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大学の数が多すぎる
本当に大学の数は今のままでいいですか? 高校の3年間で、3~4科目だけ勉強して、所謂、数多ある、定員の数倍を入学させる有名私学に入って、一流校を卒業した、と言って、胸を張ることができますか? 昔の様に、中学校を卒業したら、本当に勉強のできる人だけが高等学校で勉強し、帝国大学へ入学して、国家の役に立つ人間になることを、自他ともに容認し、実際、国家のために働く超エリートになる。あるいは、専門学校に入って、其々の得意とすることのエリートになり、違う形で、国家に貢献する。あるいは、勉強はできなくとも、それぞれの得意分野に進み、それなりに、国家に貢献する人間になる。そのほうが、人間らしいのではありませんか?勉強は、勉強です、それ以外の何事でもない。勉強のできる人だけが、勉強の最高学府である大学に行くべきです。勉強のできない人が大学に行っても何も良いことはありません。それは税金の無駄使いです。世間を生きていくことは、勉強だけだはありません。何故勉強のできない人が、錯覚して、3~4科目だけ勉強して恰も、勉強ができると誤解して、私立の大学に行くのですか?今の私大の大方を、専門学校にし、国立大も、数校だけにして、本当の勉強ができる人だけを、大学に行かせるようにすべきです。 そう思いませんか?
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- stock0315
- ベストアンサー率36% (25/69)
まあ、国家を第1に考えるならそういうエリート教育みたいな 考えもあるかもしれませんけど。 学びたい人に学ぶ選択肢があるというのは 別に悪いことではないでしょう。 中学で人生のその後の道が決まってしまうというのも乱暴です。 大学や社会人になってから学ぶことに目覚める人がいるかもしれませんよ? 大学入って勉強もしない、何かに打ち込むわけでもない、 時間を浪費して終わる、人がいる事のほうが問題かと。
- michiyaxkomaba
- ベストアンサー率44% (31/70)
はじめまして。 全くナンセンスだと思います。社会に広く目を向ければわかることです。 しかし、まじめに考えている人だと思います。
お礼
ありがとうございます。ナンセンスは承知の上での、問題提起です。
- nightcell01
- ベストアンサー率43% (471/1074)
思わないですね。 いまの多くの職種は大卒を条件にしています。 また国際競争が激しくなる中で海外で重要視されるのは学歴と語学力です。 少数のスーパーエリートだけで1億人の日本人養うのは不可能です。 単純に損ですし差別意識があります。 抑止力になる罰則もありません。 明治、昭和期に存在したギルド的な価値観は既に無くなっていて中卒高卒でどこかしらの組織に入って活躍できる環境が整備されていません。 中堅や下位大では、たとえば専門資格取得や就職試験と言う形で有用性を上げています。 そういう方法が効果的だと思います。 問題になることの多い日本の教育費は先進20カ国で最下位です。 日本に帝大しかなかった時期、日本人の9割は農民や工場労働者と兵隊でした。 ある意味、日本人の9割は読み書きだけ出来ればそれで良かった。 少数のスーパーエリートだけで国はやっていくことが出来た。 その時代に戻るのですか? 不可能です。 可能ですがそれもインド人や中国人と一緒に月給1万円で現地で単純労働して働くことになりますね。 僕はNOです。 やりたいならあなたがまずやればいいと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。
- takkochan
- ベストアンサー率28% (205/732)
誰でも入れる大学の教員です。 高校まで優秀だった人が一流大学に行くよいでしょう。 高校まで良い成績を上げられなかった人の受け皿、もちろん今の体制が必ずしもベストとは言いませんが、 あなたがどれだけのベストな案を出せるでしょうか? 言うことは誰にでもできます。 でもそれで失敗したら犠牲が多く出るんですよ。 あまり無責任なことは言わないことです。 私は、誰でも入れる大学で、毎年数十人(30~50人)に講義をしながら、同時に数名の卒業研究生を指導しつつ研究を進めています。 現在は、1名の博士後期課程、前期課程の院生と6名の学部4年生を指導しています。 環境にやさしい材料を使って、排水からのレアメタルの回収などをやりつつ、一方で、放射性廃棄物の処理の 研究をやっています。 研究室の学生は、皆、国立大には入れなかった学生ですが、彼らが専門学校に行って、これだけの社会貢献が できるでしょうか。あなたがそのような案を提示できますか? 私は自分のできる範囲で人を育てている自負があります。 根拠のない無責任な提案は受け入れられません。
お礼
ありがとうございます。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
高校の3年間で、3~4科目だけ勉強して、所謂、数多ある、定員の数倍を入学させる有名私学に入って、一流校を卒業した、と言って、胸を張ることができますか? ↓ それは、個別の大学生の主観の問題であるから他人がとやかく言う問題ではない。 合理的判断基準として、大学に行く費用対効果を上げるならば、現時点において大学卒業生の生涯賃金が高いのであるから、個人別の経済上の合理的判断としては大学に進むことがベターである。 「勉強のできない人が大学に行っても何も良いことはありません。」と言われても http://toyokeizai.net/articles/-/7984?page=2 サンプル数の少ない大学は除いても、(仮に100人とする)北海道大学よりも生涯賃金が高い私立大学が20以上あるのだから。 大学が少ないと浪人率が高まって社会全体としての効率が悪くなります。 http://aiit.ac.jp/about/pdf/resource/fd_report_13.pdf P13 戦前は大学に入るのに平均で2浪ないしは3浪していました。東京帝国大学の新入生の平均年齢は 21 歳半ぐらいでした。したがって、卒業するのは 25~26 歳だったわけです。 以上引用 社会全体としてのロスです。
お礼
あるがとうございます。
No.2の補足。ちょっとわかりにくかったかな。 >大学の数をいう前に,高等教育を受けるだけの知力をもつ個体が,生物種ヒトの何パーセントくらい存在するのか考えようよ 社会がこれだけの個体数を必要としてるので,これだけの入学総定員の大学群を作ろう,じゃないと思うのですね。教育学部とか医学部のような,職業訓練所はべつにして(だから,これらは大学から分離して師範学校や医学専門学校にしてもいい)。 そうではなく,一定以上の能力をもつ個体がこれだけいるので,それを収容するだけの総定員の大学群を作ろう,という提案なのです。 いわば,自動車の需要台数にあうだけの鉄を仕入れて加工するのが前者であり,入手できた高級ツゲ材からつくれるだけの将棋駒をつくるのが後者です。教育行政は,前者の自動車会社の発想で動いてきましたが,それは根本的に間違っているとぼくは考えているのです。
お礼
ありがとうございます。
- k_kota
- ベストアンサー率19% (434/2186)
まあ、あるべき論としてはそうかもしれませんね。 でも、それだけじゃなんにも産まないだろうなぁとも思います。 それに、大学って勉強じゃなくて研究するところというか、ちょっと違う気もします。 超エリートとかも違うような気がします。 大事なのは、大学が大学の役目を果たすことです。 それは国家に貢献するというとちょっと誤解があると思います。 妥当な学力のある人に大学として妥当な教育をできるようにするのが大事です。 そうなると現状よりは少ないほうが目的にマッチすると思います。 質問内容は論理の飛躍があるような気がするというのが感想です。
お礼
ありがとうございます。
- ji-young
- ベストアンサー率24% (25/101)
多過ぎるという意見は賛成です。大学への補助金支出が多過ぎ、大学を減らさないと減りません。 ただ学位が役に立つ世の中ではありません。クソみたいな大学でも、金と時間があれば、行きたいと思う人が行けばいいと思います。 学校の勉強ができても、偏差値の高い大学の英文科でて、英文学の専門家になる訳でもなく、趣味の延長線上で大学に行くようなもので、結局、全く関係のない仕事に就いたら、本人の雑学の知識が増えただけですから。 結局、世の中で通用するかどうかですから。
お礼
ありがとうございます。
こういうネタをふられると,つい出てきちゃうんだよね。ぼくにとっては「釣り」質問 笑。 1.「国家の役に立つ人間」という考え方には,同意しかねますね。(むろん,官僚など,そう呼ぶべき種類もいます。お馬鹿な政治家だけじゃあ,どうしようもないので。) 基礎系の研究者は,「国家」なんてクソみたいなものは考えてないでしょう。研究費の多くは国家にせびるんですけど 笑。考えていることの共通項を抽象的にいうと,「生物種ヒトが到達しうる<知>はどこまでなのか」だろうと思います。 また,教育という行為が,社会のため(社会で役立つ人間をつくるため)にあるのか,個人を高めるためにあるのか。ぼく個人は,両方の折衷的な考え方をしています。 2.大学の数をいう前に,高等教育を受けるだけの知力をもつ個体が,生物種ヒトの何パーセントくらい存在するのか考えようよ。 ぼくの見方によれば,真にあたいするのは3パーセントくらいでしょう。1億人のなかでは300万人,毎年の大学入試センター受験者50万人のなかでは1万5千人くらい(経済的に大学に行けない個体数は無視できると仮定)。これくらいの個体は,過去に蓄積された高等知を継承し,さらに高める可能性を秘めていると思います。 蓄積された高等知を,見よう見まねでなんとか継承でき,それでメシを食っていけるのが,たぶん20パーセントくらい。センター受験者では毎年10万人。センター試験を受験せず,公募推薦入試でそこそこの大学に入った,そこそこの個体もいるでしょう。 いま,18歳人口の約50パーセントが大学・短大に進学しています。上記の20パーセントをのぞく30パーセントは,大学あるいは予備校,参考書屋などの組織を商業的に成立させている「賛助会員」でしょう。
お礼
ありがとうございます。
- x_kuma_x
- ベストアンサー率11% (11/98)
現在の日本の教育は"ユニバーサル・アクセス時代" という時代に突入しております。これはアメリカの社会学者マーチントロウというかたが提唱したもので、多くの庶民に学びのチャンスがあるというものです。 日本は高度経済成長期より段々と時代が進むにつれて、企業側が要求する人材になるために大学を希望する者が増えてきました。 そこで国や自治体は大学を増やし、学びの場を提供してきたのです。 昔の社会では"大学は一部のエリートが行く所"でしたが、今は"大学は卒業して当たり前"の社会になっていることを考えれば、昔の体制に戻すことは不可能であり、更にこの先時代が進めば大学院を出て当たり前の時代がやってくるでしょう。 それに大学の教科科目は3~4科目程度では収まりません。
お礼
ありがとうございます。
お礼
ありがとうございました。