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朝8時20分頃、不思議な集団を見ました

今日、五反田駅の西口で、朝8時20分頃、不思議な集団を見ました。4人か5人ぐらいで、一番前の人は、大きなのぼりを持って歩いていました。その次の人は、火の用心と言って歩いて回る時、使うものを叩いて、いました。のぼりには、漢字で、4文字ぐらい書いてありまして、一番下は、命だと思います。何の集団なのでしょうか? 回答、お待ちしてます。

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  • harune2
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.2

おそらく、天理教ではないでしょうか。 私は大阪在住ですが、家の近くに天理教の施設があり、そこに住み込みの信者の方が朝から4~5人でのぼりを持って半被を来て街を拍子木を打ちながら街を練り歩いているのを良く見かけます。 天理教でしたら、のぼりには多分「天理王命」と書いてある筈です。

kereta
質問者

お礼

天理教ですか。謎が解けました。ありがとうございます。

その他の回答 (2)

  • 10en
  • ベストアンサー率25% (8/32)
回答No.3

なるほど、天理教では拍子木を使うのですか。知りませんでした。 具体的に駅の周辺がどうなっているか地図を見たところ、駅からかなり近くの東北の方向(品川区東五反田5丁目)に天理教日本橋大教会が存在しています。ここの信者の可能性が高そうですね。

kereta
質問者

お礼

五反田にそういうところがあるとは、初めて知りました。 ありがとうございます。

回答No.1

 今晩は。  まるで判りませんが、全く回答が無くて寂しいので推測を少し。  幟の最後の文字「命」は神道で神を示す「みこと」でしょう。ということはこの集団は何らかの神道系の宗教組織の構成員だろうと想われます。ただし、そうだからと言って、それが規模の大きな組織的な団体(宗教法人)とは限らないと思います。  五反田辺りなら江戸時代以来の「講」が今でも健在な可能性はあるでしょう。講というのは半分くらいはレクリエーション的な意味合いを持つ、ゆるやかなつながりの神道の庶民的同人組織です。例えば富士講は江戸で最も盛んだった講ですが、みんなで集まって富士のお山に登って、浅間神社にお参りしてくる、といった感じでした。  同様なものとしては、伊勢講、大山講(神奈川県の大山神社)、三峰講(秩父三峰神社)など多数あります。さすがに現在では大部分は廃れたと思います。私の近所の神社に立派な石碑がある「阿夫利講」(あふり講。阿夫利神社は大山の別称のような記憶がありますが、良く判りません)も、全くお参りの話は聞かなくなったので、消滅したようです。  以前何度かこちら(大森)の近所で天理教の人たちが揃いの法被を着て、太鼓を二人で棒に通して支えながら叩いて歩いて回っているのを見たことがあります。幟も無かったと思いますし、拍子木は使っていなかった思うので、天理教ではないかもしれません。  とにかくきちんとした宗教団体の場合、そのような触れ歩きは定期的にやっているのではないでしょうか。例えば毎月何日には必ず歩いている、といった規則性があるなら、そうかもしれません。一年のある特別な日にだけということなら、これは例えば富士講の山開きのお触れかもしれません(北品川の品川神社境内に「富士山」があります。ご神体がちゃんと残っているので、富士講も存続しているとのこと。五反田とはかなり近くです http://kkubota.cool.ne.jp/shinagawafuji.html )。

kereta
質問者

お礼

あの集団を他にも見た人がいなかったのが、不思議です。何しろ、五反田駅のすぐ近くを歩いていたのですから。のぼりが大きかったので多分車で移動しているのでしょう。 回答、ありがとうございます。

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