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アトランタ五輪のオーバーエージ
今回の北京五輪男子サッカーのオーバーエージは呼びたかったけど呼べなかったといったところです。 96年アトランタ五輪の男子サッカーもオーバーエージを誰も呼ばずに戦いました。(呼ぼうとしたけど断られたというわけではないらしいです) 当時の西野監督が呼ばなかった真相や経緯をご存知の方は宜しくお願いします。 (個人的には怪我で召集を断念した小倉選手の代わりに三浦知選手は呼ぶべきではと思ったのですが)
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- ryuken_dec
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今でもそうですが、当時は今以上に世界的にもオリンピック【ごとき】にA代表クラスの選手を出したくないという風潮が強かったと思います。世界的に、あくまでオリンピックは若手の登竜門的な大会で、オーバーエイジの選手はA代表の試合にでるべきという考え方が支配的だったと記憶しています。 私は今もオリンピックにトップチームでバリバリやっているオーバーエイジの選手は招集しなくていいよ・・・なんて思っていますが。
- yama1998
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真相というよりは、当時日本は五輪は28年ぶりの出場、ワールドカップもまだ未出場、結果はそれほど求められていない時代です。オーバーエージもアトランタで初めて採用され、各国手探り状態で採用しない国も多かったこともあります(欧州は殆ど採用しなかったと記憶しています)。 西野は元々メンバーを固定するタイプで義理や人情もあり、このメンバーで五輪を勝ち取ったので出来ればこのメンバーで戦いたいと希望を出していました。 要は当時と状況が違いますので、もし今西野が監督なら採用していたかもしれませんね。
お礼
ありがたとうございました。 結果的にはアトランタ世代の活躍でワールドカップ初出場できたので、オーバーエージは使わなくてよかったという考えもありますが、けが人の代わりぐらいは使えばよかったのになと思います。
お礼
ありがたとうございました。 結果的にはアトランタ世代の活躍でワールドカップ初出場できたので、オーバーエージは使わなくてよかったという考えもありますが、けが人の代わりぐらいは使えばよかったのになと思います。 残念ながら日本は予選敗退しますが、今回のオーバーエージで遠藤選手はしょうがないにしても大久保選手の件は今後いろいろ尾を引きそうな気がします。