、研究を重視していない、ビジネススクール化しているまともでない大学の卒業者ということになると思います。 実際に研究者、技術者になる人は、大学に進学した人のごく一部で、多くは途中で断念したか、大学本来の役割ではない理由で進学した人でしょうから、「歯切れが悪い」のは当然だと思いますよ。 学ぶ姿勢の柔軟性の高い人 とは、素養・教養についての理解をきちんと身に付けることができた人、という意味ですが、なかなかそういう人には出会えないのが実情かと。
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- Ae610
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現在は、しがないぺーぺーサラリーマンではありますが・・・、 ・「自身で考えるという姿勢」を(少なからず)身につけられた事。 ・「疑問に思った事を調べるという姿勢」を(少なからず)身につけられた事。 が特に大きいと感じている。 授業科目では、一般教養の「物理学」や「化学」を履修した事で、それまでの[高校の時に(先公どもに)植え付けられてしまった]理科に対する悪感情を払拭出来たことが非常に嬉しかった。このおかげで、教養としての理科(比重としては物理が大きいが・・・)の学習を現在も続ける事が出来ている。会社の仕事にも一部関係している。 (本当に良いタイミングで、学習のトリガーを掛けてくれた!)
- x9e
- ベストアンサー率10% (11/104)
大学 に いきたいという意思 と 大学に いけない という かてい 事情 を あわせもった ひとは (( あるいは かていすら なかった ひと )) ニホン の 社会 、、 いま も むかし も 想像を ぜっする ヒサンな境遇 に 洗礼 を うけている 人は いますよ、。。。 だいがく に いった から メリット。ゆうり。 ではなく いけた ということが そもそも、 恵まれた 境遇 なのです。。 ■End Of text File■
- yoshikaz_k
- ベストアンサー率15% (71/456)
大きな出版社なんかでも本を出してるような先生の講義を受けられたこととかかな。 ためになると言っても、実利的にはなってないかも知れませんが、物事をなんでもそういう測り方する必要もないのではないかと思うので…
- crivelli45
- ベストアンサー率44% (251/563)
・師と呼べる人に出逢ったこと。 →卒業後10年以上経ちましたが交友アリ ・利害を無視して打ち込める学問分野があったこと。 →今でも私の人格や判断基準の中心にあります ・社会における解決したい課題をみつけたこと。 →僅かずつでも貢献できる職に就きました ・理解力(インプット)・思考力(消化)・文章力(アウトプット) が総じて向上したこと。 →人生を左右するくらいに大切なことがらです そして、なによりも、 「新しいことを知るおどろき」、「考えるたのしさ」、「伝えることのむずかしさ」を強く強く実感できたことが、私の人生を新鮮で、退屈のないものにしてくれていると思います。
- hiro_1116
- ベストアンサー率30% (2555/8267)
私は理工系(応用化学)ですが、大学・大学院で学んだ様々なこと(授業で学んだこと、学生実験、研究室生活での経験など)が、その後の人生(仕事だけでなく)で大いに役立っています。 学生のころ、色々な分野の選択科目を取り、卒論以降の研究室生活にドップリ漬かって、視野を広げたことが一番役立っているように思います。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
こんばんは。理系のおっさんです。 ・就職後、仕事をする上で、大学時代に習った色々なことが、 意外なところで役に立ったことが度々あり、驚いた。 (しかも、学生時代の専攻とは違う仕事であるにもかかわらず、です。) ・宇宙がどのような法則によって成り立っているかを垣間見ることができた。 すなわち、この世の真理を知る、ということです。 ・一般教養科目で習った専門外のことが、社会人になってから話のネタにできている。(酒の肴) 逆に言えば、つまり、話のネタにできるほど面白い講義もある。 ・学外の研究施設に出張したり、学会で発表する機会があったりで、 見学的な意味も込みで様々な体験ができた。 以上、ご参考になりましたら。
- ryuken_dec
- ベストアンサー率27% (853/3139)
文系ですが、思考の枠を広げることができました。 大局的に社会を捉えること、自分の理論をいかに客観的に補強していくか等々、その後の仕事だけでなく日常の生活でも役に立つ基礎を学びました。 哲学ですね。 哲学がなければプログラマーやサービスデスクどまりかもしれません。 哲学あってのプロジェクトマネージャです。
- owata-www
- ベストアンサー率33% (645/1954)
#1さんとほとんど同じになってしまいますが、 特に理系の研究は大学でなければほぼ絶望的です(企業はほとんど院卒業が条件)。ですから、研究やそのために必要な知識、論文etcは大学で手に入れるしかありません。その意味で私はためになりました。 とりあえず理系方面に就職している人は(高専の人を除いて)大学で何も身についていないとは言わないと思います。 あとは、やはり最先端の学問に触れることが一番大きいのではないでしょうか。授業内容はほとんど教科書に書いてあるようなものばかりですが、時々その人がする分野の最先端の話が聞けます。このように、科学(人文系も含む)の最先端の話が聞けると言うのは大学以外ではそう考えられません
私は研究者です「研究者」として生きるためには大学へ行くことが「最短コース」です。というかもう「在野の碩学」が存在する事のできる時代ではありません。文系でさえそうです。 理系では、巨額を支払って購入する装置、その維持費、ポスドクの雇用等が無ければ、現在の科学の先端に「付いて行く」事さえ不可能です。 就職先が企業でも大学でも独法研究所(旧国研)でも大学だけではなく院を出て「学位」を持たない人物は初めから相手にされません。 私にとって大学の授業は最小限の一歩であり学問の階段の必須の一段目でした。 もちろん教養科目を目一杯取って、進振りに役立てたりしましたが(必修科目でC判定3つっも取ったし、爆)、それはそれで研究者に必要な「好奇心」を満足させる大きな機会でした。 どんなかけらも私には大きな蓄積の一角でした。