• ベストアンサー

「縁」って何でしょう?

いつもお世話になっています。 実は本日彼女に完全に振られてしまいました。 (「まだやってたんか・・・」お思いの方もおられるでしょうが、今度は曖昧な返事ではなく今はやり直す気はないとハッキリ言われたんで大丈夫です、悔しいけどもう諦めます。) 彼女は去年の1月にとあるパーティで知り合い私が28年間で生まれて初めてつき合った人(相手もですが)で「お互い相性がよく(←暦で確認し)、このまま行けば将来絶対結婚する相手だ」と思っていました。しかし・・・別れてしまいました。 別れるに至った原因はほぼ私にあるので仕方ないのですがやっぱりショックです。 本気で真面目に好きだった人だから、どうしても離したくなかった、だから復縁を願い頑張っていたつもりなですがやる事がすべて裏目に出てしまいました。(^^; すいません、何か愚痴になりました。 お聞きしたいのは、「縁があれば」とか「縁がなかった」とよく聞きますが「縁」って何なんなんだろう?という事です。縁があれば何もしないでもうまくいくもんなんでしょうか? 「縁」がなくても頑張り次第でうまくいくものなんでしょうか? 「縁」って何なんでしょうね・・・。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tom_123
  • ベストアンサー率26% (28/107)
回答No.13

こんばんわ。 以前に貴方のご質問にご意見を差し上げた際に、 「縁」と言う言葉を使わせて頂いたことがありますので参上しました。 この言葉の意味は#4の方がお書きになっているようにそもそもは仏教用語です(僕も全く詳しくはないですが結構好きなんですよ(笑)。 貴方もお礼の中でお書きになられていますが、 「縁≒因縁≒運命」と言うニュアンスになるのかな、と僕も思っています。 ただ僕はそれ以上に、「天命」という意味を持たせて使っています。 「人事を尽くして天命を待つ」と言いますよね。これです。 これも先の方がお書きになっていますが、 よく、「これって縁のものだから仕方ないよね」とか 「結局こうなっちゃう運命だったんだよね」なんて言う感じであまり良い使われ方をしない事の多い言葉ですが、これは違うんじゃないかと僕も思うんですよ。 そりゃ、どんなことだってやって見なきゃ結果なんてわからないものですよね。 だけど、何かをするときにはそれに向かって精一杯出来ることをしたのかどうか? と言うことが重要なのに、結果としてうまくいかなかった場合の言い訳に「縁」や「運命」って言葉で逃げてるのではないのか、と言う感じで。 以前貴方がされていたやりとりを客観的な立場から見させていただいて、もう十分に出来ることはやっている(人事を尽くした)状態だと感じました。 内容的に上手下手とかではなく、その時点の貴方が精一杯考え、そして実行できることを全てしたんじゃないかと。で、失礼かと思いますが、これ以上はもう逆効果にしかならないよ、と言う程までに。 だからもう「天命」を待てばそれで十分だと思いあのように書かせて頂いた次第です。 結果はどうあれ、貴方ご自身が今まで味わったことの無かった事を経験された訳です。 また一つ、大きな視界を手に入れる事が出来た訳ですよね。 これから先に日々を過ごしていくのにきっと助けになりますよ。

noname#3734
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 「天命」ですか・・・。 そうですね、色々その時にベストだと思ったことはしました。(それが致命的になったのかも知れませんが)だから今後は学んだ事をうまく活かしていきたいです。

その他の回答 (12)

  • yuki314
  • ベストアンサー率10% (74/737)
回答No.12

すごく乱暴に言えば、ほっといても繋がっているもの・・・でしょうか。 でも私流に言うならば、ぎりぎりのところで繋がっているもの。なのだと思います。 言い換えれば、職場だって親だって縁なわけなのだし。 けれどその縁に甘えて適当にしていたら、縁だって切れるはず。 たとえ運命の相手だとしても、自分が信じなければ、実際の運命に人にはならないでしょう。 これはある考えなのですが。。。運命の相手は五人いるそうです。 だから四回失敗しても大丈夫?なのだそうです。 けれども中には、自分に合わない異性とばかり付き合う人もいるので。。。注意しましょう。でもこれは女性に多いと思います。 ちなみに前彼(前々彼も)は間違いなく運命の人と占いの人に言われましたが、別れました。こういうこともあるのです。 私はナンパなどでかれこれ30人?ちかく(いちいち覚えていない)お断りしてますが、これはまったく縁がなかったと言えると思います。

noname#3734
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 「運命の人は5人」なんですか。 それを聞いたら何か少し気が楽になりました。(^^

  • ryuyu
  • ベストアンサー率20% (18/86)
回答No.11

『縁』・・・何かのつながりや関係があること、人と人とのつながり。 辞書でしらべたら、こんなことがかかれていました。 私もどちらかというと『縁=運命』ととらえています。 でも、友達が、「縁があったら、チャンスはまたくるよね?」とか言って、すべて縁任せにしている子がいます。 そんなん、くるわけないじゃん!って言いたいのを我慢して、「また、いつかね」なんて、適当に言ってますけど。 縁って、確かに何らかの力によって導かれるものなんだと思うけど、それって、本人にはわからないもんだと思ってます。 だから、自分で行動をしないといくら縁があって、つながっていても、相手は見逃すかもしれないと思います。 縁があれば、縁があれば、なんてずーっと言っていると、縁があっても無いものになってしまうし、難しいのかも知れないけど、『縁』は自分で作り上げるものだと思います。 >縁があれば何もしないでもうまくいくもんなんでしょうか? まさか。 縁があっても、2人の育った環境は違います。 前世の関係だとか、よく言うけど、前世ではうまく言っていても、生まれ変わった今は違います。 って思うのは私だけかなぁ。。。

noname#3734
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 たしかにすべてを縁任せにしていたら、うまく行くものもいきませんよね。 「努力した結果、良縁が訪れる」そんな感じなのかも知れません。

  • hika_ruri
  • ベストアンサー率14% (3/21)
回答No.10

obrigadoさん、こんにちは。 私は、恋愛に関して言えば『縁=運命』という感じでとらえています。 運命だなんて、ちょっとおおげさかもしれませんが・・・ 皆、愛する人が出来た時は「この人は私の運命の人だ!」なんて冗談半分でも思ったりしますよね。 だけど、その関係が永遠に続くかは誰にも分からない。 だから私は「永遠」に続いている運命こそが本当の縁なんじゃないかなって思います。 そして良く言うように、運命は自分次第で切り開けるものだと思っています。 そりゃどうしても逆らえない大きな流れはあるけれど、 頑張り次第でいい方向へ持っていくことはできるはず。 縁だってそうです。最初から二人の関係を天に任してしまうのではなく、 二人の関係が「永遠」に近づくように努力すべきです。 出会いがあっても、恋に繋がるかは分からない。 愛が実っても、一生続いていくものなのかは分からない。 この「分からない」部分もとても大切だと思うんです。 分からないからこそ頑張る余地があるじゃないですか! ・・・うーん、ちょっと私の理想論に傾いてしまいました(^ ^;) お答えになってませんね・・・ごめんなさい。 obrigadoさんにとって心から愛する人ができたことは かけがえのない経験になったと思います。 そしてその想いに誇りを持ってくださいね。 きっと今、お二人には落ち着いてこれまでのことを 反芻するための時間と距離が必要なんだと思います。 貴方にとっても彼女にとっても本当に苦しい時期だと思います。 苦しんで苦しんで、もがいてもがいて、どうか頑張って乗り越えていって下さい! そしてできるだけのことはやれたのですから、責めるのはやめて今度は自分を労ってあげましょうよ。 「良く頑張った、お疲れさま」って!

noname#3734
質問者

お礼

ご意見&励ましのお言葉ありがとうございます。 たしかに「縁があるから・・・」と言ってそれにあぐらをかいていては良縁も逃げていきますよね。 人間はやはり努力して縁を引っ張ってこないいけないのですね。 今回の出来事(初失恋)は私にとってすごく大きな事でした。 今も正直悲しくなりますが、この経験を忘れずに何とか乗り越え次の良縁に向かって頑張りたいと思います。

  • wasinan
  • ベストアンサー率42% (77/181)
回答No.9

前にも書いてありましたが、「因縁」の縁でしょう 因縁の因は物事が起きる原因の事でその結果で起きたことが縁なのです。 例えば今日朝寝坊をして慌てて出勤したら事故を起こしてしまった 事故を起こしたと言うのが縁ですねその原因は朝寝坊、ではなぜ朝起きれなかったのか、前の日にのみ過ぎたなどと言う因ですね。つまり人の一生はこのように因縁で結ばれていく物なのです。つまりは彼女と別れた原因を作り出したのもあなたと彼女の二人と言うことです。よく考えて見てください、別れる原因を作り出したのも自分なら、次の出会いを作り出すのも自分自身なんです。そしてその因を作り出す物は全てあなたの意識(心)の中にあります。少し難しい書き方になりましたが 頑張ってください。それとココに回答されている皆さんとの縁に感謝する事ですね

noname#3734
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 そうですね、自分自身で替えていこうと思います。

noname#3912
noname#3912
回答No.8

こんにちは…   >本気で真面目に好きだった人だから、どうしても離したくなかった…    縁があって本気で好きになれる人とであえたのですね…   >このまま行けば将来絶対結婚する相手だ」と思っていました。しかし・・・別れ てしまいました。    縁があって出会えたのに、縁がなくて別れてしまったという事です。  

noname#3734
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 要するに「縁がなかった」という事ですか?(^^;

  • wa_on
  • ベストアンサー率15% (139/920)
回答No.7

努力とか、タイミングとか、相性とか、 ・・そういった一切合切を含めて、最終的にうまくいく相手の事を、縁がある人という言い方をします。縁とは、後になってわかります。 鉢植えを育てるようなものかも。直射日光がダメなのもあれば、水が多すぎてはダメなものもあります。サボテンで得た教訓をシクラメンで生かそうと思ってもうまくいきません。ひたすら花が咲くのを信じて、大事に育てていくしかない、そういうものだと思います。

noname#3734
質問者

お礼

後で解るもの・・・ですか。 う~む。結果論でしか解らないのが「縁」なんですかねぇ。

回答No.6

 「縁」、ホントに不思議ですよね、考え出すと・・・    昔の大人たちはよくこの言葉を使っていて、その言葉を聞くたび私も子供心に不思議な印象を受けていたものでした。で、今思うのですが、「縁がなかったんだねえ」というのは諦めきれない気持ちの整理をするために編み出された、極めて優れた癒しの言葉だったんじゃないかと・・・  人は不条理な世の中を生き、不条理な人生を生き、時に全く納得のいかない死を迎えます。言ってみればすべてが「渾沌」とした中で私たちは生きて、出逢って、別れて、そして死んでいくわけです。時にまるで説明のつかない、不条理極まりない出来事に遭遇することだってあるでしょう。知性や理性が無力化する瞬間に立ち会うことだってあるでしょう。そんな時、人はどうやって心を慰め、次なるステップへと踏み出し得るのか・・・  我が子を失って悲しみ嘆く母親がいます。私たちはいかようにしても彼女の心を慰めることはできません。その深い悲しみの前にただ項垂れるばかりです。人生の不条理は今彼女の心の中に深く宿っています。それを傍らで見守る我々もまた人生の不条理を分かち合っている思いを抱くことになります。説明のできないことが、この世の中にはたくさんあるということですよね。  なぜ彼女の子供が、彼女の子供だけが早くにこの世を去らねばならなかったのか、なぜ彼女は生きて、そして我々も生き残って、悲しみの底に沈み続けなければならないのか・・・  その理由が分かれば恐らく「縁」のあるなしも合理的に説明がつくのではないかと思うのです。しかし、分からない。なぜそうなるのか、そうなったのか、誰にも説明できないし、誰にも納得できない。しかし人の理性や知性はそうなってしまった理由を考えようとし、分析しようとし、分かりたいと願い、分からなければならないと思い、分からなければ知性の敗北だと思い、それでも尚理解不能な現象にぶつかり続け、ふと呟いてしまうことがあるのではないかと思うのです。「縁がなかったんだね」と・・・。  知性や理性の敗北などではありません。いくら考えても結果の出ないものに対する澄んだ心境での諦観です。諦観こそが「縁」という言葉を生んだそもそものものではなかったのかなと思うのです。足掻きに足掻いたけれどどうしようもない現実。悲しみに悲しみぬいたけど目の前に横たわる非情なる現実。こうした現実を目の前にして誰がまともな思考能力を持ち得るというのでしょうか。  「縁がなかった」・・・今の私には潔い言葉に思えます。いや、潔いとは言えないまでも、「潔くあろう」と、また「この場、この時を諦めて次なるステップへ踏み出す勇気を持とう」と・・・  私が解釈する「縁」とはこのようなものです。つまり一言で言えば人生やこの世の中のありとしあらゆる命、もの、そして一切の現象を受け入れる「勇気」そのものだと・・・  しかし「勇気」というと何だか気張った思いが必要になるのですが、「縁」と言うとそこに命そのものの自然な交流を感じて心安らぐのです。今私はobrigadoさんのご質問を目にし、それに回答しようとして文をしたためている。これも何かの縁でしょうし、同時になぜ私はobrigadoさんにお会いしたのか分からない。分からないけれど質問に応じて回答文を書いている。  人の世の不思議、命の不思議、死の不思議、出逢いの不思議、別れの不思議・・・  「縁」とは説明しようとすればますます訳の分からないものになってしまうのかもしれません。だから私は「縁」を《感じよう》としています。感じようとして感ずることができなくなったとき、きっと私は死を迎えて心安らかに棺桶に横たわっているのかもしれません。

noname#3734
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。 ・・・縁・・・不思議な物ですね。

  • unma
  • ベストアンサー率19% (63/320)
回答No.5

ものすごく個人的な意見かと思いますが・・・・・・ 例えば、ショッピングに出かけます。そして、ある洋服が気に入ります。 でも、買うかどうか迷います。結局、決心がつかず、買わずに家に帰ります。 帰宅後、気が変わります。やっぱり欲しい!明日、買いに行こう。そう思います。 次の日、もう一度同じお店に行きます。しかし、あの洋服は、もう売れた後でした。 そういうとき私は、「あの洋服とは縁がなかったんだ」と思うことにしています。 例えがあまり適切でないかもしれませんが・・・・・・ 恋愛だったら、私が「彼と結婚したいなあ」と思っているときははっきりしたことを言ってもらえなかったのに、冷めてきたとたんにプロポーズされたことがありました。 断りました。縁がなかったのだと思いました。 うまく説明できません・・・・・・すみません。 つまり、そういうものではないでしょうか。

noname#3734
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「成るようにしか成らない」という事でしょうかね。

  • curo717
  • ベストアンサー率35% (5/14)
回答No.4

「縁」と言うのは元々仏教からきた言葉です。 因縁(因縁)とも言いますね。 めぐり合わせというか、人の力の及ばない前世から用意されている運命(さだめ)のようなものでしょうか。 失恋の場合は、その言葉を使うことで「仕方のないことだったんだ」と自分自身を納得させることを促すものです。 時間が最大の薬ですから(本人はその時そう思わなくても、それが真理です)、明日に希望をつなげるようになるまでの時間稼ぎが出来るのではないでしょうか。 私も若かりし頃、相思相愛でこの人以外に生涯の伴侶はいないと思った人とは最大の努力をした(あくまで自分では)つもりでも別れる羽目になりました。 一方、それほど好きでない女性とはすぐに結婚でき、今は余り愛情は感じないのに関係は続いています。 不思議なことです。 恋愛ではないですが、戦争という「縁」があれば普通のいい人でも人を殺します。 逆に人を殺そうと思っても「縁」がなければ普通の人にはとても人など殺せません(歎異抄にもそんなはなしがあります)。 それが「縁」と言うものです。

noname#3734
質問者

お礼

「縁≒運命」という事なんでしょうかね。 ご意見ありがとうございました。

  • naitie
  • ベストアンサー率30% (18/60)
回答No.3

この場合の「縁」は迷信のようなものじゃないでしょうか? 「人の未来は(神様に)決められていて、もともとそういう シナリオじゃなかった・・。」 なにかを信仰なさっているんであれば、こういう解釈を信じ るのもいいと思いますが、そうでなければ変な理屈ですよね。 全く知らなかったもの同士が結婚して、子供を作り、一生を ともにする・・この不思議さが神秘になったんだと思います。 人と人との関係なんて、努力しなくてもうまくいく場合もあ れば、頑張ってもうまくいかない場合もあります。 それは、好みとか相性とか言う問題であって「縁」とは違う んじゃないでしょうか? ダメならなんとかなるよう努力するしかないんだと思います。 とは言っても相手は人ですから、好きになってくれるように 仕向けるというのは、すごく作戦がむずかしいですよね。 健闘をお祈りします!!

noname#3734
質問者

お礼

ご意見ありがとうございました。