なるほどなるほど、ご夫婦で見解の相違ですね。よくあることです。(^。^) これはsubway2001さんご夫婦それぞれが育ってこられた文化の相違だろうと思いますので、話し合いによってどちらかの文化を選択する以外ないでしょうね。伝統的な文化、風習も今は徐々に崩れつつある時代です。「車に注連飾り」も昔ほど見かけなくなりましたものね。旗日にも旗を掲げる家は年を追うごとに少なくなっているようです。
>「なんで車にしめ飾り?????」
この疑問そのものこそsubway2001さんの「文化」であり、その文化によって養われた「感覚」そのものです。いいとか悪いとかの問題ではありません。同じように、「車に注連飾り」はsubway2001さんの奥様の「文化」であり「感覚」なのですね。注連飾りの持つ由来や意味自体はNo.2でtatikaeriさんがご回答なさっているとおりです。
>私は車にお守りも付けるのもが嫌いで、~~は長持ちしています。
これについても何かの勘違いがあると思うのですが、お守りをつければ無事で、つけなければ危険の確率が高くなるということはないのですよ。「正月に三社参りを終えて車での帰途、交通事故で家族全員死亡」という悲痛極まりない事故が時折新聞等に載りますが、交通事故から身の安全を守ってくれるのは神様でも仏様でもありません。「本人自身の心がけ」だけなのです。勿論本人自身の心がけが良くても相手の不注意によって事故に巻き込まれることがありますからそこらあたりは注意を要しますが、いずれも神仏の為せる業ではありません。お守りの霊験は本人の気の持ち方ひとつです。「これを持ったからには少々手荒な運転をしても神様、仏様が守ってくれる」と思うのか、「これを持った以上は神仏に誓ったのだから慎重な運転を心がけよう」と思うのか・・・
>私の変なイメージについても結構です。
subway2001さんは決して「変なイメージ」を持たれているのではありません。ただ、奥様とは育ってきた文化・習慣が違うだけです。また「お守り」も、それ自体は何の霊験も発揮してはくれません。本人の心がけや、その人自身の持つ「運」などでその後が決まると考えた方がよさそうです。そしてその「運」を良くしたいと、人々は神社や仏閣に出かけては神仏に願をかけたり、護符をいただいたりするのですが、そこまでが人間の文化、習慣であり、その願いが届くかどうかについては人智の遠く及ばないところとなっています。思いどおり、願いどおりの人生が送れればそれに越したことはないのでしょうが、神様、仏様は時折我々人間の思いも設けぬことをなさっては毎年毎年多くの人々を神社仏閣へいざなわれるようです。
お礼
アドバイスありがとうございました。 二人の育ってきた文化、風習も育ってきた風土も全く異なるのでいつも驚きばかりです。 お守りの勘違いの件は、このように言われるかもなぁとは思っていました。 お守りなどの意味合自体もよく理解していませんので・・・ お守りは本人の心がけを持たせるためで神、仏さまは関係ないのですか・・・ そういうものだったのですね。 お礼が遅くなり失礼いたしました。