ラノベ作家になる為に必要なこと
というものを、人と話し合っていました。
その中で「面白いものを何故面白いのかを理解しようとすること。お前(僕のことです)は萌えな作品を読んでみて、見てみて駄目だった、苦手だった」と言ってる時点で、無意味すぎる。
と言われました。
どういうことなんでしょう?
僕は萌えが苦手です。表現しようにも、なんか心苦しいです。
僕は萌えというジャンルは否定していません。1ジャンルとして認めています。でも、僕が書こうと思ったら、萌えは殆ど入れない作風になると思います。
だから、萌え入ってる作品は読もうにも読めないし、仮にどう萌えで面白いのか読み取ることは「あぁ、こういった仕草が、見せ方が萌えなんだな」とか一応できることはできますが、だからこそ何故これが受けるのかが分からないって、矛盾した言い方になってしまいますが、伝わりますでしょうか。
作家って、いろんな作品を読む、見ることをしなくちゃいけないとは分かります。僕も今、萌えじゃない色々な作品を読んでいこうと思っております。
しかし中にはただ単に面白くない作品もあって「これで勉強しろっていっても、これよりも売れてる、そして自分がおもしろいと思った作品を読み続けたほうが参考になるのではないか」と思ってしまいます。これもまた人がいうに、それでも面白さを探して読めって感じなのでしょうか。
これは下に見てるというわけではないです。ですが面白さが分からない、その中でも1ジャンルの萌えなんてもっとです。そんな作品達を読まなくちゃ作家になれないのです? 萌えや面白さが分からない作品以外の作品を沢山見るだけじゃ駄目なのでしょうか、
作家にも作風が十人十色というのだから、作家も全てが萌えじゃないと駄目とはおかしくないですか?
お礼
ありがとうございます。 私も金原ひとみさんの本はあわなかったです…。