法律的に必要か必要ないかと言えば必要はありません。
ANo.2が適切ですが、もう少し詳しく言えば、示談というのは契約の一種です。簡単に言えば紛争当事者が紛争を止める条件について定めた契約ということ。契約は一部例外を除き原則として当事者の合意だけで成立します。そして示談契約もまた当事者の合意だけで成立するので示談書なりの文書の存在は関係がありません。
その意味で、示談書は必要ありません。
しかし、実際には後々合意内容を巡って争いが起こることがあります。せっかく紛争解決のために示談したのにその内容をめぐってまた争いではなんとも意味がありませんね。そんなわけで後々の争いを避けるために、示談内容を文書化しておくとよいという話になります(今は示談の話ですが示談に限りません。およそ全ての契約について同じことが言えます)。
では、文書化したと言ってもこの文書は一体どういう意味があるのでしょう?内容を明らかにするため。全くその通り。そこで内容を明らかにするとは具体的にどういう場合に使うのか。一つは、当事者間で忘れないようにするという意味の備忘録。これは文書の内容について争いがないので「ほら、ここに書いてあるじゃないか」で終わる話です。なので余り気にすることはありません。問題は「いや、そんな合意はしていない」とかそんなことになったとき。こうなってしまうともはや第三者に判断してもらうしかなくなります。判断してもらう方法もまた幾つかありますが最終手段が民事訴訟。そして、民事訴訟ではこの文書というのは"その内容についての合意が存在するで‘あろう’ことを示す証拠"でしかありません。‘あろう'ですから、あくまで可能性だけであり、裁判所が実際にする判断が文書の内容どおりになるとは限りません。ちなみに、文書にも信頼性の高い低いがあって、公正証書にすると内容について公的な地位にある第三者(公証人)が関与しているだけ信頼性が高い(訴訟では証明力が高いとか言います)、当事者だけで作ったしかも署名も押印もない文書に過ぎないものでは内容の真偽が怪しい(そもそも文書自体偽物かもしれない)ということで信頼性が低い(証明力が低い)ということになります。なお、公正証書にすれば常に(債務を履行させる)強制力があるわけではありません。執行証書という公正証書にしないと強制力はありません。
とまあそういうわけですので「訴訟などの法的手段に訴える」のでない限り文書は備忘録としての意味しかないということにはなります。ただ、今は法的手段を採る気がなくても後々どうなるかは判らないのですから、確実を期すなら文書は作成するのが賢明ですし、執行証書にする必要はないにしても公正証書にしておけばただの文書よりも安心とは言えます(自分が払う方なら執行証書にしない方がいい)。
なお、お金を払ったら領収証(あるいはそれに類する支払いをしたことを証明できる何か)をもらっておきましょう。示談内容に従った金銭の支払いをしたのに「支払いがない」と後で言われた時、支払いを証明できるのは示談書ではなくて領収証ですから。示談書は示談内容を示すだけであってその示談内容を実際に果たしたかどうかまでは証明できません。
お礼
解りやすく丁寧な回答ありがとうございました。やはり示談書を用意したいと思います。また機会がありましたらどうぞご指導よろしくお願いいたします。