• 締切済み

愛してないのかも?

元々激しい恋愛感情があって結婚したわけではありませんでした。 いきさつは省きますが、恋愛感情はそんなになくても(といってもその時は若干はありました)、ずっと一緒にいたいと思える人ということで結婚を決めました。 しかしここ最近、私は主人のことを愛してないのではないかと感じることがあります。 先にも書いたような結婚の経緯ですので、ラブラブな新婚時代を送ったわけでもありません。しかし主人に対する気持ちの中で、この人のために何かしてあげようと思えることが少なくなっていることに気がつきました。 たとえば普通なら、外で一生懸命働いてる旦那さんにおいしいごはんを食べさせてあげよう!だとか、朝もせめて送り出してあげよう!くらい思うのでしょうが、そういうことをすべて義務としてやっているような気がします。 一応それなりに家事などはしてますが、やらなきゃ怒るだろうし、世間的にどうかと思うし…という感じです。心が入ってないんです。 だからなのか、家事をするのにも楽しいと思えません。 しかし特に大きな喧嘩はないですし、出かけたりもします。仲はいいです。また一生一緒にいたいという気持ちには変わりがありません。他に素敵だと思う男性がいるわけでもありません。 なんだかこんな気持ちで妻をやっているのは申し訳ないような気もします。自分でもこの気持ちが何なのか整理がつかないのですが、似たような気持を経験したことがある人はいますでしょうか?どうやって気持ちに整理をつけたら良いでしょう? 毎日の生活を楽しむには、主人のことを心から愛さないとだめなのではないかと思う昨今です。 ちなみに私が家事をやらずとも主人が手伝ってくれますし(しかも私以上にマメです)子どもの相手もよくやってくれます。夫としては一般的には満点なのではないかと思います。

みんなの回答

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.4

40代後半、結婚20年目です。 はげしく燃え上がる恋、って 基本的に相性が悪い人同士で燃え上がることが多いと思います。 恋愛結婚は基本的に相性が悪いと。 たいてい人は自分に無いものを持っている人に恋をしたりするもんですから、 恋愛で盛り上がって結婚してみると、長所は短所の裏返しですから 思わぬところで「こんなはずじゃなかった」となりがちです。 いい関係を維持するために努力が必要になりますし、工夫も必要です。 私のところでも20年経っても「ええ?君はそうなのか!?」ということがたまにあったりします。 というわけで燃え上がるような恋をして結婚しても、 関係性の維持に怠けてしまえば、 そうでないご夫婦に比べて必ずしもずっとラブラブが約束されるわけではありません。 むしろ倦怠期の幻滅はよりはげしい(かもしれない)というリスクがありますね。 逆にrosem1970さんのところは人間的な相性がもしかすると良すぎるのかも知れませんね。 あんまり努力して一生懸命頑張らなくてもあなたにとってそれなりにやっていれば、旦那さんもそれなりに満足するレベルになってしまうのかも知れません。 また、恋愛は根本的には性欲ですから、結婚生活の安定は、ややもすれば男女の性的な魅力を感じさせにくくする面もありますね。 大体、性的なものも含めて、人間は毎日のルーティンワークはそれこそ心を込めなくてもできるようになるものですし、それはそれでいいのです。 毎日の日常であまり感動しすぎるようだと、おそらく人間は長生きできないでしょうね。(多分詩人に早死にが多いのは感動しすぎるからかも) 当たり前のことが当たり前であまり感動しなくなるのは寂しいようですが、一面では新たに感動することができるように「心の力」を蓄えるという面もあるそうです。 ですから、そんな日常生活のなかでも、突然「あ、これは幸せ、、」と 感じることがあるものです。 型通りでもいいですから、一緒に居たい人との生活をゆっくり続けていれば、もしかすると突然幸せを実感することがあるかも知れません。 今、心が入っていないように感じるのは、その幸せを実感するための「充電中」とでもおもって、心柔らかく生きてみてください。 本当になんでもないときに突然現れる「幸せの感じ」をみおとさないようにね。

noname#69498
質問者

お礼

彼とはずっと一緒にいて落ち着く人でした。でも落ち着くのは私だけだったみたいです。 主人は私に批判的な気持ちを持ちながらもそれを心に隠したまま私と一緒に過ごしてました。結婚してどうしてもいっしょにいる時間が長くなり、喧嘩をすることも増えてきて、本音が出てしまったようです。 最近は喧嘩になることを恐れてなのか、自分のやることをやったらさっさと寝る・部屋にこもるようになりました。 私も主人がイライラしないように気を使って生活しています。 幸せと感じることができる瞬間が訪れるでしょうか。 私自身が主人の満足いく女性にならない限り、その時は訪れない気がします。かといって自分自身を変えるのは非常に難しいし、そもそもそこまでひどい人間だとは自分では思わないので、そんなに嫌なら離婚したほうがよいのかとも最近考えています。

回答No.3

そんなにご自分を責めなくても良いと思います。 実際、ラブラブで結婚しても離婚している人もいますからね。 いつまでも好き好き状態を維持していく方が難しいのです。 愛は育てるもの。一瞬の恋とは違うのです。 あなたはご主人のことを尊敬されていますか? それは愛していることだと思いますよ。 愛とは不安定なものではありません。 もっと大きな安定したものだと思っています。 あまりにも幸せだから良くわからなくなっているのかもしれませんね。 私も夫と非常にうまくいっています。 夫の大らかな愛に包まれてとても安心します。 ふとした時に「ああ、やっぱりこの人が好きだなあ」と思います。 ドキドキ感はありませんが、日々感謝です。 ただ、私の場合、この生活に慣れすぎてしまって傲慢になることがあります。 その気持ちを自分で戒めています。 気持ちの整理はご主人を敬っていれば特に問題はないと思います。 燃えるような思いを持たなくてはいけないなんてことは決してありません。 毎日の生活、何事も無いのが一番なのです。 平和な日々に感謝ですよ。

noname#69498
質問者

お礼

尊敬しているのかと聞かれると微妙です。 社会人としては尊敬しています。仕事もできるんだろうと思います。でも人間としてはどうだろう…。 私はどちらかというとだらしない人間です。主人はすごくきっちりしています。私にはできないことなので凄いとは思うのですが(それは尊敬してるということになると思います)主人はだらしない私のことが理解できないと言います。最初はそれでも理解しようとしてたようですが、自分の気持ちの範囲を超えてしまったらしく、今は理解しようとしないということで平穏を保とうとしてるようです。 だらしないと言ってもごく普通の日常生活は難なく送れるのですが…。 自分が尊敬してる人に馬鹿にされてる感じでしょうか。悲しいです。 もしかしたら私が愛してないのではなく、主人から愛されてないのかもしれないです。

  • toro321
  • ベストアンサー率29% (1222/4138)
回答No.2

うちも同じですね。 女房は俺を愛してない。それははっきりわかります。 もう27年ですけど、嫉妬されたことはない。だから、浮気は何度もした。 もともと家事が嫌いなのか、掃除も洗濯も必要なところだけ。 料理に至っては、全く進歩ないし、できない。 おかげで、現在は俺が炊事担当(笑)。子供もどっちが作るの?って聞く始末(爆) それでも、27年来ましたから。 3人の男の子を育てたし。今はパートから帰ってきて、俺の作った飯食べて、片付けもせずに息子とパチンコ行きますよ~。 いろいろな人生があるもんです。

noname#69498
質問者

お礼

愛されてないのが分かるというのは辛いものですね。どういうところで分かっちゃうんでしょう、不思議ですね。 私は主人に嫉妬する心はまだきっちりと持っています。今まで男性がほとんどの職場なのですが、今度から女性社員が増えるそうなんです。仕事のことだからと我慢してますが、本当はそれでもすごく嫌なんです。(職場で不倫なんて話をよく聞くからでしょうか) 愛されてないと分かっていながらそんなに長く夫婦でいられるのはなぜなんでしょう。女性ならお金、男性なら身の回りの世話かな?と思ってしまいますが、そうでもないようですし…。不思議です。ありがとうございました。

回答No.1

40代既婚男性です。 つまり、お幸せなんですね。幸せ過ぎて、当たり前、普通、日常、家族になってしまったから、よくわからなくなっているのだと思います。あるいは…もともと、感情の起伏が乏しい方ですか?映画を観て泣き、笑い、本を読んで感動する…ときには感化されてしまったり…そんなご経験はおありですか? 男女違うのに、小津安二郎の作品に出てくる笠智衆の雰囲気を思い出してしまいました、ごめんなさい。 恋の熱情と愛の穏やかさとは違うので、あなたたちには、あなたたちの温度でいいのだと思います。極端な話、ハーレクインロマンスのように燃え上がるのが恋だ、愛だと思ってはいけないということです。 ある意味淡々と流れていく日常も、愛です。第一、仲がよいのでしょう?一生一緒にいたいと思うのでしょう?ある意味、それがすべてとも思いますよ。 しかしそれでも、心配なら、芸術作品に触れて感受性を豊かにし、色々なことを学んでよく考えるようにしてはいかがでしょうか?ちょっと錆び付いた心のアンテナを磨いて、ご主人だけでなく、あなた自身の心が発する電波を受信できるようにしたらよいと思いますよ。 あ、参考になるかわかりませんが、福永武彦の『愛の試み』はいかがでしょうか。随分古い作家ですし、いささかセンチですが、私は、高1で初めて読んだときから今でも好きな本です。

noname#69498
質問者

お礼

幸せといえばすごく幸せだと思います。裕福ではないけど人並みに生活できるし、主人は家のことをよくやってくれます。子供も可愛いです。ごくごく一般的な幸せはあるはずなのに、なぜか空しいというか悲しい気持ちになるのはなぜでしょう。 私は結構感情の起伏が激しく、色んなものを見聞きしてはすぐに影響されるほうです。どちらかというと主人のほうがクールなタイプで、こんな私を見て時折「疲れる、理解しがたい」と言われます。 感情のことだけではなく生活習慣なども大きく違い「理解できない」とずっと言われ、今では「理解しようとするのをやめた。違う星の生物だと思うことにする」と言われています。そうじゃないとイライラして疲れてしまうそうです。 最近は私自身が感動したり感情をあらわにしたりすることもなくなった気がします。笑いも怒りもない、非常に静かな家庭です。 一般的にいう家庭の幸せはあるのだけれど、なんだか幸せだと感じにくいのです。ご回答ありがとうございました。

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