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プラカードを持ったキリスト教広報活動について
初詣でごった返した神社や寺の付近や、年末は大きな駅の近くに 「神は永遠の命を与える 聖書」などと書いたプラカードを持っ た人や、「聖書の言葉です。イエスは我々の罪のために・・・」 とテープで流している人が目に着きます。 あれは一体、何なのでしょうか。 エホバの証人の信者が冊子を持って駅前に立っていることがあり、 あれの年末年始版なのですか。 ずっと昔から疑問に思っています。おわかりになる方、何なりと お願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
キリスト教(特にプロテスタント)は,そのような宣伝,広報活動は一切しておりません。恐らく統一協会(教会?)でしょう。統一教会やものみの塔(エホバの証人)は,キリスト教とは一切関係ありません。 また,特に統一教会は,一度入り込むと,洗脳されて出て来れなくなるみたいなので,気を付けて下さい。そういう例が多数あるので。 もしキリスト教(私はプロテスタント派なので,プロテスタント)の事を知りたいのでしたら,色々なホームページを見てみると良いでしょう。 プロテスタントと検索すれば,出てくると思います。
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なんとなく説明できることかもしれませんので、書いてみます。 でも、私は信者ではないので、自信はありません。一つの見解として読んで頂けたらと思います。 まず「信仰」は信じている方にとっては、大切な「命の水」だということでしょう。 本物の信者はこれを基準にして毎日生きていると言っていいでしょうね。 つまり「聖書・信仰・神の愛」は信者にとっては生きるための「道しるべ」といえるでしょう。 彼らの日常生活の判断・行動基準は、全て聖書のなかに書いてあるものと思われます。 質問者の方が遭遇した彼らのスピーカー宣教の趣旨は、想像するに、 「人は生まれたときから罪を背負い、誰でも死ねば地獄へ堕ちる。 神の子イエスは人間のその罪を全て背負い、十字架にかかり血を流した。 だからイエスを信じれば全ての罪は許される。 そして天国へ導かれ、神の子として永遠の命をさずかる。 そして、いつかこの世に終わりが必ず来る。 だから人々はその前にイエスを信じ、罪を悔い改めなさい。」 神様はあなたを愛してくださいます。 ・・・といった感じだったでしょうか。?どこでも見かける内容ですが。?・・・ 聖書には信者は福音を世に「宣べ伝えよ」と書かれているようです。 福音とは「良きお知らせ」という事のようです。 彼らのスピーカー宣教は彼らにとっては当然「良きお知らせ」となるわけです。 信者はこの福音伝道活動をすることに義務を負い、 神に忠実に生きることで、信仰の喜びを見いだします。 また、そのことによって自分が信者である「証」や「証明」を世に立てているわけです。 宣教にイエスが出てくれば、彼らの信仰はキリストですが、彼らの街頭伝道の行動は、 信仰の習慣をもたない私たち日本人には捉えがたく、また理解しがたいものであり、 そして誰にとっても、とりつきにくいものとなっていると思います。 文化が違うのだから、このことは仕方のないことだと思います。 この質問にはあまり関係ないことですが、私自身もこの宗教思想は具体的によく理解できません。 たとえば、 キリストが神なのか、マリアが神なのか、エホバが神なのか、聖霊が神なのか、 そして悪魔の存在の是非、全知全能の神、全ての創造主論と進化論との対立、 聖書の解釈に対する違い、死への喜び、偶像崇拝の拒否、学校体育授業参加拒否、 修学旅行等参加拒否、煙草・酒嗜好の拒否、輸血拒否、国旗・国歌・校歌の拒否、 うろこのない魚を食さず、献金と目した教会での財産寄付・お金集め主義などなど・・・ これらの理念そのものが科学的に証明できず、かつ「多種多様」なキリスト・エホバ信仰思想は、 枝分かれした宗派によって異なるため、私を含めた日本人にすべて理解できる人は少ないと思います。 しかし日本では、法によって「言論の自由」「思想・信条の自由」が保証されているわけですから、 彼らの宣教活動を全面否定することはできないでしょうし、 住民や大衆の危害にならない宣教活動であれば問題にはならないでしょうね。 大きな駅の近くは良いはずですが、初詣でごった返した神社や寺の付近での彼らの行動は、 日本人の私たちには、まず異様と受け止められても仕方のないことですね。 でも彼らは、絶対にそう思ってはいないと思いますよ。 ひとりでも人が多いところでの宣教活動は、彼らにとっては好都合なわけですからね。 右翼の街宣車にも、同じ事がいえそうです。静かにしていて欲しいってね。
お礼
>この質問にはあまり関係ないことですが いやいや,私も感じていることを書いてくださり,興味深く拝見しました。 私もこれらのことは,何を根拠としているのか,そしてなぜ正しくて,また 一方は間違っているか,など考えれば考えるほどわからなくなると感じてい ます。もちろん,だからといって関わる気はありません。 >法によって「言論の自由」「思想・信条の自由」が保証されている そうですね。だから,参拝客の整理のために立っている警察官も文句は言え ないし,法的な措置は当然取れません。ただ,あれを目に耳にする人間が害 を受けないように,各自が精神を守らないとならないと思いました。
- shoyosi
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わたしも興味があって、かれらの説諭することを聞きましたが、内容は終末思想を説き、キリストを信じるものだけが救済されるものでした。誰からも文句の出ないキリスト教だけの看板ですし、内容が統一協会の「原理講論」に酷似していますので募金・信者集めの統一協会の別働隊である可能性が強いと判断しています。
お礼
どうやら統一教会の活動という線が強いようですね。 一時期,合同結婚式などがテレビでも放映されていましたが。 >内容は終末思想を説き、キリストを信じるものだけが救済されるもの >でした。 そうです。神に仕える者だけが救われると,しきりにそこが 耳に着きます。 しかし,ああいう形で宣伝し,何だろうと思わせて目を引か せること,それこそが既に「洗脳行為」の一歩なんですね。 統一教会の「原理講論」 もちろんそんなものに手を出す気 はありませんが,知識として題名を覚えておきます。
- old98best
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1の回答の方は、誤解しているか、嘘です。 クリスチャンが嘘を平気で付けるはずが無いので、誤解しているのだと思います。 質問者の言っている連中は、たとえば明治神宮の初詣の混雑のなかでスピーカーで強制的にたわごとを聞かせている、非常識な連中の事です。 神社の神域の中で、そのような事をするのですから… あれは、エホバの証人ではありません。 韓国系の異端な者達の集団です。 ただし、統一心霊協会とは直接のつながりは無いと聞いています。 スピーカーで強制的に、聞きたくもない人に戯言をきかせるという暴力は、エホバの証人も、ものみの塔も、さすがにやりません。 日本人なら、良識がありますから。
補足
ご回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、 >質問者の言っている連中は、たとえば明治神宮の初詣の混雑のなかで >スピーカーで強制的にたわごとを聞かせている、非常識な連中の事です。 こういう人のことです。スピーカーで流している内容をたわごとと 質問者が言うと、角が立ちますので何とも言いませんが、 そうです、 >神社の神域の中で、そのような事をするのですから… とのご指摘通り、どうして初詣に神社や寺に来ている人に、聖書と か偶像崇拝がどうとかいうのかが疑問です。 少なくともエホバではないのですね。韓国には派生したキリスト教 の信者が多いことは確かに聞いたことがあります。
エホバの証人はキリスト教ではありません。 さて私も昨日、繁華街でそれらの方々をみました。 あれは路傍伝道といい、多くのひとがあつまるところで 神の言葉を伝えるためにやっていると思います。 私は以前、関東にいましたが引っ越す前は駅前などで 路傍伝道をしていました。トラクトと呼ばれる小さなビラをくばったり 賛美歌を歌ったりです。そうして一人でも多くの人に神様のみ言葉を 伝えるのが目的です。実際、そのようなきっかけで教会にこられる方も いらっしゃいます。 夏などに大きな大会があったりするときは私も新宿などでも 伝道しましたよ、やってるほうは全然恥ずかしさとかないです。 おおせの方々も多分、教会の方々だと思います。 エホバの証人は基本的にものみの塔、目覚めよ、という小冊子を 配っているはずです。 一般の方からみれば奇異にうつるのでしょうが、 私たち(クリスチャン)からすれば新年から 路傍伝道で大変だな、頑張ってくださいという感じです。
お礼
真のキリスト教徒の方々の路傍伝道とは異なる活動で,その活動に対して 誤解を生む`偽'キリスト教集団の仕業のようです。 そういえば,托鉢僧のふりをした勧誘坊主も街角にいます。 オウムを始めとして,法の華などなどと,わけのわからない新興宗教のせ いで,真面目な信徒の方々が迷惑していることが見えてきます。
お礼
ご回答,また忠告をありがとうございます。関わる気はさらさら ないのですが,とにかく「一体あれは何?」という素朴な疑問を 持った次第です。 No.1の方が書いてくださったような活動とは違う,あのような宣 伝活動は,聖書の一節を利用している特殊教団の仕業のようです ね。そして,それは韓国系の`偽'キリスト教集団の活動というこ とがみなさまのご回答からあぶりだされてきました。
補足
回答を寄せてくださったみなさま,本当にありがとうございました。