- 締切済み
もし、王貞治がスイッチヒッターだったら
1000本塁打できたんでしょうか?
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- nidonen
- ベストアンサー率55% (3658/6607)
> スイッチヒッターになろうと思えばできるのでしょう 私は、王がスイッチヒッターになれたかどうかについてではなく、 「 1000本塁打できたか? 」どうかについてお答えしているつもりです。 王は一本足打法を必死の努力で身に付けたからこそ、ホームラン バッターとして開花しました。 あのフォームを固め、維持するだけでも物凄い努力を必要と したのに、さらにスイッチヒッターになって両打席でホームラン バッターとしての実力を維持するのは、現実的に不可能です。
- nidonen
- ベストアンサー率55% (3658/6607)
> 王はゴルフは右だそうです。 ゴルフを右でやっていたのは、当時は左利き用クラブがほとんど なかったことや、右利きスタンスのほうがスイングを覚えやすいと いった理由でしょう。左利きゴルファー自体、フィル・ミケルソン 登場以前に有力選手はいませんでした。 > 左打席をまったく逆にして一本足にすればどうでしょうね。 人間のカラダは左右対称ではないので、まったく逆にすることは 無理です。左右両投げの投手がほとんど皆無なのはそのためです。 また現在でもスイッチヒッターは減少傾向にあり、片方の打席に 専念するほうが確実という風潮が高まっています。
お礼
投げるのと打つのはずいぶん違います。もちろん完全に裏返しは無理ですが。左打席の練習時間だけでいっぱいいっぱいだったか、反対もやると悪影響が出るか、もしかしてでないと思ったんですが、苦しい感じかもと思えてきます。でも、ゴルフの例もあるので、スイッチヒッターになろうと思えばできるのでしょう(また少年時代の右打ちがある)
- nidonen
- ベストアンサー率55% (3658/6607)
間違いなく減ったでしょう。一本足打法では左右の脚のバランスが 偏るので、スイッチヒッターには向きません。スイッチヒッターは ほとんど足を上げない打ち方をしますからね。
お礼
王はゴルフは右だそうです。それとは比較できないのかもしれないですが、左打席をまったく逆にして一本足にすればどうでしょうね。かえって、両打席のバランスを保ったり調整できたりでいいのではないでしょうか?
最初はやはり左が苦手で、最初の五年は打率、269 それを慣れと研究心で克服して、以後の五年単位では、 →294→309→325です。 左投手相手の通産打率、299 右投手相手の通算打率、308 これでみると、スイッチヒッターに転向することもなさそうです。 だから答えは、「本塁打数はほぼ変わらない」
お礼
最初の苦手がもしかしてなかったら、もっと速いペースで量産できていたとかあるのではと。でも、左対策というのも確実にやっていたのですね。本塁打に限ってみてもやはり変わらないんでしょうか。
(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・。 ま、出来たかもしれないし、出来なかったかもね。 ちなみに、王氏は少年時代は右打ちでした。お父さんの躾の影響だそうです。 しかしある時、荒川氏(ご存じ無いならご自分でお調べ下さい。)と出会い、左打ちを勧められてから、左打者になったそうです。
お礼
荒川コーチの拘束時間が2倍になってしまうので、どうカナとも思いますが、特にスイッチにして悪影響があるとかスタイルが変わってしまうとかあるでしょうかね。荒川コーチは、あ、こりゃスイッチはやめたほうがいいという確信があったんでしょうかね。
逆に本塁打は減ったと思います。 あの人の場合、「頑固」ということで大成されたバッターで、「王シフト」を物ともせずに打っています。 ですからすから、スイッチになれば打率は上がるけど、ホームランは減って、器用なバッターで終わったとお思います。 そういえば、落合監督がラジオで、自分は骨格的には左バーターになった方が回転がスムーズだから、最初から左バッターだったら、ひょっとしたら王さん以上のホームランを量産できたかもと冗談交じりに話していましたけど、「If」という話は難しいですね。
お礼
スイッチになったらやはりプルバッターでしょうから、逆王シフト(王第二シフト)というものができると思います。それをものともせずにレフとスタンドに打ちまくるのではないでしょうか? 落合いは典型的な右バッターだと思ったんですが意外な話です。
- Turbo415
- ベストアンサー率26% (2631/9774)
まあ、無理だったでしょう。 よく、ホームランを狙わないで、ヒット狙いで行けば4割近く打てたかもとは言われますが、これなら現実味があると思いますが。
お礼
そうでしょうか?べつに大きく打撃スタイルは変わりませんね。
お礼
かもしれないし、もしかしたらできるのかもしれません。現実は、やらなかったかできなかったかやる意義を感じなかったかわかりません。おっしゃるとおり、維持管理にはすさまじい努力が支えていたということでしょう。それが果たして「片方打席」の賜物なのか、あるいはそうでなかったのか、よくわかりません。