- ベストアンサー
低収入はある程度、妥当な結果ではないですか?
- 同じ世代の中で相対的に収入が低い人は、それまでの人生と比べるとある程度妥当な結果であると思います。
- 低収入の人の内8割は、勉強や就職活動において努力が不足しているために収入が低いと感じます。ただし、2割は不慮の事故や就職の困難さなどの理由で低収入になっている場合もあります。
- 政府の政策によって低収入の割合は減少する可能性がありますが、周りの低収入な人の内、どれくらいが努力不足による結果なのかは個人の主観によると思います。
- みんなの回答 (35)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
NO.6です。 >私自身は政府がこの低収入な人の割合を減らすべきである。再チャレンジする制度を作るべきであるという意見でありますので、このようなご意見もご遠慮ください。 これに対する答えですね。現在の日本社会問題の構造を検討する目的で立てられたアンケートかと思っていました。 答えの趣旨がずれていましたね。ごめんなさい。 もっと、長期で沢山の世代を考察に入れるべきでした。あらためて、質問に答えさせて下さいね。 「政府」に拘ってしまって、森を見ていなかった、私(冷汗。 尚、「%、割合」等の表示については、統計をとる手段が見つからないのでご容赦下さい。 結論から言えば、クロス・セクションでは、大まかですが「個人の今までの生き方の結果として今の状況がある」と思います。どの時代にも勝ち組、負け組みはいました。 しかし、タイムシリーズで見た場合、団塊世代より団塊ジュニアの方が、報われにくい=競争に勝つためには努力をより多く求められていると思います。団塊ジュニア世代が自分の低所得や自分が期待していた状況がえられない事に不満度が他の世代より高いと思う理由として親(団塊世代)と比べるからです。 基本的にはNO.10の方の答えに賛成です。 >勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 この答えは、先天的に頭が良かったり親に投資してもらっていたら、状況は変わっていたと思う人もいるでしょう。これは本人の努力だけではどうにもならない外部要因ですから、不条理と思っている人が多そうですね。同量勉強しても、80点の子もいれば60点の子もいます。 子供時代は、外的要因によって結果が決まることが多いです。中学時代に良い成績を取らないと進学校に進めません。中学時代までの成績の重要性は、親の教育方針に拠る所が大きいと思います。 >就職に強い大学に進学をしなかった。 これは、情報収集能力不足もありますが、中学時代、小学校からの英才教育、中学受験等と強い相関があると思います。 中学までの時期に学業の大切さを知り、進学高校に行っていれば、特別やりたい学科や、指導を仰ぎたい教官がいる場合以外、なるべく知名度の高い大学を目指すと思います。「就職に強い学部」に進学しなかったのは本人のせいですが、中高校時代からの積み重ねた学力不足により「就職に強い大学に進学できなかった」のでは無いでしょうか? >大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。 >就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動した。 この二つは、「怠けた自分のせい」だと思います。大学生にもなれば、判断力も付き情報も集めやすくなります。大人になってから判断した事なので自分のせいでしょう。 低所得(予備軍)の若い人に、「こんな風な社会にした大人が悪い。」と言う人をよく見ます。 高所得の人は「勝っても負けても自業自得、因果応報」と思うでしょうが、「低所得の人は、『あの時、ああしておけば・・・』か『社会(親)のせいでこんなに所得が低い』と思っている人がいて、後者がとっても多いと感じます。 つまり、「棚が大きくなっている」と言えるでしょう。低所得になるほど、自分の怠けた生き方のせいにしたがらない人が増えると思います。低所得なのは自分のせいだと納得している人は半分以下では無いでしょうか。
その他の回答 (34)
うーん、難しい部分だな。あくまで主観というか、単なる想像でしかないが。 確かに、そうした面はあるとは思う。努力する人間と、全く努力しない人間とで、全く同じ結果になるとすれば、そのほうが問題だろう。努力が報われる社会であるべきだし、そうした面は実際、あるはずだ。また能力ある人間が高く評価されなければ、才能ある人間はこの国から出て行ってしまうだろう。やはり能力のあるものはそれなりに認められなければならないだろうさ。 ただ、そうした考え方は、「努力が報われる時代」の名残り、なのかも知れん。今は、そうした牧歌的な時代ではなくなってきている。格差の固定化という現象などを見ると、必ずしも努力した人間が成功し、そうでない人間が成功できないわけではなくなってきている傾向が見られる。どういう環境に生まれたかによって、努力しても成功できなかったり、全く努力せずに成功したりするような傾向が見られるようになってきている。 また、古きよき時代であっても、職業差別の類いは常にあった。職種によっては、どんなに努力し、回りから認められても、それが収入には結びつかない、ということは実際ある。これは、今の時代になって改善されている面もあるが、逆に更に助長されている面もあるんでないかね。 そうしたことを考えると、全体としての割合は、案外高くないかも知れん。「人生の結果として貧しい暮らしを招いた」といえるのは、全体のせいぜい2~3割程度なんじゃないかという気がするな。残りは、「職業あるいは仕事の形態などによる経済的な差別待遇」と「生まれや環境による格差の固定化」などの影響を逃れることができない事例のように思える。 まぁ、逆に「努力によって完全に収入が分かれる」ってのも、これはこれでつまらん社会というところもあるんだよな。ただのぼんくらが、運だけである日一攫千金!ということも少しはないと、面白みがない。再チャレンジやセフティネットも重要だが、もう少し努力が報われる社会であってほしいとは思うんだがね。これは政治だけでなく、案外と「我々の差別や偏見」の問題なのかも知れんな。我々が、人間を偏見ある目で見ず、その実力で評価できるようになるだけで、ずいぶんと解決できる問題なのかも知れん。が、こいつは政治問題以上に難しいんだよなぁ。
お礼
回答ありがとうございます。 回答によりますと、低収入な人のうち ・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 ・就職に強い大学に進学をしなかった。 ・大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。 ・就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動したetc… な人は2~3割ということですね。 今現在回答されている方の中では極めて少ないですね。
- Nannette
- ベストアンサー率26% (1499/5697)
おはようございます・・・・・ 「低収入な人」の何割ぐらいが「本人の人生の妥当な結果」であると感じますか?・・・・ それはわかりません。 なぜなら、「割合」を算出できるほど多数のサンプル、つまり、たとえば周りの大勢の人たち・・・について、一般常識的なレベルに比較して「低収入な人」であるのかないのかを知るすべがないからです。 さらには、「本人の、これまでの人生の歩み方やあり方」を正確に把握し、一般常識的なレベルと比較評価することなど不可能だからです。 こうした結果を出そうとするなら、サンプル数の確保や聴き取り調査といった地道な努力もさることながら、「一般常識的なレベル」とは何か・・・といったガイドラインがまず必要になります。 様々な人生パターンに細分化された膨大な状況考察について、それぞれ正しいガイドラインがまず確定できていなくてはなりませんが、それ自体の準備がありませんから。 しかも、今日の社会では様々なファクターが介在し個人に影響を及ぼすことから、収入は「本人の、これまでの人生の歩み方やあり方」に比例しないと考えられるからです。 ならば、ご注文通り主観か?・・・・ それはまったく無理でしょう、本格的な調査でさえ、上に述べたような状況にあるのに、それをさらに感覚的に捉えようとするのはまったく意味のないこと。 たしかに、感覚的には「そういうこともあるかもしれない」とは感じますが、「何割?」と言われても、感覚で割合を語っても意味がないし、データとしてなんの役にもただないでしょうしねえ。 第一、困ったことに、周りの人の中に異常なほど低収入な方が居るのかどうか、聞くわけにもいかないし、居たとしても、4つの低収入の理由のどれに合致するかまでを確かめるわけにもいかないですからね。
お礼
回答ありがとうございます。 わからない。ということで残念な限りです。 他の方にはあまり難しく考えず、直感的に回答していただけると幸いです。
低収入はある程度、妥当な結果だと思いますよ。 私は低収入ですが言い返す言葉がないですね。 ただし、高収入は妥当ではない場合が多いと考えている。
お礼
あくまで低収入に限った場合、低収入はある程度妥当な結果である。 ということですね。 回答ありがとうございました。
>低収入はある程度、妥当な結果ではないですか? あなたがそう思うのならそれでいいことでは この回答で何を期待され、どう行動されるのでしょう また、この質問のどこにあなた自身が困っているのでしょう。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 まさしく仰るとおりで一般のカテゴリでこのような質問はすべきではないですよね。 なので ・解決すべき問題ではないが、同意や感想を求める質問 [例1]×××の新作「××××」を見て、良かった点悪かった点それぞれの 意見を聞かせてください。 [例2]×××について私はこう思いますが、皆さんの意見を聞かせてください。 (【特設】アンケートカテゴリーについてより) こう言われているアンケートカテゴリで質問を致した次第です。
補足
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 補足です! この質問の主題は 「低収入な人」の何割ぐらいが「本人の人生の妥当な結果」であると感じますか? です。 回答者様の中で一番下の文「再チャレンジする制度」などに 関するご意見が多いのですが、これは今まで「再チャレンジする制度」 などについて脱線される方が多かったために記載したまでです。 これについての回答はご遠慮ください! ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
お礼
素晴らしい。非常に論理的なご意見で頭が下がります。 私の意と異なるご意見もありますが、ここまで論理的であればすんなりと飲み込むことが出来ます。 大学入学以前は、先天的なもの、親に教育方針によるところが多いため 「本人の努力」ではどうにもならないところが大きい。ということですね。 たしかに、仰るとおりだと思います。 以下は私なりの意見ですが「努力した人」が報われて、「努力した人」が報われないのが妥当である。 というつもりはありませんでした。 質問文に「努力」という言葉を使わなかったのも、その意図で 「本人」「社会」「親」さまざまな要因はあるが「結果」として上記の4つだった人が「低収入」であることは妥当ではないですか。 というところでした。 最後のまとめの部分には、思わず「う~ん」とうなずいてしまいました。