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おバカな勘違い【日本史編】
日本史に関係することで、勘違いしていたことを教えてください。 自分でも他人でも、TVや書籍などで見聞きしたこと、何でも良いので、出来るだけ沢山教えてください。 例えば、 中臣鎌子は女性だと思ってた。 関が原の戦いは、17世紀だと思ってた。 ペリーはポルトガルからやって来た。 など、くだらなくてもかまいません。 出来るだけ沢山お願いします。 参考 http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/nennpyoupeji.htm http://www.asahi-net.or.jp/~WY6M-SKMT/nenpyo.htm http://xn--mprp13bb2a.net/001/
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- motacilla
- ベストアンサー率18% (103/558)
私も鎌倉幕府の語呂合わせで。 月替わりのパスワードを歴史の年号シリーズで作ってたのですが、ある時他人に伝えなきゃいけなくなって 「今月は"良い国作ろう鎌倉幕府"で、4192です!」と。 聞けば長島茂雄だかガッツ石松も、同じ間違いをやってたそうです。
- fuss_min
- ベストアンサー率11% (89/746)
鎌倉幕府の開府年。 語呂合わせで勘違いした奴がいるそうな。w ※私は語呂合わせは得意ではなかったので、 語呂合わせでは覚えていなかった。 「いいくにつくろう」 →1192年 となるはずが、 “つくろう”を数字化してしまい、 「2960年」と答えたそうである。 アホだねえ・・・。w
お礼
いいですね~。 例題で、年号の語呂合わせも入れたかったんですが、 思いつきませんでした。 741年(なー良い寺だよ、法隆寺)に、しようかと思ったのですが。 さすがにいないよなぁ~、と思いましたが。 いましたか。2960年・・・ ありがとうございました。
- ASAYOSHI
- ベストアンサー率42% (358/834)
その1 今となっては、なんでこんな勘違いをしたのか。 授業で「満州国」を習ったとき、「東北にある」ってところだけが頭に残ったんですよね。 なので、しばらく後に友達に指摘されるまで、「日本の東北地方」にあったものだと思っていました。思いっきりアホです。 その2 ごく最近のものから。 先日の大河ドラマ『篤姫』を観て。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4193990.html ↑この質問の方とまったく同じ勘違いをしていました。 将軍の遺体って、アルコール漬けで保存してたのかって……(笑)。 理科室に並んでる「将軍 家定」が頭に浮かんでしまいます。あー恥ずかしい。
お礼
東北地方に満州があっても良いんです! お待ちしておりました。 「朱」なんですか~。 「塩漬け」というのは、聞いたことがあるような。 首のお酒は、さすがに飲めませんね。^^; ありがとうございました。
- KKBKTS
- ベストアンサー率26% (97/373)
「幕府」というのがいまいち理解できなかった。 幕を張ってその中で政治を行なう?テントみたいなもの?? なんてマジで思っていました。 言うまでもなく「幕府」は「政府」のことであり、幕閣・幕僚というのは今でいえば、内閣・官僚なんですけどね。
お礼
おお!いいですね~^^ こういうのをお待ちしておりました。 確か私も、小学校で始めて聞いたと思いましたが、 イメージがまったくつかめなかった覚えがあります。 >幕を張ってその中で・・・ 笑いが止まらない・・・ ありがとうございました。
こんにちは。 平安時代に「枕草紙」を書いたとされる「清少納言」を 私はずっと「せいしょう なごん」と発音していました。 先日、TVでナレーターが「せい しょうなごん」と 発音しているのを聞き、「あっ!」と思いました。 よく考えればそうですよね。「少納言」というのは官位なんだから 「せい しょうなごん」と発音するのが正しいんですよね。 何故かこれまで間違いに気づきませんでしたし、今でも 「せい しょうなごん」という発音に違和感を感じてしまいます・・。
お礼
へぇ~~~~。 私も、たった今、知りました^^ これって、意外とみんな知らないんじゃないでしょうかねぇ。 今度、誰かに言ってみよう^^ ありがとうございました。
某中学校に幕末日本史の講義にいって「鳥羽伏見の戦い」の鳥羽を三重県の鳥羽市と勘違いして教えてしまった。 言い訳としては、近世日本史の専門家なんですけど、経済学が専門ですから、藩の専売制度とか幕府の財政改革などは詳しいですけど、「鳥羽伏見の戦い」は門外漢、しかも鳥羽市は私の故郷の近くで、何となくどこかで勘違いしてたんです・・・しっかし冷や汗かいた。 長年、有栖川宮熾仁親王を征討大将軍と思っていた。 調べ物をしていて、彼は東征大総督であり、征討大将軍は仁和寺宮嘉彰親王だったことに気がつき、恥ずかしかった。 東郷平八郎の乗艦「大和」を戦艦と勘違いしていた。 武蔵とともに、葛城型の巡洋艦だったことを知って、ありゃま。 「大和堆」を発見した艦船と言うことは知っていたけど、長いこと戦艦と思っていた。 1945年、鶴見川で沈没。 料理人坪内、織田信長に仕えた凄腕料理人ですが、最初薄味の京料理を出して「不味い、首を落とせ」と言われ、再度チャンスをもらって濃い味料理を出して誉められた。 後日談として、「信長は味音痴の田舎者」とつぶやいたと、彼の気骨が賞賛されているが、別の面から専属料理人なら主人の体調や好みを考えて作るべきで、名料理長とは言えないという説を読み、確かに料理人が自分の我を通すべきではないと納得した。 これは解釈なので、お馬鹿な勘違いとは言えないけど。
お礼
こ、これは、レベル高いっすね>< 解説がなかったら、そうなのかなぁと思ってしまいそうです。 ムッツリーニのレベルがベストです^^ 信長のエピソードは、面白いですね。 何かのときの小話で使ってみたいです。 ありがとうございました。
ムッソリーニを”ムッツリーニ”だと思ってた。 めっちゃ恥かいた。
お礼
早速、お返事いただきまして、ありがとうございます。 いいですねぇ、ムッツリーニ。 こういうのを待っておりました。 でも、これは、世界史編で使わせていただきます。^^
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お礼
良い国で42世紀ですか~^^; まったく話は、違いますが、ガッツ石松で思い出しました。 よく「OK牧場」といいますが、ずっと「OK牧場の決闘」 だと思っていたら、DVDの題名は「OK牧場の決斗」だと、 最近知りました。 ありがとうございました。