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執着になるのでしょうか?

あきらめられないということと、執着しているということの 違いは何でしょうか? 好きな人をあきらめられないことは、その人に執着していることになるのでしょうか? 2年位片想いの好きな人がいます。 春に、その人には、つき合ってはいないけど、「しばらく数年はお互いそれぞれの場でがんばって、ゆくゆくは結婚しよう」と話してる女性が、遠くにいることがわかりました。 きっと、私の好きな人は、その女性のことを心の支えにしながら、がんばっているのだろうと思います。 これを知った当初は、とてもつらかったのですが、自分も前に進まなくてはと、知り合いに紹介をお願いしたりしています。 ただ、今の自分の素直な気持ちをいうと、その片想いの人のことが、まだ好きです。 ふと思ったのですが、好きな人をあきらめられないということ、執着しているということは、違いは何でしょうか? あきらめられないというのは、その人に執着していることになりますか? ご意見をいただけるとありがたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • polax
  • ベストアンサー率37% (16/43)
回答No.5

『執着とは、仏教において、事物に固執し、囚われる事。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きと考えられている。』 wikipedia引用 結論から言ってしまうと『執着』のひとつの形であると思います。 でも人として当たり前の、とても自然な感情です。 ご質問者様が執着していると思われる対象は「彼」というより「彼と一緒に過ごせたら幸せになれるのではないか」という思いそのものなのでしょうね(片思い、とのことでしたので、等身大の彼をまだあまり知らないでしょうから、知らない人ゆえの心の動きですね)。 誰だって叶わぬ想いを抱えたらそのような気持ちになると思いますよ。 また、例えば一度おつきあいをされたことがあって別れた人が元パートナーに向ける執着という形もありますし、そもそも恋愛に限らず人は様々な形で何かに「執着」していると思います。 人はみな生きることそのもに執着している・・・という見方もありますしね。 ちなみにwikiでは悪い意味で用いられ・・・となっておりますが、ひとつのことに固執していると新たな考えが生まれにくかったり固執している対象が手に入らなかった場合、手に入れたい欲求との板ばさみになったりして苦しむという弊害があるからなのだと思います。 でもそういう心の動きがあるからこそ生まれる芸術があり、他人の苦しみに共感できる能力が育ったり、継続する力・忍耐力などが育ったりするのだとも思います。 執着という心の状態を拒絶せずに受け入れつつご自分の今の環境と折り合いをつけながら生きていけばそれで良いのだと私は思いますよ(^-^) 時が経てばその状態もまた何かに変化する可能性もありますし、今はそのままの状態を受け入れてあげて欲しいな・・と思いました。

hana2set
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 お礼が遅くなり申し訳ありません。 Wikiの引用、勉強になりました。 また、polaxさんが書いてくださっている言葉の数々に、大変なぐさめられ、温かい気持ちになりました。 今のこのつらい気持ちも大切にして、これが良い方向に生かしていけるようにしたいと思います。

その他の回答 (4)

noname#71627
noname#71627
回答No.4

執着とは本来の目的を逸してしまった傀儡ではないのでしょうか。 人を愛するということは己の欲望のみを追及するものではないはずです。 本当に好き=大切な存在である「からこそ」 諦める勇気を持たなければいけないときもあるでしょう。 好きという言葉も曖昧で 友達においても好きの度合が違うというのは当たり前のことです。 >あきらめられないというのは、その人に執着していることになりますか? 諦められなくても、その人の幸せを心から願えるのであれば それは執着には変化しないでしょう。 結果、良い経験となり貴女自身に磨きがかかるのでしょうね。 間違っても執着して自分自身の心を捻じ曲げないこと。 素敵な経験として自分の中に胸を張って取り入れられるように 今は不安定なその気持ちは慎重に扱ってください。

hana2set
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 彼のこと、まだ好きでいるんですけど、本当に彼には幸せになってもらいたいと思ってて、彼の人生をとても大切に思ってます。 ただ、彼の幸せの中に、その女性との結婚があるのか・・と考えると、彼の幸せを願ってるくせに、とてもつらくて心が痛みます。。。

  • tenten48
  • ベストアンサー率23% (144/606)
回答No.3

私の友達に相手に好きな人がいるとわかっていながらも8年あきらめ切れなかった子がいます。 その8年の間に彼は人間として様々成長しました。 もちろん彼女も様々成長しました。 そして8年経って話をする機会があり、彼女は彼が昔の彼ではなくなったことに気付き自分の心に一つの区切りをつけました。 客観的に見れば執着と言えば執着ですが、あなたが彼の何にあなたが執着している、あきらめ切れないことをまず見つめてみればあなたの心に何か答えが見つかるかもしれません。 答えになっているといいのですが・・・。

hana2set
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 そのご友人、8年間、あきらめきれなかったことがあられるんですね。 でも、双方ともに成長できたこと、またそれを良かったと最終的に思えることが大事なのかもしれませんね。 自分が彼の何に執着している、あきらめきれないかをまず見つめる・・ なるほどですね。 じっくり見つめてみたいと思います。

  • tomodaki
  • ベストアンサー率33% (26/77)
回答No.2

好きだけど状況(相手の気持ちや環境)などが原因で 上手くいかず、それでもずっと好きでいるのが、あきらめられない。 その状態が長く続きすぎてしまい、もう最初の好きという気持ちが ぼやけているのに「こんなに好きだったんだから、いつかきっと」 のように動機と目的が乖離してしまったのが「執着」ではないででしょうか?

hana2set
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 動機と目的が乖離してしまったのが「執着」 ですか。なるほどですね。 好きという気持ちはぼやけてないような・・ また、「こんなに好きだったんだから」とは思ってないですねぇ。。 「いつかこの想いが叶ったら、どんなにいいだろう。。」とは、つい願ってしまいます。。

noname#80858
noname#80858
回答No.1

あきらめない、、、望みがありそう 執着、、、、、、、ズレてる感じ、、「そこ、こだわる(執着)とこちゃうやろ」

hana2set
質問者

お礼

ご意見、ありがとうございます。 執着、、、、、、、ズレてる感じ、、「そこ、こだわる(執着)とこちゃうやろ」 という部分が、私の彼に対する想いについては、見当たらないような気がしますので、執着じゃない気がしてきました。

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