- 締切済み
森田療法で神経症は治るのでしょうか
入院森田療法、外来森田療法、生活の発見会による森田理論の学習、森田関係の書籍によって自分で治す等遣り方は色々ありますが、森田療法で神経症は治るのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- laing
- ベストアンサー率47% (309/649)
#1です。 ご質問があったので、入ります。 >森田は自宅で本を使ってもやれるというのは、認知行動療法も同じではないかと感じました。 また、入院森田は絶対臥じょくや不問療法(患者が症状の不安を訴えても医師は相手にしない)がありますが、 自宅ではそれが無理なのではないかと思います。< 実際に当方の患者で大学病院に入院する程のパニック障害を、通常 の森田療法の施設入所で簡単に治したのがいます。 その彼に言わせると治療者は必要なかったとのことです。 治ってからは普通に仕事をしています。 大学病院の入院治療では治せない程の患者でした。 (その彼を大学病院に入れた時は本人が抵抗した為に、医療保護入院 でした。家族の合意のみで入院させるというやり方です) ですから、人によって違うのではないですか? 薬でも合う合わないがあるのと同じように。 又、質問者様のその考え方で行くのなら、精神分析療法も自宅でやれるという結論に達します。 実際に教育分析を受けてないで重度の神経症を治した偉大なる人物が一人います。 そうです。精神分析の創始者であるフロイトです。 フロイトぐらいに知性があれば治療者は必要ないんです。自己分析 で治せます。 >本題から外れるのですが、外来森田と認知行動療法の違いが分からなくて困っています。< 外来森田と認知行動療法が非常に似ているのは精神分析の本を読まれていれば通常は誰でも思うことです。 どちらも悪く言うと、その場凌ぎになるんですよ。根本的なことはやりません。 では、どこが違うのかというと。外来森田の場合は基本的に絶対に パニック障害を治すとか、そういう完全な治療を目指していません。 森田の考え方が元々の無理をしない路線を選択してるので、そう なるのは当然でしょう。 認知行動療法と外来森田との違いは、認知療法=森田療法と批判され た為に、現在の認知行動療法には洞察療法が入っています。 (精神分析療法を限定的とはいえ、導入しているのが認知行動療法 なので、知性がなくてもできるのが森田療法であるのに対して、 頭を使う必要があるので、精神分析療法と認知行動療法は知性がない と治療者が引き受けないというお決まりがあります) 雅子妃の主治医が、「知性が高いので治療法は認知行動療法でやる ことに決めた」とコメントをしたことも、その裏づけのひとつです。 (適応障害)これも昔で言えば、神経症の範疇です。 又、脳科学をやっている専門家は、性格はそもそも遺伝なのだから、 精神療法の類は無駄という理屈を持ってくる時代になってる訳です。 アメリカではそのせいで薬物療法が基本です。 当方としては遺伝+環境要因の両方が精神疾患には関わっていると 考えてますので、薬と精神療法の併用が適切と考えてる立場です。 ※追記として森田の学説は”神経症はなおらなくてもいいもの” という考えから来てるので、本気で悩んでいて(神経症)パニック 障害などを治すというのなら、根本的解決を目指すなら、学派は別に して森田のみでの治療法は難しいと思います。 どの程度の問題を抱えているのかが解らないので、適切な回答がここでは出せません。 重症であれば薬物療法も上手く使う方がいいですから。 (それが対症療法であったとしてもです。抗不安剤を上手く使って 仕事をしてる方は沢山います)
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
森田療法と云っても、何回も入院を繰り返しても治らない人もいます。逆に一回の入院で完全に治ってしまう人もいます。是は仕方のない事かと思いますが、治るための心構えを書いてみます。 今の貴方の場合症状を悪いものとして心から追い出したいという想いが在ると思います。実はその想いが症状を作り出しています。症状を相手にする、或いは症状を取りたい、という心を捨てない限りは、治る事は有りません。症状を取るために森田療法に取り組む場合には、症状は治らないと思っていた方が良いかも知れません。 神経症を治そうとした場合は、心のからくりを学ぶ事が良い事になります。症状が悪いものという「思い込みが」症状を固定しています。症状が在って苦しい想いをしているかと思いますが、今言った症状を忌み嫌っているという「心の働きが」症状を生み出しています。 神経症の場合、直すという事がジレンマになっています。ですから、森田療法で症状を無くしたいと思う事は、何にもなりません。返って悪化するかも知れません。直そうとする事が症状を作って固定させているからです。ですから森田療法においては「症状」は不問という事になります。 神経症の場合「症状」と、神経症というものを切り離して考えた方が近道になります。神経症がどうして起こるのかという事を「森田療法」から学ぶのです。それは意識した事から全てが始まります。意識して不安になって一番気になった事が「症状」として固定されます。本の中には様々な症状が在ります。それらは全てが意識した事が症状です。 口を意識し過ぎたら吃音となります。書く事を意識しすぎた場合書痙です。人に会う事を意識しすぎた場合は対人恐怖と云う事になります。不安を意識した場合が不安障害です。その不安を強く嫌って強く追い出そうとする時にはパニックになってしまいます。これがパニック障害の本当の姿です。ですので症状を無くしたいという事が無くなった時が治りの時と言えます。 今の貴方の治りと言うものの認識と、本当に治った時の感じ方は相当の隔たりが在ると思います。森田療法で治るためには、症状を受け入れると言う事になります。心の計らいは在ったままで、目の前の事に手を出してゆくという事です。よろよろでも、目の前の事に手を出してゆく、辛くても自分の心に湧きあがった不安などを、雑念として受け流す事を学ぶという事です。 そうして作業などに打ち込んで夢中になってやる事を学びます。それは意識性の強い人には難しいものですが、「無意識」になってしまうくらいに打ち込むのです。森田療法の真髄は「無意識」になる練習と思っても良いです。自分の症状は不問、治らないもの、その事に徹底した時に症状が余り気にならなくなります。それは貴方が症状を受け入れる時です。貴方が症状を受け入れられない事が貴方の症状を作っていたのだと、体得した時に症状は消えます。症状が気になるようなら未だ貴方は症状を毛嫌いして心から追い出そうとしています。
お礼
>或いは症状を取りたい、という心を捨てない限りは、治る事は有りません。←どうしたら捨てられるのでしょうか >症状が悪いものという「思い込みが」症状を固定しています。←どうしても邪魔であり、実際に苦しいので悪いものと思ってしまいます。決して良い物とは思えません。 >不安を意識した場合が不安障害です。←意識する、しない以前の問題として不安で苦しくなるのです。 >症状を受け入れると言う事になります。←どうしたら受け入れることができるのでしょうか。 >心の計らいは在ったままで←心の計らいとは何でしょうか >作業などに打ち込んで夢中になってやる事を学びます。←自分はパニック障害があり、急行に乗れません。その場合は何に打ち込めば良いのでしょうか、また、不眠もあります。同様に寝ている時は何に打ち込めば良いのでしょうか。 また、なぜ作業でなければ駄目なのでしょうか、趣味やギャンブルでは駄目でしょうか
- laing
- ベストアンサー率47% (309/649)
某心理学会の正会員です。 学派は森田ではありませんが、会員の中には森田派もいますので、 お邪魔します。 神経症という概念がすでに無くなっていますので、一般的な現在 の用語のパニック障害が森田療法で治るか?ということでの質問 ということで入ります。 これは、ハッキリしてることなんですが、ご自身が興味があるもの でやった方が間違いなく、治りやすいです。 森田理論は過去を遡ってどうこうという洞察療法ではないですから、 ”あるがままに”という考え方は日本人の気質には基本的に合いやすい ので、仏教的な考えの人などには合う傾向があります。 逆に言えば、精神分析のようなものが好きな人はお金を使ってでも 精神分析学会の指導医で治ってる人がいますから。 やはり好みのものが一番だと思います。 森田療法に関しては、主流になっている認知行動療法や、治療者が必ず 必要となる精神分析と違って、自宅で本を使ってもやれる。 という考え方が専門家(森田派以外)の意見ではほぼ統一してます。 但し=治るではないですので、その点はここではなんとも申し上げられ ません。
お礼
有難う御座いました。 森田は自宅で本を使ってもやれるというのは、認知行動療法も同じではないかと感じました。 また、入院森田は絶対臥じょくや不問療法(患者が症状の不安を訴えても医師は相手にしない)がありますが、自宅ではそれが無理なのではないかと思います。 本題から外れるのですが、外来森田と認知行動療法の違いが分からなくて困っています。
お礼
>森田の考え方が元々の無理をしない路線を選択してるので、そう なるのは当然でしょう。< しかし、森田は根性が無い患者には無理だと聞いたことがあります。 たとえば、森田の言葉に「恐怖突入」や赤面恐怖の患者に対し、「その赤面を衆目にさらすべし」と言うような言葉がある様に。 >フロイトぐらいに知性があれば治療者は必要ないんです。自己分析 で治せます。< フロイトは自分の神経症をとうとう治せなかったと聞いた覚えがありますし、彼はコカイン中毒患者でした。治った人が何故麻薬に頼るのでしょうか。 また、イギリスでは強迫行為はあまりにも難治ゆえ、精神分析では治すことが出来ないと宣言した旨の記事が週間朝日に出ていました。 自分も薬物と精神療法の併用は賛成です。しかし、安定剤ではなく、第一選択薬はSSRIに切り替わったのではなかったでしょうか?