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こんな生き方は悲しすぎますか?(長文)

23歳大学院生の男性です。 少し思い込みの強い部分もあるかと思いますが、ご意見をお聞かせいただければ嬉しく思います。 僕の父は、僕が幼少の頃に30代半ばという若さで突然死しました。 心臓麻痺だったそうですが、体が弱かったり、病気だったということではなく、本当に健康だったのですが、 仕事で家を出て、そのまま帰らぬ人となったと記憶しています。 肉体労働の仕事ではなく、コンピュータ関係の仕事でした。 そのような事があったからか、「若いのだからこれからもっと時間がある」といった言葉があまり信用できません。 そのせいか、自分では焦っているつもりはないのですが、よく「なぜそんなに焦っているのか」と言われます。 大学の先生からは、「もう少し肩の力を抜いた方がいい」や、「考え過ぎ」といったことを言われます。 (父の事は話していません) 違う話になりますが、僕は小学生くらいの頃から何となくですが、一生飲酒や喫煙はしないでいようといったことを考えていました。 20歳をこえた今でも、飲酒をしたことがありません。もちろん喫煙もです。 ただ漠然と「体によくなさそうだから」という理由で嫌っていましたが、最近、無意識に父の事を考えていたのかなと考えるようになりました。 父は飲酒も喫煙もする人だったからです。どの程度かは記憶していないのですが。 思い込みだとは思うのですが、もしかしたら自分も父のように若くして死んでしまうのではないかと考えてしまいます。 人に限らず、命あるものはやがて死んでしまうということは分かっていますし、病気や事故などで若くして亡くなってしまわれる方もたくさん いらっしゃるのだということも分かっているつもりです。 自分自身が若くして死んでしまうかもしれないという不安よりも、将来自分が家庭をもっていたら、 その上で自分が父のように若い妻と幼い子を遺して突然死してしまったら、 というようなことを、最近考えてしまうようになりました。 自分が父のように突然死しないために、何をすればいいのかはわかりませんが、できることとしては、 体に毒を入れないこと。自ら寿命を縮めるようなことをしないこと。だから飲酒や喫煙は避けようと考えています。 知り合って間もない友人から「今度飲みに行こう」と言われお酒は飲めないと断ったところ、長い付き合いの別の友人から「こいつは先入観で物事を決めるやつなんだ」と 笑われ、2人きりの時に自分の考えを話したところ、全部は聞いてもらえず「そんな生き方悲しすぎる」と言われました。 また、自分の母くらいの年齢の知人に聞いてもらったところ「そんな若さでそこまで自分に責任をもつことはない。楽しく生きていくべき」と言われました。 確かに、楽しく生きることが大切だと思うのですが、楽しい時間や幸せな時間は突然奪われてしまう。 それが自分だけならいいのですが、もしその時守るべき人がいて、守れずに自分がいなくなってしまったら。 遺された人がどれだけ苦労することになるかは自分が分かっているつもりでいるので、もし自分が大切な人にそのような思いをさせてしまうことになったら と思うと、とても怖いです。 現在僕の体は至って健康ですし、付き合っている人がいるわけでもありません。 ですが、大切な人ができてから考えても遅いような気がしてしまいます。 そんなに自分の将来が不安なら一人でいればいいのかもしれませんが、ずっと一人というのも辛いです。 そして何より、「若いのだからこれから~」といった言葉が信用できません。 こんな考えはおかしいでしょうか?考え過ぎでしょうか? ご意見をいただければ嬉しく思います。 長文にも関わらず読んでいただき、ありがとうございました。 よろしくお願いします。

みんなの回答

  • mojico74
  • ベストアンサー率31% (86/272)
回答No.4

おかしくはないですが考えすぎです。 まだ見ぬ大切な人を悲しませたくないという名目から、 臆病な自分自身をカモフラージュしているようにも読み取れてしまいました。 想像の未来に怯えては、なんにも、出来ないじゃないですか。 大切なひとができたら、こういうあなたの内面も話せばいいじゃないですか。 こういう生き方が悲しすぎるというより、 亡くなったお父様が、悲しんでいるのではないかと思いました。 あなたには自分のぶんも、精一杯生きて欲しいと願っていると思いますよ。。。 酒やタバコを積極的に薦めはしませんが、そういった理由で交友関係に支障があるのは 非常に勿体ないことだと思います。

mikoto013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 臆病な自分をカモフラージュですか。 確かに、僕はいつ突然死するかわからない恐怖に怯え、毎日を生きているかもしれません。 実際にそう思っているかといえば、そうでもないのですが、突然死する可能性がないとは言い切れないという考えは、常にもっているつもりです。 突然の事故や、事件に巻き込まれるなど、突然死の可能性なんて誰にでもあると思うのですが、他人ではなく自分の父が、 事故に遭ったわけでもなく、事件に巻き込まれたわけでもなく、病気をもっていたわけでもなく突然死したことで、余計にトラウマになっているのだと思います。 亡くなった父がどう思うかはわかりませんが、母が知ったら悲しむのでしょう。 精一杯生きるつもりですが、それが焦りとなってしまっているようです。 もっとゆったりと余裕をもって生きるべきなのでしょうが、「若いからといって長い未来があるとは限らない」ということが無意識にあるせいか、一杯いっぱいになってしまいます。 お酒は興味がないだけで、無理矢理我慢しているわけではありません。別に飲まないなら飲まないにこしたことはないかなと。タバコは絶対ダメですが。 交友関係はともかく、社会に出てからの仕事上の関係で支障が出る可能性はあるなというのは思っていました。 どうするかはわかりませんが、自分を大切にしたいと思っています。 これからは心に余裕をもち、毎日を楽しく、そして悔いなく生きていけるよう努めたいと思います。 ありがとうございました。

  • yuge8
  • ベストアンサー率0% (0/4)
回答No.3

私は七歳くらいの時に突然「死」のことを考えて「どうせ死んでしまうならどうして生きて行くのか」ということを考え続けた時期があります。 誰でもそういったことは考えているかと思いますが、その時は、まわりの人間が全くそういう「死」への恐れもなく何の気なしに生活しているように見え、不思議でした。私はそれこそ夜も眠れないくらい悩んでいたのですが・・。 今でも思いますが。こういう問いを持つ人と持たない人の差って何でしょうかね? あなたのように、身近なお父様の若すぎる死を幼い頃に受け止めるしかなかった方ならば、こういう問いを持って当然だと思うし、そのことが「悲しい」なんて思いません。 ただ、「自分」を縛ったり、無意識にブレーキをかけているならば、問題かなとも思います。 自然に、いろいろなことを体験された方が「生」を感じることが出来ます。その裏に「死」があるわけですが、「生」と「死」ってそんなにはっきり別れているものなのかな?つながっているものではないのかな?などと最近は私は思っています。 一般教養でちらっとさわった程度ですが、大学に入って哲学を知り、池田晶子さんの書いているものを読んでみて「善く」生きること、という考え方を知りました。 池田さんは「死」について考え、考え、考え抜いておられましたが「怖くはない」と言われていました。 そして、45歳くらいで、癌で亡くなりました。 誰かが「無念だっただろう」と書いていましたが、私はそうは思いませんでした。 「生」と「死」を考え抜いたら、そこに恐れってなくなるような気がします。 うまく言えませんが、お互い人生を楽しみましょう。 「善く」生きて行きましょう。

mikoto013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「どうせ死んでしまうならどうして生きて行くのか」 あまり考えたことがあるかどうか、自信はないのですが、確かにそういう疑問はありますね。 父の若すぎる死を幼い頃に受け止めたかどうかといえば、どうだったでしょうか。 いつも当然のように家にいた人が、これからもずっといるのだろうと疑っていなかった人が、突然いなくなるということに対し、違和感は感じていたと思います。 父からはいろんなことを教わっているはずなのですが、正直あまり覚えていません。 ですが、今でも自分の中にしっかりと根付いていることは、「人はいつ死ぬかわからない。若いからといって、これから先長い未来があるとは限らない」ということです。 これが、父から教わった最大のことだと思っています。 そして、だからこそ今を悔いなく生きようと考えています。 yuge8様が思われているような、まわりの人間への疑問は僕も抱いています。 ただ僕の場合、「死」への恐れというよりも、何だかまわりの人たちの生き方が無責任に思えてしまいます。 一生独り身でいる人ならともかく、そうでないのなら、今この時点で自分の体は自分だけの体ではないのでは?と考えてしまうときがあります。 それを考え出すともう何もできなくなってしまうというのも分かっているのですが、そういった意味では「自分」を縛ったりブレーキをかけている部分はあると思います。 そのように「自分」を縛る生き方に対して、友人から「悲しい」と言われたのかもしれません。 僕自身、「死」について怖いとは思っていません。 痛い、苦しいというのは正直怖いですが、全ての命は死ぬわけですから、自分が死ぬということも怖いとは思っていません。 ただ、大切な人を遺して自分が死んでしまうことが怖いです。 僕自身が遺された立場だと思っていますし、自分と同じ思いを大切な人にさせたくないという気持ちが大きいです。 そういう「死」こそ無念ではないかと僕は思います。 そのようなことにならないように、これからを「善く」生きていきたいです。 そのためには楽しく生きていくことが大切なのでしょうね。 池田晶子さんの本、読んでみたいと思います。 ありがとうございました。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.2

 んー、わかるわかる。境遇は違うけど、俺も母を交通事故でなくしてるから。小さい頃じゃないけどね。で、君の意見もふまえて考えてみると。  人間やっぱり、本質+環境+経験だと思う。早死にした身内をもつ経験をしていりゃ、やっぱり心のどこかに「なんで」が染みついて普通だと思うんだ。あとはそれをどう自分に有利に昇華していくかだな。職場であれだけ健康に留意しまくってた受付のおばさんが、交通事故であっさり死んでから、たてつづけに母がいきなり死んだときは、「人生ってわからんね」と思ったし、その母も、祖母との嫁姑の意思疎通のなさからの理不尽な闘いが祖母の介護と死で和解として終わり、いよいよ自分が孫と楽しむようになって2年も経たないうちの事故だったからね。俺も我が子に対して「俺がいつ死んでもお母さんを頼むぜ」と言っている自分がいる。それに対しては、ウチの子供もすぐに想像して半泣きになるから、ちと影響はあるのだろう。昇華してよいことといえば、「いつ死んでも後悔しない生き方を目指す」ようになったことかな。その時その時に一生懸命に自分なりに生きてくのは、哀しいどころか強くていいことだと思うがな。

mikoto013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 僕は父の若すぎる死から、「若いからといって先に長い未来があるとは言い切れない」ということを学んだと思っています。 当時は幼かったので状況が理解できず、「なんで」ということもなかったですが、理解できるようになってから徐々に「いつ死んでも後悔しない生き方を目指す」 ようになったと思います。 ただその考えが焦りという形となり、あらゆること対し常に全力投球となってしまっていたのかなと思っています。 そして力が入りすぎていたり、考えすぎたり、変に必死になっていたのだと思います。 >我が子に対して「俺がいつ死んでもお母さんを頼むぜ」と言っている自分がいる これはよくわかります。自分にも子供ができたとき、僕も同じ事を言ってそうです。 ですがそれ以上に、守るべき大切な人ができたとき、自分はその人のために生きようとすると思います。 自分の将来がどうなるかはわかりませんが、これからの人生を悔いなく生きていきたいと思います。 ありがとうございました。

noname#155097
noname#155097
回答No.1

>こんな考えはおかしいでしょうか?考え過ぎでしょうか? おかしくはありません。 14、15で死ぬ人もいます。 30過ぎれば、同級生の一人くらいは死んでいてもおかしくはありません。 ただ、いつ死ぬかわからないから、と縮こまった考え方をするのではなく、 いつ死ぬかわからないから、今を悔いなく生きる。という考え方は必要でしょう。 私は40代ですが、別に酒も煙草もやりません。 まあ、年齢がら同じような不安には常に襲われますが、 死んだら、その先のことは考えることは物理的に不可能ですし、 自分が考えることではないと考えています。 いい旦那さん、いいお父さんだったな。。そう思ってもらえるように、 日々、楽しい思い出を作ってあげられるように気を使うくらいです。 不安が強いのなら、強いからこそ、さっさと結婚してさっさと子供を作っておくことです。

mikoto013
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 父の若すぎる死から、「若いからといって先に長い未来があるとは言い切れない」ということを学んだと思っています。 人はいつ死ぬかわからない。だから今を悔いなく生きようという考えで今まで生きてきたつもりでいます。 ただそれが焦りとなって、毎日をあまりにも必死になりすぎて余計な力が入ってしまっていました。 といっても毎日何かをしているわけでもなく、ダラダラと過ごしてしまう日も多いですが、「時間を無駄にしてしまった」と 罪悪感を感じてしまいます。 自分が死んだらその先のことを考えることは不可能ですが、もし自分が死んでも、大切な人に苦労をかけないだけの蓄えなりを 遺せるようになりたいと思っています。 そのためにこれからの毎日を、1日たりとも無駄にせず頑張ろうと思ってしまうのですが・・・ あまり考え込まずにこれからの毎日を大切に生きていきたいと思います。 そして将来、いい旦那さん、いいお父さんだなと思ってもらえるように、大切な人と毎日を楽しく、幸せに生きていきたいです。 ありがとうございました。

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