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80年代の中国について
中国旅行業が発展を開始した80年代の頃、当時中国で外国人観光客に人気だったルート、旅行会社でのツアー内容、又は観光地は何処でしたか?
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1982年に中国旅行に行きました。その時の行程です。 天津・天壇公園、北京・天安門広場、故宮博物院、王府井、友諠商店、 上海・労働者団地(外国人訪問用)、上海市内散策、無錫市内観光、 南京・南京大虐殺記念碑訪問、南京-上海特急列車乗車。
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- cyat
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こんばんは。 なるほど・・。#2さんのご回答を興味深く拝見しました。80年代、増毛剤のテレビCMで、 「抜けはじめてわかる、髪はなが~い ともだち」 っていうのがあって、おぼえてる方も結構いると思うんですけど、桂林の景色がどーん、と出る映像で。 それで、ぜひあそこに行きたい、ということで、香港・広州・桂林 のコースが人気があって、どこの旅行社にするか迷うくらいツアーがありました。身内が86年頃ツアー参加で行っています。香港ー広州は鉄道で、広州ー桂林は空路でした。香港は返還前でしたので、「国際列車に乗るのよ~。」と言ってました。 ブラックホールだったんですね。 香港からずーっと連れてってくれた旅行社の人とは別に、各地でまた中国人ガイドが付いた、けっこう日本語うまかった、って言ってました。
- nebnab
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1986年から1年間、留学で中国に住んでいました。 そのときに、中国国内をいろいろと旅行して回りました。 外国人観光客が多かったのはやはり北京・上海とその周辺ですね。 他の場所にはあまりいなかったように思います。 当時は、中国への国際線は、どこの国発のものも原則として北京と上海にしか発着していませんでした。 また、国内線の飛行機、鉄道とも本数が今よりもずいぶん少なかったです。 なので、パックツアーに乗るような外国人観光客の旅行先は限定されていたように思います。 ただ、当時は日本人の若者が大挙してバックパッカーとして中国を自由旅行していました。 日本~中国便は格安航空券がなかったので(今はいくらでもありますが)横浜・大阪・神戸~上海のフェリー「鑑真号」で中国入りするのが主流でしたね。 彼らの行先は中国中いたるところでした。 余談ですが、川下りで有名な桂林、当時は桂林を離れる列車や飛行機の切符を個人で入手するのは困難極まりないことでした。 なので、留学生仲間では桂林のことを「ブラックホール」と呼んでいました。 私も留学時代には桂林には行っていません。
お礼
北京や華南の方へ行かれたのですね。御回答有難う御座います。