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越後屋とは?

越後屋を辞書で調べると以下の説明が得られます。 # 江戸日本橋駿河町にあった三井家経営の呉服店。 # 延宝元年(1673)三井高利が江戸本町に開店したのに始まり、 # 現金掛け値なしの商法により発展。現在の三越の前身。 ということは日本橋にあった1つのお店だけをさす固有名詞ということになります。 しかし現在では、「越後屋」を名乗るお店や組織が無数にあります。 ちなみに三河屋はWikipediaには以下のような説明がありました。 # 三河屋(みかわや)は、商号及び屋号の一つ、または、酒、味噌、醤油、 # 酢など醸造された食品、及び関連する商品を販売する小売店 # の俗称として用いられる場合が多く、主に江戸時代から昭和期にかけて使われた。 越後屋も、辞書どおりの意味だけではなく、 「いろいろなものを取り扱うお店の俗称」 などの意味もあるのではないかと思っています。 この辺について何かお分かりになる方、よろしくお願いします。

みんなの回答

  • passward
  • ベストアンサー率18% (31/171)
回答No.2

越後は新潟県の古い地名の事。 そこから出てきたので、そう名乗っているだけですね。 三河屋も同じく、愛知(西部)の古い地名で、そこ出身者が屋号にしたに過ぎません。 その中で有名になっただけですね。

pringlez
質問者

お礼

ありがとうございました。

pringlez
質問者

補足

企業情報 歴史 よくあるご質問 | 株式会社三越 http://www.mitsukoshi.co.jp/corp/history_qa.html Q: 越後屋(えちごや)の語源は? A: 三井高利(タカトシ)の祖先は武士で、大和国(ヤマトノクニ)三井村を領していたので三井姓を名乗りました。高利の祖父は三井越後守(エチゴノカミ)高安(タカヤス)といいました。高安の子高俊(高利の父)は急激に変化してゆく時勢を見通して、武士から商人へと転向を決意し、弓矢をすて、ソロバンをとって、伊勢松阪に居をかまえ、酒、味噌の製造販売をかねた質屋を営んでいました。高俊の父が越後守を名乗っていたので、その店を土地の人が【越後殿の酒屋】といった。ここから越後屋という屋号が生まれました。 これを読むと三越の「越後屋」の由来は創業者の祖先の名から来ているようですね。三越以外の「越後屋」の由来がすべて地名であるということですか?

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1
pringlez
質問者

お礼

ありがとうございました。

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