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ゆとり教育は必要か??
僕は、学生なんですけど、ゆとり教育は必要ないと思います。 皆さんの意見を聞かせてください。 よろしくお願いします。
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やはり何をもって「ゆとり教育」と称するかですよね。 子供の義務教育を終えてつくづく感じるのですが、結局、宿題が大幅に減ったり、厳しい指導が少なくなったりしたおかげで、学校では、さぼろうと思えばさぼれるようになり、また、さぼろうと思わなくても、質問をするのが少しばかり苦手だと取り残されるようになりました。 したがって、学校でしてくれない指導を補うべく、皆がこぞって塾に通うようになりました。塾に行って初めて公立中学の勉強に付いていけているという状態の子は多く、ましてや人並みの高校受験は塾なしで考えにくい状況です。さらには、学校自体が事実上、「生徒は塾に行っている」という前提で授業を進めています。 そんな中、さまざまな事情で塾に通えない子だけが、学問から取り残されていきます。経済面では、補助制度を設ける自治体も増えましたが、小中学生はお金さえあれば一人でも塾に出かけていける年齢ではありません。家庭でサポートできなかったり、心身の病気などで行けない子との格差は広がるばかり。そして、そんな教育に失望した保護者たちのあいだで公立中学離れが起きています。 日頃の授業にゆとりを持たせることで、遅れている生徒に対して、学校が補習を充実させたり、余った時間で(今は事実上なくなった)学芸会など文化的行事を盛り上げるというのなら賛成ですし、むしろ必要だと思いますが、結局は“”付きの“ゆとり教育”ゆえに施されなくなった教育を、保護者が必死になって塾で補ってもらっている状態ですよね。
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- KuroikoSS
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もともとは、ゆとり教育は「詰め込み教育」のアンチテーゼとして提唱されました。当時のマスコミは、日本の学校教育は教え方が記憶偏重である、授業時間が他国に比べて長すぎる(当時はそうだったのです。現在はそうでもありませんが)、などと言って批判していました。あげくは、少年非行の原因は詰め込み教育である、やめれば非行もなくなるなどといった話まで飛び出すほど、諸悪の根源のごとくに扱われておりました。 世論の高まりを受けて政府も重い腰を上げましたが、ではどう変えればいいかという代案がありませんでした。言い出しっぺのマスコミからも抽象的な話しか返ってきませんでした。授業時間を減らすことについては不安に考える人もいました。塾に行ける学童と行けない学童とで学力差が出てくる(今まさに問題になっていることです)という不安を訴えた識者もいましたが、マスコミに鼻で笑われました。結局、不安に対するフォローもなく知育偏重に対する代替案もなく、授業時間を減らすということだけがさっさと決まり、実施されているのが今のゆとり教育です。 彼らが何を目的としてこれを提唱したのか、実施したのか、個人的にはさっぱりわかりません。 たしかに現場でユニークな授業が行われだした事例も知ってはいます。(とはいえこれらは皆現場の教師が試行錯誤の末に見いだしたもので、決めた人や騒いだ人は丸投げしただけです)しかし、塾に行かずとも公教育で十分な学力が身につくような配慮は必要だし、学校行事もろくにできないようなら本末転倒と思います。私は授業以外の課外の部分こそがまさに総合教育の場であると思っていますので。 ただ、教える内容については精査する必要がある(歴史の年号を下一桁まで覚えるやり方を復活させる気はさすがにない)ものの、形としてはかつての教育に逆戻りするのは建設的ではないという気はします。ただ、それに代わる具体的で実現可能な案が出てくるまでは次善の策で行くしかないと思います。少なくとも今のままではよくありません。
- jamiru
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必要です。 ただ、運用に問題が多すぎましたね。 上意下達の社会なのでそのまま伝えただけで中身が伝わっていなかったようです。 先に上位下達の組織改革が先でしたね。 上位下達の組織は考える力が無くなります。 なので、いくらゆとり教育は猫に小判だった。 中には、猫にかつお節になった学校も有りますのでそこを調査して物にすればよかったんでしょうが連係を欠いたのかも知れません。
- blue5586p
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私は、「ゆとり教育」失敗の最大の原因は、その意味を履き違えたことにあると思っています。 それは、「ゆとり教育」を、「子供を甘やかす教育、子供に楽をさせる教育」と履き違えてしまった点です。 本当の意味での「ゆとり教育」は、一方的に教える事柄を少なくした分、子供たちが自ら考え、工夫しなければならないウエイトを大きくする。すなわち、「ゆとり教育」は、子供たちがある程度「苦労」しなければならない教育でなければならないと思います。 単に授業時間数を減らすだけの「ゆとり教育」なら、子供たちにとっては、何の役にも立ちません。 たとえば、高校や大学など、上級の学校へ進学すれば、レポートを提出することを頻繁に求められます。 (余談ですが、私も高校時代、レポート提出で徹夜になったことがしばしばありました) 確かに小学生に、徹夜しなければならないほどの課題を出すのは問題ですが、小学生であっても、できる範囲内で、一方的に教える内容を少なくした分「君ならどうするか、どう考えるか」という内容で、何らかの形で課題を提出させる回数を多くするといった「ゆとり教育」なら、子供たちが将来、社会に出たときに、大いにプラスになると思います。 なぜなら、社会に出れば、学校と違い、誰も何も教えてくれない、自分で考え、行動するしかないのですから。
- tent-m8
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単に授業時間を減らすだけなら、何の意味もありません。 学力の格差が、増えるだけです。 今、教育に求められているものは、学力の指導よりも「心を育てること」だと私は思っています。 ・命を大切にするということ。 ・他人を思いやるということ。 ・何でも食べられることに、感謝するということ。 ・美しいものに、感動するということ。 まだまだあります。
競争はそのままに、 授業数だけ減らしたのであれば、 塾に行けること行けないことの経済格差が 学力に反映される。という意味でなら必要はありません。 行きすぎた学力偏重を改める一助として 位置づけるのなら、そういう機会も必要です。
- Dxak
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質問者さまは、ゆとり教育が必要ないと思った経緯は何でしょうか? 私は、ゆとり教育が必要だと言われた当初、必要だと思いました ゆとり教育の最初の話は、詰め込み教育、管理教育、受験戦争の緩和が、目的であったはずです しかし、現実、なにも変わっておらず、授業日数が減ったために、1日辺りの詰め込む量が多くなっただけで、改悪化してるようにしか思えないのが、今の現状です ゆとり教育を、単に無くすと言う話ではなく、なぜ、そう言うものを作ったのか?その経緯から、結果できた制度が、何が、間違ってたのか?その辺りから、見直すのが先だと思うのですけどね 当時から、社会問題化し始めた、問題はストレスが多くなったために!と、言うのは責任転換であって、家庭教育の欠如が目立ち、モラル低下を起しているのが、現状、家庭教育の責任区分を、学校教育が受け持つのか?、人格形成上の話で、いろいろ悩む部分が多い話なのだと思います よく学力低下で、廃止の話が出てますけど、この話なら、私は、反対ですけどね