まぁ、江戸末期から明治時代に神仏混同しちゃったんでしょう。元々神道は他宗教と混同しやすいですから。(古くは陰陽や宿曜等とも混同しましたしね)
よく当たるのが、いい神社(神社だけではなくて他の宗教施設も同じです)とは言えないと思いますね。(たまたま)よく当たる分占いをその言葉そのもので直接商売化してしまいますからね。
元来東洋系の占いとは農業のための観測と仮想の科学です。例えば雨で言えばモンスーンの科学力がなかったが故に龍によるものだとか(但し、龍の形を考えた時、広範囲で雲の形を観測した気はしますね。南からの湿った空気で龍の足に引っ掻かれたら、大雨ですからね)世の物質とは木と火と土と金と水でできているとか(火と土と水だけなら半分正解だったんですが)そこから想像を膨らませて、民間宗教化し、体系を作っていったのが東洋系の占いです。そして、宗教やその軽い版の占いとは言葉で心の芯を持ち希望を持って努力するその材料の一つとして考えるべきもので言葉そのものを信じても意味はないと思いますよ。
自分がよく行く神社の暦には吉運欄には必ずこういうことが書いてあります。「運勢は盛運です。しかし、盛運は努力して得るものです。あなたの今の状況を努力して改善するよう計画してください」と。つまり人が努力しないと運勢は得られないと書いてあるんですよ。と、言うことは偶発的に起こる出来事は占いによる運勢とは関連性がない(但し、その人本人の継続的な努力=この場合運勢 とは大いに関連があると言えますが)ということでもあります。
あとは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」。信じる信じないはその人の自由でしょう。
お礼
回答ありがとうございます! そうですよね。 努力もしないで霊や占いに頼ってたんじゃ絶対に解決しませんよね。 できるかぎりのことをやります。 本当にありがとうございました!