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低収入はある程度、妥当な結果ではないですか?
- 同じ世代の中で相対的に収入が低い人は、それまでの人生と比べるとある程度妥当な結果であると思います。
- 低収入の人の内8割は、勉強や就職活動において努力が不足しているために収入が低いと感じます。ただし、2割は不慮の事故や就職の困難さなどの理由で低収入になっている場合もあります。
- 政府の政策によって低収入の割合は減少する可能性がありますが、周りの低収入な人の内、どれくらいが努力不足による結果なのかは個人の主観によると思います。
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NO.6です。 >私自身は政府がこの低収入な人の割合を減らすべきである。再チャレンジする制度を作るべきであるという意見でありますので、このようなご意見もご遠慮ください。 これに対する答えですね。現在の日本社会問題の構造を検討する目的で立てられたアンケートかと思っていました。 答えの趣旨がずれていましたね。ごめんなさい。 もっと、長期で沢山の世代を考察に入れるべきでした。あらためて、質問に答えさせて下さいね。 「政府」に拘ってしまって、森を見ていなかった、私(冷汗。 尚、「%、割合」等の表示については、統計をとる手段が見つからないのでご容赦下さい。 結論から言えば、クロス・セクションでは、大まかですが「個人の今までの生き方の結果として今の状況がある」と思います。どの時代にも勝ち組、負け組みはいました。 しかし、タイムシリーズで見た場合、団塊世代より団塊ジュニアの方が、報われにくい=競争に勝つためには努力をより多く求められていると思います。団塊ジュニア世代が自分の低所得や自分が期待していた状況がえられない事に不満度が他の世代より高いと思う理由として親(団塊世代)と比べるからです。 基本的にはNO.10の方の答えに賛成です。 >勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 この答えは、先天的に頭が良かったり親に投資してもらっていたら、状況は変わっていたと思う人もいるでしょう。これは本人の努力だけではどうにもならない外部要因ですから、不条理と思っている人が多そうですね。同量勉強しても、80点の子もいれば60点の子もいます。 子供時代は、外的要因によって結果が決まることが多いです。中学時代に良い成績を取らないと進学校に進めません。中学時代までの成績の重要性は、親の教育方針に拠る所が大きいと思います。 >就職に強い大学に進学をしなかった。 これは、情報収集能力不足もありますが、中学時代、小学校からの英才教育、中学受験等と強い相関があると思います。 中学までの時期に学業の大切さを知り、進学高校に行っていれば、特別やりたい学科や、指導を仰ぎたい教官がいる場合以外、なるべく知名度の高い大学を目指すと思います。「就職に強い学部」に進学しなかったのは本人のせいですが、中高校時代からの積み重ねた学力不足により「就職に強い大学に進学できなかった」のでは無いでしょうか? >大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。 >就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動した。 この二つは、「怠けた自分のせい」だと思います。大学生にもなれば、判断力も付き情報も集めやすくなります。大人になってから判断した事なので自分のせいでしょう。 低所得(予備軍)の若い人に、「こんな風な社会にした大人が悪い。」と言う人をよく見ます。 高所得の人は「勝っても負けても自業自得、因果応報」と思うでしょうが、「低所得の人は、『あの時、ああしておけば・・・』か『社会(親)のせいでこんなに所得が低い』と思っている人がいて、後者がとっても多いと感じます。 つまり、「棚が大きくなっている」と言えるでしょう。低所得になるほど、自分の怠けた生き方のせいにしたがらない人が増えると思います。低所得なのは自分のせいだと納得している人は半分以下では無いでしょうか。
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- dell_OK
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0%かな。 低収入と、生き方の妥当性は、関係がないような気がします。 私には、なんだか、お話が難しすぎて、 これだと言えるような割合を導きだせませんでした。 生きたいように生きた結果の低収入なのだと思うし、 そのように生きたからそれ相応に低収入なのだ、 それが妥当なのだ、とは思えません。
お礼
回答ありがとうございます。 0%かな。ということは 「低収入」は「本人の人生の妥当な結果」ではない。ということですね。 皆様からのご意見に上手く対応できず かなり、質問がややこしくなってしまって大変申し訳ないです。
NO.17、NO.21です。 >具体的な例として野球選手の例を挙げますと 野球選手は結果が数字で出ちゃいますけど、 仕事の成果の数値化が難しい職業だと当てはまらないんじゃないですか? >打率の低いA選手の年俸が、打率の高いB選手の年俸より低いことは「妥当」だと思われますか? プロセスを無視するんだったら4つの条件もいらなくないですか? 今から授業です。(>_<) 急いで書いたので変だったらゴメンナサイ。<(_ _)>
お礼
3度目のかいとうありがとうございます。 野球 → 打率 ○割○厘 のように ・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった → 全体における順位( ○位、偏差値○ ) ・就職に強い大学に進学をしなかった。 → 進学した大学はどこか、その就職率( 就職率○% ) ・大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。 → 卒業までの在籍年数は何年か( ○年 ) ・就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動した → 就職先の企業はどこか。(強引ですが就職先の平均年収○円) 仕事の成果は体系的に現すことは難しいと思いますが 上記の4つ(最後はちょっと強引ですが…)は、それぞれ独立した結果として、ある程度体系的に表すことができると感じますがいかがでしょうか? もしこれがわかりにくいのであれば、ANo.20のお礼欄に示しました例における「B群の平均的な収入」と「A群の平均的な収入」について A.「B群の平均的な収入」>「A群の平均的な収入」 B.「B群の平均的な収入」≒「A群の平均的な収入」 C.「B群の平均的な収入」<「A群の平均的な収入」 のどれであるのが理想であるかでお答えいただいても構いません。
ごめん。補足。 17番さんが言いたいのは どんなに一生懸命勉強してもそれなりの大学に行けなかった奴が低収入になっちゃった。 それを本人のせいにするのは、妥当じゃない。 ってことだろ。 分からんか? 筋は通ってると思うがな?
お礼
17番様に補足していただきありがとうございます。 「一生懸命勉強」した人が「低収入」になった。 それを「本人のせい」にするのは「妥当」ではない。 ということですね。 たしかに、それは一理あると思います。 しかし、No.21での「お礼欄」に書きましたとおり 「結果」が出せなかった人が「低収入」になった。 この「低収入」は「結果」に対して「妥当」ではない。 というニュアンスでの質問でした。 質問文に『「人生の結果」「能力」の方』と書き『一生懸命努力しなかった方』と書かなかったのも、その意図のものです。 私自身のふらつきにより回答者様に誤解を与えてしまったことを深くお詫び申し上げます。ご理解いただけると幸いです。
補足
失礼しました。 お礼欄の >>この「低収入」は「結果」に対して「妥当」ではない。 は >>この「低収入」は「結果」に対して「妥当」ではないですか? の誤りでした。申し訳ありません。
Opolskieさん。はじめまして。 ぱっと見た感じ、3割ぐらいかな。 ところで 妥当ではない高収入 妥当な高収入 妥当ではない低収入 妥当な低収入 のうち、妥当な低収入を選択したのはなんで?
お礼
回答ありがとうございます。 >>ぱっと見た感じ、3割ぐらいかな。 ということは低収入な方のうち ・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 ・就職に強い大学に進学をしなかった。 ・大学に進学してもしっかり単位を取らなかった。 ・就職活動中において自分の将来についてしっかり考えず、適当に行動したetc… このような条件に当てはまる方は3割だということですね。 >>妥当な低収入を選択したのはなんで? 「妥当ではない低収入」は質問文に示しました2割の方ですので、今回は「低収入」な方に注目した質問ですね。 「高収入」な方に注目した質問も機会があればしたいと思っていますので、その際には是非ご協力ください。
NO.17です。 >もし妥当ではないというのであれば、なぜ妥当ではないか。を回答していただけると幸いです。 >(わがままを言わせていただければANo.15の方のように論理的な文章であれば、非常に助かります) ANO.17に書いてあります。(>_<) だれか、論理的に書き直してください。<(_ _)>
お礼
補足ありがとうございます。 私の理解力不足・説明力不足でした。申し訳ございません。 以前の回答においての「妥当ではない」理由は 「一生懸命頑張った"頭の悪い子供"」と「頭のいい子供」にはどんどん差が付く。 だから妥当ではない。ということだったのですね。 これは「一生懸命頑張った」かどうかが基準で「一生懸命頑張った」のに「報われない」のは妥当ではない。 という論理であるとお見受けしました。 たしかに「努力」についてみると、それは仰るとおりの部分があると思います。 しかし、今回の質問の意図は「結果」について「低収入」であることは「妥当」ではないですか?でした。 それが「努力の末の結果」であろうと「適当に出した結果」であろうと 同じ結果は同じ基準としてみた場合「妥当」ではないですか? と言うものです。 具体的な例として野球選手の例を挙げますと A選手-毎日10時間一生懸命練習する選手、試合数50 打率.230 B選手-週に20時間適当に練習する選手、試合数100 打率.312 この2人の年俸が A選手-5000万円 B選手-1億円 だった場合。 一生懸命努力するA選手の年俸が、適当に努力しているB選手の年俸より低いことは「妥当」だと思われますか? というのではなく 打率の低いA選手の年俸が、打率の高いB選手の年俸より低いことは「妥当」だと思われますか? というニュアンスで質問いたしました。 このような行き違いは多くの方にお礼文をお書きしていくうちに私のスタンスに多少のぶれがあった所為によるところが多いと思います。申し訳ありません。 その点をご理解いただけると幸いです。
- DQragnarok
- ベストアンサー率30% (29/96)
NO.18です。少しだけ言い残したことがありますので補足させて下さい。 妥当だとは思えない理由の1つに”評価”があると思います。 評価にもいろいろあると思いますが、この質問ではかなり限定され過ぎている。 それだけでは妥当だとは思えないのではないのでしょうか? 妥当だと思わせるにはそれ相応のと言いますか相当の罪悪がなければ、 因果を含めるのは難しいと思います。 本人が得心しなければ周りが何を言っても、 この質問の場合強者が弱者をいじめている構図になってしまうでしょう。 そもそも人が人を評価することにも疑問が残りますし、 その方法に至っては議論する気も起きませんが、 それを言い出すとキリがないので止めて置きます。 ですがコメントはいただきたい。w ちなみに私もSeiron04様と同様「低収入」ではありません。 (高収入でもありませんが。w) ★納得できないことを無理強いする社会に辟易しています。 とにかく、ストレスを減らしてください。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 なるほど。 回答をお見受けする限り、DQragnarok様の仰っている「妥当」とは 「低収入である本人」が「妥当」であると思うかどうか。でお話されている部分が多いような気がします。 私の質問の意図としては回答してくださる方が、「低収入」な人が「低収入」であることに妥当だと思いますか?だったので、「低収入である本人が納得いくか」ということは一切考えておりませんでした。 質問文の表現が悪く申し訳ありません。 単純に言うと A群- ・中学・高校で成績が上位30%以内 ・大手企業希望の生徒が多くが大手企業へと就職している大学に進学 ・大学では単位を落とす事無くストレートに卒業 ・就職活動でそれ相応の企業に就職した人 B群- ・中学・高校で成績が下位30%以内 ・大手企業希望の生徒のうち大手企業へと就職した割合が少ない大学に進学 ・大学では単位が足りず留年 ・就職活動で適当に就職先を決めた人 を比べた場合 B群の平均的な収入>A群の平均的な収入だった場合。 それは>>「妥当だとは思えない」ということですね。 つまり、B群の収入≒A群の収入、B群の収入>A群の収入のいずれかであることが望ましい。ということですね。 参考にさせていただきます。
補足
失礼しました。 最後の行から5行目 >>B群の平均的な収入>A群の平均的な収入だった場合。 は B群の平均的な収入<A群の平均的な収入だった場合。 こちらの間違いでした。
- Jurimika
- ベストアンサー率18% (13/71)
興味深く拝見させて頂いています。 数ヶ所気になっています。 NO.8 非常に分かりやすい回答ですね。 こういうのを「分かりやすい」と言ってしまうのはどうかと思います。 NO.13 >「それぞれのときにやるべきこと」を「やったか」 その「やるべきこと」が「本当にやるべきこと」なんでしょうか? NO.14 >たしかに仰るとおりで万人が万人全てが納得いくことはとても難しいですよね。 確かにそうなんでしょうけど納得いく人の数は多いほうがいいのではないでしょうか? この書き方ですと >>高収入や勝ち組の人の中にも~多いと思います。 がレアケースのような印象になってしまいます。 (1)>何を-今おかれている状況が妥当であると (2)>認めずらいのではないかな。と思ったのですが、あまり決め付けは良くなかったですね。 これですと「今おかれている状況が妥当であるという現実があるのに認めない」と取れてしまいます。 回答者様は「今おかれている状況は妥当ではない」と言っているようですので(1)の時点で異議があるのではないでしょうか? >少なくとも、普通の学校を卒業する為には「勉強の単位」を取得しなければ出来ないですよね。 これと >・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 >・就職に強い大学に進学をしなかった。 こちらではかなりの差があるようですが・・・。 「学校」=「勉強」とも思いたくないですし、「単位」を取りに行っているというのも寂しい気がします。 >それでも行くというのであれば、その結果として低収入になったとしても、それにはある程度の妥当性はあるように感じます。 「ある程度」という言葉は使って欲しくありませんでした(指摘がしづらいです。w) 「低収入」になってしまうのは「ある程度」ではないような気がします。 質問者様は総じて人間の「弱さ」や「脆さ」へのいたわりや思いやりに欠けるのではないでしょうか? または、まわりにひどい人が多いのでしょうか? 全ての回答を読ませていただいた結果、8~9割と答えなくてはならないトリックめいたものを感じつつ、泣く泣くですがお答えします。 8割
お礼
ご指摘ありがとうございます。 あまり詳しく細くしますと議論的になってしまいそうなので 簡単にですが、補足させてください。 >>NO.8 「何割だと思いますか?」という質問に、横道に反れることなく「95%です」と答えてらっしゃる。 これについて「わかりやすい」と表現いたしました。 「0%です」とお答えいただいても「わかりやすい」と表現したと思います。 >>NO.13 学生のうちは勉学に励む。大学では単位を取る。就職活動では、よりよい就職を目指す。 これらは「やるべきこと」であると言っても過言ではないと思います。 >>NO.14 これについては人間、本人にとって「好都合な事実」は「これは妥当である」と受け入れやすいですが、「不都合な事実」に対しては(映画のタイトルみたいですが…)は「これは妥当である」とは受け入れにくい。 というニュアンスで書いたものです。 >>「学校」=「勉強」とも思いたくないですし、「単位」を取りに行っているというのも寂しい気がします。 「学校は友達を作りに行くところ」「学校は青春の舞台」などの意見は情緒的には正しいご意見かと思いますが 現実として「部活動」などは任意参加で、そこで所定の成果を挙げられなくとも「学校」を「卒業」することは出来ると思います。 しかしながら、「勉強」して「単位」を取得することが出来なければ、学校を卒業することは出来ない。 基本的に学生の本分は「勉強」なのではないでしょうか。 >>質問者様は総じて人間の「弱さ」や「脆さ」へのいたわりや思いやりに欠けるのではないでしょうか? >>または、まわりにひどい人が多いのでしょうか? 私の意見が日本では「世間的」に「いたわりや思いやりに欠ける」という印象を持たれる可能性はあると思います。 ただ、私は出来るだけ「それを言っちゃあおしめぇよ」と言って「現実」を見ることを避けるというようなことはしたくないです。 今回の「極めて限定的な条件」については、多くの方が8割前後と言われている結果を見る限り「現実論」として「低収入の人は結果についてある程度の妥当性がある」は、全くもって間違いというわけではないかな。という印象を今のところは持っています。
- DQragnarok
- ベストアンサー率30% (29/96)
よこやり、失礼します。 Seiron04さんはもう回答なさらないようなので、勝手に解釈します。 規約違反かもしれませんが、回答もしますので目をつぶってください。 そもそも世の中の仕組みが「妥当」ではないのだから、その上に成り立っているものは全て「妥当」とはいえない。 これならお二方の平行線の説明がつきます。 その「妥当」ではない世の中を上手く渡るためにのみとる行動こそが「理想」からみれば「妥当」ではない。 多分Seiron04さんは”人間は理想を追い求めていくべき”という、なんというか「信念」のようなものをもっているのではないでしょうか? 私もSeiron04さんに考え方は近いです。 「好き勝手やってきたんだから、その報いは甘んじて受けろ」というのは一理ありますが、一理でしかありません。 「夢」がない若者が増えていると聞きます。 「夢を追っている」若者がこの質問を見て「こんなことしてらんねぇな」と思ってしまうかもしれません。 (書かれていることが難しいので誤解する可能性がある) 「理想主義者」と「現実主義者」の議論は腐るほど見てきましたが 「頭」は置いといて「心」は「理想主義者」に軍配を上げたいと思います。 この条件の厳しい質問の回答ですが、9割ぐらいとしかお答えのしようがありません。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかにSeiron04様との間で平行線になっている部分もあったのかもしれませんね。 そして、その理由のひとつが「理想主義者」と「現実主義者」の違いであるというご指摘も、理解できる部分があります。 「日本では、政治を情緒的に論ずる慣習が官民を問わずにあります。」 これは以前、私の質問にお答えいただいた方の弁なのですが、私も政治に限らず日本人は情緒的に考える傾向があると思います。 私は出来るだけ「情緒的」にも考えますが、それとは別に「現実的」な視点でも物事を見たいと感じています。 その点で「現実的」よりも「情緒的」に物事を考える傾向がある方との間で、相容れない部分があるのかなと考えています。 (情緒的に考えることに否定的であると思われるかもしれませんが、両方の視点が必要だと思っています。 しかしながら、今回の質問は「現実的」な視点で質問をしました。) また「夢」については、私自身としては今の日本は「夢バブル」と言えるのではないかと考えています。 ・「夢を追っている人」に対して「現実を見ろ」と指摘をすること ・「現実を見ている人」に対して「夢を見ろ」と指摘をすること 今の日本社会では、後者のほうが前者に比べて「いいこと」とされている気がします。 本当の心からの夢を持つ人は、その夢に向かって突き進めと思いますが 「憧れ」だとか「移ろい」「流行」などに乗った中途半端な「夢」に向かうことで「現実」が見れなくなることについては懐疑的なスタンスです。 最後になりましたが この厳しい条件の「結果」については、9割程度の人に当てはまるということですね。 回答ありがとうございました。
こんにちは。(^.^) 塾でバイトしてます。 >・勉強が本分である中学・高校時代にしかるべき勉学をおこたった。 私の生徒でも一生懸命勉強していても「多分大学には進学できないだろうな」っていう子はたくさんいます。 いろいろ工夫したり努力したりしてますが、いわゆる「頭のいい人」←(ツッコまないで!) とはどんどん差が開いていって本人や親・先生たちの力ではどうしようもないです。 なのでこの質問はヒドイです。(>_<) 私は生徒と接するとき、「納得してるのかな?」と考えています。 だからこの質問の答えは・・・本人が納得している割合・・・です。 「勉強のできた」あなたには「勉強のできない子」の気持ちは分からないと思います。
お礼
ご指摘ありがとうございます。 たしかに仰るとおりで「道理的」「道徳的」な見地でみると この質問は「弱者を切り捨てる」ように捉えられることも出来ると思います。 これについて >>この質問はヒドイです。(>_<) という印象をもたれるのもわかります。 ただ、私は出来るだけ「現実」を見たいと思っています。 「先天的」「親による方針」「本人の努力」など要因は様々ですが 「結果」についてみた場合、低収入な方はある程度妥当であると思います。 もし妥当ではないというのであれば、なぜ妥当ではないか。を回答していただけると幸いです。 (わがままを言わせていただければANo.15の方のように論理的な文章であれば、非常に助かります)
- rocknrose
- ベストアンサー率29% (59/203)
no.6ですが、追加です。 >私自身は政府が・・・・。とありますが、私は政府が上から発動、命令する事のみを考えていた訳では無いのですよ。その証拠に、「社会」と言う言葉は使っても「政府」と言う言葉は一度も使っておりません。私の意識では、社会の方が政府より強い影響力を持つと感じている事も多いです。 アメリカの様に他民族国家であり、常に移民を受け入れ社会の「常識」が無い場合、政府は「法」によってルールを全ての人に押し付けて管理しなくてはなりません。 しかし、日本はホモ・ジニアスです。長い歴史の中で出来てきた価値観や共通意識が存在します。この場合は、大きな「政府」や厳しい「法」を必要とするアメリカと違います。社会と言う枠組みそのものが、機能を果たす場合もあります。 イギリスは、政府が下に押し付けなくても、自動的に「階級性」が成り立っている国です。 国家のシステムは、政府だけによって作られる物ではありません。 どこかの日本の大企業が「年齢、性別関係なく、実績と学歴だけで中途採用します。」と言うことも可能でしょ。 社会と政府は違うと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 ・政府だけでは国家のシステムが作り上げられるものではない。 ・社会の方が政府よりも強い影響力を感じていることも多い というご意見、なんとなくですがわかる部分があります。 rocknrose様の意とは違うかもしれませんが 日本における「世間」の存在について私も思うところがありました。 ただ ・私自身は政府がこの低収入な人の割合を減らすべきである。再チャレンジする制度を作るべきであるという意見でありますので、このようなご意見もご遠慮ください。 この文は、「格差の解消法」のような私の質問の意とは異なる道に脱線されないよう、殆ど推敲せずに10秒くらいで書いたものなので 出来れば、これに対するご意見はまたの機会にお願いいたします。
お礼
素晴らしい。非常に論理的なご意見で頭が下がります。 私の意と異なるご意見もありますが、ここまで論理的であればすんなりと飲み込むことが出来ます。 大学入学以前は、先天的なもの、親に教育方針によるところが多いため 「本人の努力」ではどうにもならないところが大きい。ということですね。 たしかに、仰るとおりだと思います。 以下は私なりの意見ですが「努力した人」が報われて、「努力した人」が報われないのが妥当である。 というつもりはありませんでした。 質問文に「努力」という言葉を使わなかったのも、その意図で 「本人」「社会」「親」さまざまな要因はあるが「結果」として上記の4つだった人が「低収入」であることは妥当ではないですか。 というところでした。 最後のまとめの部分には、思わず「う~ん」とうなずいてしまいました。