刹那は生と同時に過去になり、新たな刹那が常に生れる
刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」
さてと、オカマ扱いされかねないきわどい遊びに明け暮れる私は、男らしい仕事をする余暇時間が最高の幸せなんだよなあ。
実在する仮面ライダー「ドリル番長」だ。
掘り当てたのが墓穴だと「地雷探査犬」みたいなひどい目にあう。
前置きしよう。
刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる「反論」
この表題は、言い回しはともかく哲学で取り組んでいる問題で、今や宇宙の誕生の神秘ともかかわる。
ここで観念への昇華、要するに自分が死ぬことについて説明しよう。
人間の多くは死を前提に死者の思考術であの世を推計する。
こうした思考は「死者の思考術」で死人になった後のことを考えるんだよね。
回答したい事として、ここに意見があるかね。(それも質問、魂は永遠だとかだ)
天界が存在して、天界で生きている住人があるということは、その境地を理解することは「死者の思考術」では不可能だろう。
死者は聖者に語る言葉を持たない。
そこで出て来るのは仏教の解脱という概念だよ。
生きたまま、死ねばいいというのが乱暴な結論だ。
わかりやすく言うと生きたまま観念世界の展望に成功すればいいというお手軽そうに見える修行だ。(異世界ネタアニメだよねえ)
神学の整ったキリスト教圏の参考文献を読んだ中から、私が思索したのは、天界からの聖霊の案内で天界を知るという古典的な聖霊の定義は「天の聖霊」とより定義を煮詰めて、生きながらに解脱した場合に自らが「地の聖霊」となり天界からの光を地上にもたらす。
実のところこれが仏陀型の「生きながらの死」なんだよ。
君たちは仏陀により多くの不幸を期待する。
君たちはキリストにより多くの不幸を期待する。
それが君たちに赦された宗教家の教えだった。
予言能力に私は身に憶えがあり、証拠や証言は京都で温存されているだろう。
予言者というのは、一般的な「死の思考術」と異なり地の聖霊として生粋の天界の住人と同じ立場で天界に常在するのだ。
解脱だ。
その天界では、現在、過去、未来、それがいまその場にたたずむ刹那に目の前で現象している。
そうして目の前にあり、手に取れる未来を組み立てて、それを可能な限り忠実に地上に持ち込むことだ。
こういう芸当が出来る立場だと、、、
「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」
これは間違いで、
「刹那の全てが永遠である」
こういう形になるんだ。
そうした感覚を伴った成功をすると、予言を周衆に与える営業免許である「予言者」の称号を獲得するのだ。
これは宇宙論を研究する物理学者にも参考になるだろう。
哲学というのは、既存の命題に取り組むほかに、自ら命題を立案することが含まれる。
そういう体裁で質問しています。
私は学歴が低いので、より理解しやすい言い回しを指摘してくれてもいいし、類似の文献などの紹介でもいい。
学識が低い私は「刹那は生じると同時に過去になり、新たな刹那が常に生まれる」というのをどこかで聞きかじった話だとうろ覚えなので、全て自分の言い回しで反論を述べているのです。出典や正しい定義も知らない。
お礼
ありがとうございます!! 今度みてみますw