※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ここまで要求することは過剰か? (長文です))
友人Aとの関係について
このQ&Aのポイント
友人Aとの関係に悩んでいます。私の趣味以外の話題に全く興味を示さないAに対して、私は自分の趣味にも話を合わせてほしいと思っています。
Aは私の趣味の話題には一切反応せず、私のメールを黙殺しているような気分になります。
Aは自分の送ったメールと関係のない話題を振られて困惑していたと言っていますが、私は彼の気持ちを全く考えていないのではないかと感じています。このような考え方は普通なのでしょうか?
直接会って・或いはメールで、自分の趣味の話しかしない友人A(つき合い10年程?)がいます。Aの趣味は私の専門ではないものの「嫌いではな」かったので何とか話を合わせられていたのですが、いい加減食傷気味になり、少しは私にも全く別の趣味があることを思い出して欲しいと思うようになって話題を振りました。が、完全無視が長く続きました。
1度すったもんだした挙げ句何とか、私が振った「Aの趣味以外の話題に」もAは気をつけてくれることになりました。但し、どうもAの解釈は「私の趣味の話題に」気をつけてくれるということではなかったらしいのです。
その後のつき合いで、Aの行動は大筋で変わりませんでした。私が(メールの大部分はAの趣味の話でそこに1段落だけ)敢えて毎便自分の趣味を書いていたのに対し、Aからレスが来たのは数える程(実を言うと、記憶に残らない位)で、私がメールを見る度に黙殺された気分を味わい続けて更に1年近く経ちました。或るとき、それまでも「敢えて」何度も書いてきた私の趣味○○の話を書いたところ「○○って何だっけ、と一瞬考え込んでしまった」という返事が来ました。私が本格的にキレて、もうこれでAとのつき合いは終わっても良い覚悟で「結局ご自分の趣味だけなんですね……」と書き送り、悶着が再燃しました。
Aの言い分は、
「自分の送ったメールと全然関係のない話を振られてもなあ、と困惑していた。mataauh1madeの振った趣味は、自分の趣味には今後も先ずならないだろう事柄で、それでもある程度反応したはずだ。それに対し『黙殺』とまで言われるのは切ないものがある」でした。
さて、以下が質問です。
私がカチンと来たのは、上記「1度したすったもんだ」の後のことを、
>>一通りのことにお返事
>>しないと怒られるということが分かったものですから、ある程度(mataauh1madeの趣味○○を)気には
>>していました。
と書いてきたことです。「一通り」と言うところからも、「すったもんだ」時の私の意図を全然判っていなかったことが明らかです。また私が、「『怒られる』から気にしたというのでは、公共の場所で騒いだ子供を『ほら、あのおばちゃんに怒られるからやめなさい』と叱る親と同じだ」と返したところ、
>> 「怒るから」というのが引っかかるようでしたら、「気になさるから」
>>でも結構です。どちらにせよ、mataauh1madeのお気持ちに合わせようとして、
>>努力してやっていたことですから。
と言ってきました(ここで既に自分が書いた『怒られるから』を都合良く『怒るから』に摩り替えています)。
「怒られるから」では、上記の責任転嫁の親と変わらないように見える。「相手の気持ちを考える」のではなく、「怒られる」という戦々兢々とした自分の気持ちのほうを考えているように見えるのだ。また、これが本当に「怒るから」「気になさるから」だったとしても、根底にあるのが「『振った話題に相手からの無反応が続いたら、“自分だったら”どう感じるか』を考える」ではないなら、上から目線・或いは他人事なのが丸判りで、努力のありがたみが感じられなくなるのは「怒られるから」と変わらない。
と私は思うのですが、世間一般的にこの考え方はどうなのでしょうか。ここまで、他人の言う(書く)ことを身を入れて聴け(読め)と要求すること自体、過剰なのでしょうか。そこのところをお尋ねしたく、長文をお読み戴きました。
因みに、Aの職業は、人の話を聴き、内容をまとめて一般人に判り易く書くということがかなりの部分を占めているものです。
「人間関係」カテではなくこちらのカテに質問した点をご考慮の上、ご回答お願い致します。
補足
ご回答ありがとうございます。 >>その一方でmataauh1madeさんの本心は、「相手の趣味の話題にはもはや興味をほとんど持てず、 諸般の事情もあり、まだそこまで「興味を持てなく」はないのですが。飽くまで、 >>少しは私にも全く別の趣味があることを思い出して欲しい そして、尊重して欲しいという基本は変わっていません。言い負かしたいことは確かですが。 >>届く返信メールが『私は怒っている』と感じられるような内容なので、やむを得ず付き合う場合がある」というのが本心ではないでしょうか。 その通りでしょう。「一通り」という言葉が全てを表しています。私は、そのような、「訳判らないが相手が怒っているから」という、相手の怒りの意味をきちんと理解せずに対症療法的に「何とか」する姿勢、というものにこそ腹が立つのです。そこで、世間一般的に >>ここまで、他人の言う(書く)ことを身を入れて聴け(読め)と要求すること自体、過剰なのでしょうか。 という質問になる訳です。この点、如何でしょうか? >>「他人の言う(書く)ことを身を入れて聴け(読め)と要求」してしまうと、大変に失礼ながら、自分には芸がないんだと自分で宣言してしまうことにもなる これは確かにそうですね。自分にそのような才能がないことは自覚しており、だからこそNo.2の方への補足に書いたように、数年間に亘り「あの手この手を使った」つもりだったのですが……。それでも駄目だったようです。「すったもんだ」の中には直接対話もあったのですが、それでも意思疎通が図れなかった訳です。 質問本文に書きましたように、「結局ご自分の趣味だけなんですね……」と書いたときは、もうつき合いはこれきりの覚悟でクリックしました。実は諸般の事情がありAを切ると後が面倒であり、せっかくできた縁なので短慮はしたくもないのですが、このまま理解し合えない(いや、有態に言って『理解してくれない』)なら切っても仕方ないという考えは変わっていません。ok2007さんのおっしゃる通り、冷静を旨とすることを胆に銘じたいと思います。 この補足中頃の確認依頼の部分、でき得れば、再度ご回答戴ければ幸いです。