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さびない美しさ

音楽を例にします。 バッハやベートーベンなど。数々の優れた作曲家の作品がさびず数百年経ったいまでもなお美しく心に響くのはどうしてでしょうか? 色々ご意見頂ければ幸いです。

みんなの回答

  • kenta58e2
  • ベストアンサー率74% (2483/3311)
回答No.4

それはやはり、何よりも 「(ほぼ)万人受けする」 (芸術としてのハードルの低さと出来の良さ?) 「聞きたがる人がどの時代にも必ず居てる」 (時代を超えたニーズの継続?) 「演奏する側が必ず手に取る」 (ニーズがあるからという側面もあるだろうけど、演奏側も選びたい?) 等々の利点で、まぁいろんな意味を含めて『優れた作品』だからでしょう。 言うまでもないですが、バッハの時代でもモーツァルトの時代でもベートーベンの時代でも、そして現代でも、作曲者というのは『掃いて捨てるほど』存在してるわけで、生み出される作品量も今も昔も半端ではないわけで、その生み出された時代(作者存命中)でも、それ相応の『淘汰の戦い』はくぐっているわけです。 にもかかわらず、作曲した本人の時代より後生の時代でも、その時代の最新作の挑戦も退けて生き残ってきた…ということは、言えるわけです。 まぁ、もちろん中には、存命中やそれ以降も長く埋もれていたけど、後生に発掘されてスタンダードに登りつめた作品や作曲者もありますし、そもそも作曲された時代に勝ち残ったのは、パトロンや業界の「大人の力関係」によるもので、ほとんど「大人の事情」や「運以外の何物でも無し」というようなことも、個々のエピソードとしてはあるとは思いますけどね。 それでも、なんだかんだ言っても、人の淘汰や時代の淘汰をなんとかくぐり抜けてきたのは、それだけ「どの時代でもみんなが良いと思うもの」「みんながまた聞きたいと思う物」だけだ…ということは言えると思います。 それだけ、誰でも「美しい」と思える物だけが、他を淘汰して生き残ったという事でしょう。

noname#80753
noname#80753
回答No.3

私達は花を見て美しいと思いますが、本当に花が美しいのか、それとも人間がそう思うだけなのかどっちだと思いますか? 花が美しいのは花自体が美しさを持っているのが半分、それを美しいと思う心を持っているのが半分でどちらも本当だと思うのです。 人間の作るものの中には意図的であれ偶然であれ美しいものがありますがそれは人間の営みの中にも花が咲くような大きな自然の流れがあるからかもしれないと思います。 でクラッシックがさほど古びずに聞ける理由ですが、演奏家や楽器の工夫もあると思いますしそれほど音楽の意味や語彙が当時と変ってないからかなとも思います。 なお私は日頃から錆びたものの中の美しさに見とれる事がしばしばあります。 そういう面も実は音楽にもあるのかもしれません。

  • uu11212891
  • ベストアンサー率23% (266/1132)
回答No.2

現代では人の趣味 嗜好 流行に合わせないとメディアの表には 出れないので人々に聞いても貰えないし生活も出来なくなります、 なので売れる事が一番になってしまいます。 バッハやベートーベンの時代はパトロンに抱えられ純粋に芸術に専念 出来ました、勿論そうではないウケル為に一生懸命なモーッアルトの 様な作家も居ますが、彼は本当の天才なのでしょう。

noname#68350
質問者

お礼

回答者様がおっしゃるのは芸術の質ですね。 だけれどやはりどの時代においてもオーケストラのようないわゆるクラシックと区分される音楽は富裕層のたしなみなのでしょう、そこは現世でも変わらない気はします。 回答有難うございました。

  • nc31
  • ベストアンサー率24% (45/185)
回答No.1

音楽は生きているからほかの芸術とは違います。 例え楽譜通りの音楽会でも演奏者や指揮者や楽器、 そして演奏される環境や聴衆すべてが常に新しい音楽を生み出しているのです。 だからほかの芸術に比べて新鮮で生々しくファンも多いのではないでしょうか? 絵や彫刻などは私にはわかりませんw

noname#68350
質問者

お礼

確かに人それぞれの解釈があります。 ただ、決して曲げてはいけない根本の意図というのは在ると思います(でないと作曲家が幽霊になって出てくると思います) 回答者様のご意見、一理あると思います。回答有難うございます。