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映像化不可能な作品

よく映像化不可能といわれてきた作品がついに映画化!っていうけど 誰がどこで言ってんだよって思うんですよ なので今後そのようなキャッチフレーズがついた映画が公開されたときに備えてここで今のところ映像化不可能な作品の作品名とその理由をを挙げていってください。 よろしくお願いします。

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  • coqlo
  • ベストアンサー率40% (13/32)
回答No.2

面白い質問だなーと思ったので回答します。 最近の作品だと 「アヒルと鴨のコインロッカー」とか 「ハサミ男」とかでしょうか。 上記2点とも映像化の報道を聞く前に原作を読んでいたので、 映像化と聞いたときには「へー!どうするんだろう?」と思いましたが たしかにそれ以前にどこかで「映像化不可能!」と 読んだり聞いたりしたわけではないですね(笑) 自分の中で、「映像化不可能」と考えてる作品はあります。 読み返すときに、これをこうすることで映像化できるのかな? と考えてみたりもしますが難しいです。 ・ロートレック荘殺人事件/筒井康隆 ・殺戮にいたる病/我孫子武丸 ・イニシエーションラブ/乾くるみ の3作品です。 どれも理由は最初に挙げた2作品がそう言われたのと同じで ズバリですが人物そのものに叙述トリックが用いられているからです。 最初の2作品よりも映像化は断然難しいと思います。 「イニシエーション・ラブ」あたりはどうにかすれば映像化できそうな 気もするので、「映像化不可能と~~」というキャッチフレーズと 共に出てくる可能性はあると思います。 >誰がどこで言ってんだよって思うんですよ は、「ほんとだ、どこで言ってんだろう」と笑ったんですが 上記作品、知らないだけで映像化してないよな?と思って 検索してみたら「映像化は難しい」とamazonの作品紹介やレビュー、 個人の感想ブログで結構出てきたのでそういうところとか書評とか、 意外と知らないところで言われてたりするのかもしれません。

その他の回答 (4)

回答No.5

この場合の作品とは、何を指すのかが分かりませんが、 小説や文学なら、文章という形に非常に特化又は依存したもの。 この場合に思い当たるのは、トマス・ピンチョンの「重力の虹」とか、ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」とかかなぁ。 ダブル・ミーニングや隠し言葉なんかの、言葉遊びが極まっていて、 要約も楽じゃないしね。 後者は、特に文章自体の解読担当も必要ですね、普通じゃ読めないから文章自体も。 どちらも20世紀を代表する作家ですが、映画で見たいと言う人は、あんまりいない気がするなぁ。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.4

漫談です。 >誰がどこで言ってんだよって思うんですよ 配給会社の宣伝担当が言っているのでしょう。邦画でしたら、制作会社の宣伝担当でしょう。その人たちが某人に「私この映画を見るために生まれてきました!」と言わせているのでしょう。 初の全編CG映画「トロン」は、物理的に不可能な構造の戦車がでてきたりするので、そう言われていた記憶があります。 あとは、同じ原作でこの映像化を越えるものはできない、といわれているものをリメイクしたら、そう言われるでしょう。 例としてはソ連版戦争と平和を超えた、戦争と平和、つくったらキャッチに使われるでしょうね。もっとも、1カット最大は「ガンジー」の20万人だという意外に知られていないオチもあります。 50年代のSF映画ポスターに、ついにやりました的な表現がときどきあり、映像化不可能といわれていたフルカラー科学考証バッチリSF映画「月世界征服」なんて、ポスターに、製作2年、とか、See See SEE! と観てほしいシーンのキャッチをつけたりしています(無重力状態の描写のカットにSee!とか)。はじめて火星にいきました(ロケットシップXM)もSeeの連発です。地球を滅ぼしました(地球最期の日)、はじめて平和的宇宙人登場しました(地球が静止する日 今度リメイクしますね)、なんてのもSee!とともに、映像化不可能だったのが、ついに、という感じでやっています。 あと、大人の事情で煽ることもあります。ゴジラの予告編には「アメリカ映画を凌ぐ特殊技術!」とありますが、これは同時期に大映がアメリカ映画の「原子怪獣現る」を用意していたので、対抗してつけたのでしょう。日本では映像化できないはずの、アメリカ映画を超えた表現があるぞっ、と。 映像化不可能な映画は、みた全員が満足する作品、でしょう。これができたら、私もみてみたいです。

  • pascals
  • ベストアンサー率39% (29/73)
回答No.3

単純な話、歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』は無理だと思います。大ヒット作品ですが、トリックが記述トリックなので。 主人公が○○と思ってたら、なんと××だったとは、あーびっくり、っていうこの小説の一番肝心な部分が映像化されたら最初からまるわかりですよね。 若竹七海『心のなかの冷たい何か』、綿谷りさ『夢を与える』、阿部和重『グランド・フィナーレ』なんかも語りが主人公目線なので、主人公に関する客観的な事実が読者に伝わるのにタイムラグがあって、そこが一番おもしろいんですね。「あーだまされた!!」っていうのが醍醐味の小説は映像化不可能というか、映像化に意味がないというか。 でも、カズオ・イシグロ『日の名残り』、イアン・マキューアン『贖罪』、東野圭吾『容疑者Xの献身』なんかも無理だと思ってたんですよ。上記に近い理由で。どれも映画になりました。 あの部分、どう処理したのかな? と思って見たら見事に別物になってました。とりわけ『容疑者Xの献身』は小説版の一番おもしろいところをば全部削って、テーマも変えてましたね。 それでよければ映像化できない作品はないことになりますが、うーん、でも『葉桜…』はさすがにないと思う。

回答No.1

映像化不可能な作品が、映画になる訳がない。 映画になったものすべてが、映像化可能な 作品です。ただし、映画が完成したものの 出来がよくないので、お蔵、になっている 映画は、百数十本、それ以上は存在する。 無理やり映像化した、というよりも、 商業映画としての水準に達していないもの。 公開が決まるまで、多くの映画関係者が 完成作品を見て、公開が決まる。邦洋共に。 また、惹句=宣伝文句=キャッチコピーとして そのような表現をする映画は、あるかもしれない。

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