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なんで親は子供に「勉強しなさい!」としか言わないのか?
今度の娘による父の殺人事件も父から「勉強しなさい!」と言われたのが原因だと聞いています。 素朴な疑問なのですが、なぜ世の中の親は子供に「勉強しなさい!」としか言わないのか、もっと他に言うべき言葉はないのか? 少なくても同じことを言うにしても別の言い方があると思うのですが、どうして皆同じ言い方しかしないのでしょうか? 子供の立場に立てば先ず上から物を言う前に、共感を示したり、子供がすぐに勉強にかかれない他の要因の分析にかかったり、(その勉強よりも優先順位の高いことへのサポートを心がけたり)、いくらでもやることがあると思うのに、あまりにも芸がないと思います。
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ANo.11のANo.13です。 私が最初にご質問を目にした時には、タイトルにあった『なんで親は子供に「勉強しなさい!」としか言わないのか?』に対してしか考えませんでした。 ANo.13でいただいた補足の「どうしたら、子供が勉強をする気になるか、もっと上手な方法を考えよう!」がタイトルだったら、多分回答せずにいたと思います。 それは、私には考えてもわからない事だと思っているからです。 そんなのは八法手をつくすしかない、と思っていますし、そんな方法があればすでに世界中でそうされていると思うからです。 答えのない事は考えない、いつもではないですが、それが普段の私。 私にとって、このご質問が質問者様にとって真剣みをおびているような気がしたので、普段の私ではおれなくなりました。 と、私の心情などはどうでもよろしくて。 それでもやっぱり、上手な方法は思いつきませんでした。 他にいくつか思いついた事があります。 と言っても、最初の回答の続きのようなものですが。 1.すでに手遅れ。 世の中にはどうにもならない事が多々あると思います。 すべての子供が同じではないので、こうしたらいいと言う方法は、実際のところわかりません。 でも、何かしら、こうしたらいいと言う答えがあった場合もあると思うのです。 私の友達に「ほめてのばす」を主張している人がいます。 自分自身がほめられるとのびるタイプだと言う事をよくわかっているのです。 私にはこの友達が不思議なのですが、「そうだとわかっているから、ほめてくれ」と言うのです。 私だと、わかっていたら、ほめられてもなんの影響もありません。 でも、その友達はそれでがんばれたり、さらなる結果を出す事ができるのだそうです。 それで、その友達は自分の子供にも「ほめてのばす」を実践しているそうです。 その子供も、同じようにそれがわかっててのびていくタイプになりそうです。 このようにほめられてのびていくタイプの子供にはそれが一番だと思うのですが、その一番を、もしか最初にやらなかったらどうでしょうか。 例えば、子供が生まれてはじめての「テストで100点とったよ」に対して、「よくやったね。かしこいかしこい」と言うのと、「100点なんて当たり前でしょう。次もとりなさい」と言うのでは、ちょっと違ってくると思います。 ほめられてのびるタイプの子供であれば前者の方がいいですが、厳しくされてのびるタイプの子供であれば後者の方がいい事もあります。 親は自分の経験(人から聞いた事も含め)でしか子供に接する事はできません。 この、勉強に対して云々言う以前に、つまり、もっと幼い頃に、その子供がほめられてのびるタイプなのか、他のタイプなのかを、知る経験をする必要があるのだと思います。 これを怠った、あるいは、経験したかったにもかかわらず事情があってできなかった場合には、子供を育てる手がかりを得る事ができません。 結果、「勉強しなさい!」としか言えなくなってしまう場合もあるのだと思うのです。 と言うわけで「すでに手遅れ」説。 2.ここであきらめてはいけない。 これが、このご質問の本来の意味に近づくものでしょうか。 それでも、いい方法と言うのはやっぱり見つかりません。 でも、このご質問のおかげで、私は少し考えるようになりました。 私の基本的行動のひとつに「相手の意思を聞き、それが可能であり、かつ、私が同意できるものであればそれに従う」と言うのがあります。 もし子供が「お金くれたら勉強するよ」と言っても同意できないのでまずそれはしません。 私が自分で考えてもわからない事はやっぱり本人に聞くわけで、「どうしたら勉強するのかな」「どうして勉強できないのかな」と次の手、その次の手を、子供と一緒に考えていきたいと思います。 親の気持ちだけを押しつけるのではなく、子供と一緒にです。 「子供と一緒にではなく、親としていい考えがあるだろう」と言われる人もあるかも知れませんが、私にできるのは一緒に考えるくらいです。 と言うわけで、いい方法ではありませんが、「子供と一緒に考える」が私の回答になります。 ご質問していただき、ありがとうございました。
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- dell_OK
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ANo.11です。 今日は気分がいいので、お礼にいただいたお話に補足。 私の話に賛成と反対をいただいたので、よくよくお考えくださったのだと、ありがたく思います。 賛成の件につきましては、おいておいて、反対の件について。 おこづかい。 私もこの方法がいいと思っているわけではありません。 そう言う方法もあると言う例のひとつです。 実際、本当に勉強して欲しいのなら、どんな方法でもかまわないと言う極論です。 本気で勉強して欲しいと思っていたら、なんとかすると、こうもある。 でも、やっぱり、こう言う方法はよくない、と言う、およそほとんどの人が賛成しないだろうと言う事を読んだ人がわかるかと思っての命題のようなものです。 子供の立場。 子供の立場と言うのが実は私にはよくわかりませんでした。 どのように立つのかもあるとは思いますが、子供が「勉強はしたくない」と思っていたら、これを理解した場合、甘やかすのとは別に、勉強させる事がいけない事になってしまいます。 つまり、「勉強しなさい」と言う言葉に反感する気持ちを理解すると言う事。 そうしたら、決して「勉強しなさい」とは言えなくなる。 勉強して欲しいのに、「勉強しなさい」とは言えないジレンマ。 このままではおけないから、結局「勉強しなさい」と言ってしまう。 「勉強させる事がいけない事」としないためには、子供の立場ではなく、親の立場で考えないといけないと思うのです。 子供の立場で考えるのと、子供の将来などを親の立場で考える、と言うのでは話が違うと思います。 子供の事を、親として、よく考える、必要があるのだと思うのです。 それで、子供の立場で考えるべきではないと思いました。 言い方が違うだけで同じ事かも知れず、言葉のあやのようでいけませんが、私は先の回答の時点でそう思っていました。 私は、子供の頃に親に勉強するように言われていた方です。 言われたくらいでするはずもなく、蹴られた事もあります。 蹴られたくらいでするはずもありません。 蹴られた事は私が勉強しないからであり、親は私の事を思って勉強するように言っているのだと思えば、親が憎くもありません。 子供は子供の立場で親の事を考える必要もあると思いもします。
お礼
(補足欄のつづき) 2)「勉強」とは何か? 学校での学業も勉強の一部ですね。それぞれの科目を勉強する意味を一緒に考えてみましょう。すぐに答がでなくても構いません。又親の子供時代のことも話してみましょう。 次に、勉強は、学校で学ぶことだけではないことも教えましょう。人間生きていく上で一番大切なこと、それは一言で言って、人格の優れた人間になることだと思います。人をだましたり、暴力的になったり、自分のことだけしか考えない人間になったり・・・・してはいけませんね。 そのような世の中でより良い人間になるためのすべてのノウハウを学ぶことが一番の勉強だと思います。そのノウハウを学ぶためには、「~なさい」といった言葉の丸投げでは、いけません。読書へのアドバイスや、日頃の会話の中で、色んな具体的なアドバイスが欠かせないと思います。 3.親子で一緒に勉強する。 親の得意科目を教えてもいいし(私は英語を教えました。)、逆に子供から教えてもらってもよいのではないかと思います。 算数など、一緒に問題を解いても良いし、歴史なら、勉強している時代の本を親が読んで、話題作りしてもよいかもしれませんね。 又、ただ一緒に机を並べて、勉強しても良いと思います。 人間が本当に集中できる時間は20分だそうですから、一緒に机を並べてそれぞれ勉強に集中し、20分後に「アイスクリーム休憩」にしようか、などと提案しても良いと思います。 4.子供の興味のある科目やテーマを早くから把握して伸ばす方向へ まんべんなく学校の勉強ができたからといって、その子の将来がうまくいくとは限りません。むしろ特定の分野に異能を発揮する人の方が伸びる可能性もあります。その子はどんなことに目を輝かせるか、何にワクワクするか、ということはよく観察し、「そんなことはやめて、早く勉強しなさい」などというセリフは絶対にはかないようにしましょう。 とにかく意地でも「勉強しなさい」というセリフは吐かないよう、私も心がけました、幸い2人とも、(まあ彼らの資質なのでしょうが)自発的に勉強する子に育ってくれたようです。 ご参考URL:http://deztec.jp/design/07/04/06_life.html
補足
再度ご回答頂き、有難うございました。 私も今回は結構言いたい放題で、気分を害されたのではないかと危惧しておりましたが、私の率直な反対意見をひとまず受け止めて頂き、恐縮しております。 おこづかいの件。 確かに選択肢の一つとして示されたものではないかと私も思っていました。できれば避けたい方法だとは思いますが、人間の感じ方はそれぞれであり、この方法が有効なケースもありうるかと思います。よく言われるたとえの一つとして、どんな子供に対しても育児書通りに育児をしようとする親の例が出されますが、人間の子供は千差万別であり、育児や教育の方法も、あまり特定の方法にこだわる必要はないと考えます。 その上で、緊急避難的におこづかいを出して勉強させることもありだとは思いますが、最終的には、自発的にその気にさせるのが一番ですね。 子供の立場の件。 順序立てたご説明、よくわかります。 勿論、子供の立場に立つからと言って、子供の欲求のままにさせて、そのフォローをしないというのでは、何の意味もありませんね。 私は決して、子供をやりたいままにさせておけばよいと言っているのではありません。どうしたら、子供が勉強をする気になるか、もっと上手な方法を考えよう!と言っているだけです。 昌子武司「逆効果の心理~大人と子どものくいちがい~」あすなろ書房1996年刊 という本にありますが、子供に「~なさい」と言った話法で話しかけることは、一般的に全く逆効果であり、言えば言うほど子供は駄目になっていくようです。(前の設問と同じく、緊急避難的にたまに言うのはいいでしょうが、習慣化させたくない対応です。) これに代わる方法は、私は教育評論家ではないので、よくわかりませんが、子供を持つ親なら皆、色々な方法を考えてみる必要があると思います。2児(既に20歳近く)を持つ父親として、やや反省もこめて、考え直しただけでも例えば・・・ 1)なぜ勉強する必要があるのか? その前に、人間が生きていく上でこなしていく色んな出来事・・・生まれて、周りの人に可愛がられ、友達と一緒に遊び、学校で勉強したり、友達づきあいをしたり、本を読んだり、スポーツしたり、旅行したり、映画や演劇を見たり、音楽を聴いたり、外国の人と付き合ったり、就職し仕事をしたり、結婚して家族で生活したり・・・・といった一連の流れの中で、勉強を含め、それぞれの行動が人生の中でどんな意味を持ち、がんばったらどんな楽しみや人生の実りが待っているのか、子どもと一緒に考えてみましょう。
- domaine-espoir
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こんにちは。 その事件はしらないです。 人を殺めるのは相当のことがないと殺めるべきではないと思いますが、 ノーコメントで通します。 一般論に戻すと、 「勉強しない!」という言葉は、経験で得たことから言えることかもしれないですね。 一言で言うと、自身の経験をもとに後々を想像すると、カクガクシカジカ~ になるというような。 自分は勉強という言葉は嫌いですが、 生涯のなかで、若いうちに(若いというのも幅がひろいのですが)、 いろいろさまざまな見識を知ることは大事だと思います。 好き&嫌いは別に置いておいて。 ただ、何を勉強したい というか迷ってわからないというときに、 一律に「勉強しなさい」と上からいうのは、 言葉選びに鈍感だと思います。 もし自分が未経験だったら、相手(子供)と一緒に進みます。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 >「勉強しない!」という言葉は、経験で得たことから言えることかもしれないですね。 申し訳ありませんが、私はそうは思いません。 自分の経験からなら、もっと言い方を考えると思います。ボキャ貧なセリフを言う暇はないと考えます。 >ただ、何を勉強したい というか迷ってわからないというときに、 一律に「勉強しなさい」と上からいうのは、 言葉選びに鈍感だと思います。 もし自分が未経験だったら、相手(子供)と一緒に進みます。 この部分は共感します。
補足
やっと12番さんまでお礼を書き終わりました。 早々のご回答有難うございました。 ただ、申し訳ありませんが、これまでのご回答の中には、良回答に匹敵する、これといった名回答に出会えていません。 出来るだけ長くオープンにしておきますが、最悪の場合、良回答なしでクローズすることをおゆるし下さい。(8/2)
- dell_OK
- ベストアンサー率13% (766/5721)
そうだなあ。 「わからない事は教えてあげるから勉強しなさい」と言える親はあまりいないと思う。 子供の頃に習った事をすらすらと教える事ができる親は、うん、そんなにいないと思う。 そのような親には、勉強にかかれない要因を分析しようと言う気持ちが持てず、「自分で勉強しなさい。学校へ行っているのだからわかるでしょう。友達にも聞けるでしょう。」と本人に任せるのだと思う。 この「勉強」と言うのが、宿題であったり、予習復習であったり、とにかく親の目の届く範囲で勉強している姿、でしかないと思う。 私は、学校で十分に勉強していれば、家庭で勉強する必要はないと思う。 「おこづかいあげるから勉強しなさい。」と言う方法はどうだろうか。 子供の立場に立つ親などいるべきではないとも思う。 親は親の立場で子供の事を考え思うべきだと思う。 自分のして欲しい事をして欲しい人にして欲しいと言っているだけの事。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 これまでのご回答の中で、卓見と思われる部分も多いですが、そうでない部分も多いというのが正直な感想です。 勉強にかかれない要因を分析しようと言う気持ちが持てず、ただ丸投げしているだけの親が多いという点には賛成。 親の目の届く範囲で勉強している姿を見れば安心という親の自己満足に過ぎない、という点もその通り。 学校で十分に勉強していれば、家庭で勉強する必要はないというのも賛成。 「おこづかいあげるから勉強しなさい。」と言う方法には大反対。 子供の立場に立つ親などいるべきではなく、親は親の立場で子供の事を考え思うべきだというお考えには、真っ向から大反対。(理由は前のお礼を見て下さい。)
- staratras
- ベストアンサー率41% (1498/3648)
昔NHKで放送していた人形劇「ひょっこりひょうたん島」の中で、サンデー先生と子どもたちが、よく歌っていたのが『勉強なさい』という「名曲」でした。このご質問とこれまでの回答を要約したような歌詞でした。サンデー先生はいくつかもっともらしい理由を挙げて「勉強なさい」と歌いあげるのですが、放送では曲の最後が子どもたちの「そんなの聞き飽きた!」で終わるところが象徴的で、私は気に入っていました。(放送当時は小学生から中学生の子どもでした)大人と子どもの「勉強なさい」と「そんなの聞き飽きた」のやりとりは40年経っても変わりませんね。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 「ひょっこりひょうたん島」・・・なつかしいですね。 全く、大人と子どもの「勉強なさい」と「そんなの聞き飽きた」のやりとりは40年経っても変わりませんね。 どうして、どこの家も似たり寄ったりなんでしょう? 我が家ではどういうわけか、「勉強しなさい」と言われた記憶がないことはNo.1さんへのお礼で書きましたが、よそのお宅はどこもかしこも、冒頭の会話が交わされているのでしょうか? もし、そうなら、何と日本中(世界中?)、経験則から学ばない愚かな家庭ばかりなのでしょうか? そうじゃない家庭もきっとあるはずだと思うのですが、失礼ながら、これまでのご回答からは、まだ何も見えてこないのですが・・・。
- boke-chan
- ベストアンサー率22% (137/604)
・子供に遠慮する必要は無い。 ・芸などは無くても良い。 ・言語が発生した時から、親は子に「勉強しろ」と言っていた。 (時代によって勉強の内容は違うが)
お礼
お礼が遅くなりすみません。失礼ですが、かなり違和感を覚えるご回答です。(あくまで私の感じ方なので、ご容赦ください。) >・子供に遠慮する必要は無い。 当然です。甘やかすことも、或いは逆に厳しくすることも不要と考えます。等身大に見ることが一番だと考えます。 又、子供だって一人の人間、その人格を尊重することは最低限のマナーだと思います。子供は神様から預かった宝物であり、親の所有物ではありません。できるだけ一人一人の子供の特性を尊重し、のびのびと育てるのが一番だと思います。 >・芸などは無くても良い。 芸はあるに越したことはないと考えます。上記のように言ってしまえば、そこで、会話が終わってしまいますし、失礼ながら向上心も感じられません。 >・言語が発生した時から、親は子に「勉強しろ」と言っていた。 その通りですね。だからこそ、そのような愚かなことは繰り返すべきでないと強く思います。
- kei811
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勉強しなさいだけでなく運動しなさい(外で遊びなさい)とも言う親いますよ。特に今の世の中ゲームその他家の中で遊ぶことが多くなったこともあって運動不足で肥満の子供も増えていたりもするし。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 おっしゃるとおり、今では、「運動しなさい。」(外で遊びなさい)ともいわなければならない時代なんですね。 これもただ、「運動しなさい。」と言うのではなく、一緒に運動の機会を設けて、その楽しさを実感させるしかないと思います。
- MRT1452
- ベストアンサー率42% (1391/3293)
それ自体は、昔から何も変わっていません。 むしろ昔に立ち返れば立ち返るほど厳格になってます。 つまり、逆方向から見て、今の子供は自分の「楽」ばかり、やりたい放題やり過ぎ。 そして、都度ストッパーを担うべき親がそれをしない。 むしろ逆に子供と一緒になってエゴイスト全開(つまりモンスターペアレント化) それにより子供のエゴはどんどん激流化する。 こんな激流と化した流れにストッパーを立てた所で壊される。 こういった問題は「親子」の問題であり、「親」の問題でも「子」の問題でもありません。 愚かな親、愚かな子が急増している昨今で、 こういう事件が起きない方がそもそもおかしいしね。 書き出すとダラダラになるので。一言。 「今の親も子も『勉強の本質』を全く分かっていない。」 わかっている親なら、モンスターペアレントなんぞにはならないし、 そもそも小学生で塾に行かせるとか有り得ないし。 No1の方の親御さんはその辺を良く理解されている良親だと思いますね。 もちろん、それを読んで、親に応えているNo1の方自身が居て初めて成立するのですけどね。
お礼
(補足欄のつづき) しかし、今は時代が違います。価値観の多様化と自由化への波は押し戻すことは不可能ですし、夫婦や親子の間に必要以上の垣根を作ることは、もはや害にこそなれ、益になることは少ないと考えます。 もっと欧米流に家族はフランクな関係を築く必要があると考えます。 家庭は、「教育」以前に、まず「安息」の場です。親が抑圧的にではなく、まず穏やかに、普通の口調で子供に接するのが基本です。普通の口調で楽しげに会話すれば、相手も同じように返してくるはずです。(これを「ミラーの法則」と言います。) 子供にやさしく接することは、甘やかすことではありません。 普通の会話の中で、にこやかに、やっていいことと、やっていけないことを相手の立場に立って教えてあげればよいと思います。 穏やかな家庭で育った子供は、反社会的にはならないはずです。 抑圧的に子供に接すると子供は必ず萎縮し、反発してきます。又、たとえ我慢をして親に従ったとしても、いずれ、その感情のあつれきは何十年後かもしれませんが彼らの新しい家庭で爆発することがあります。 子供に抑圧的に且つ一方的に、ただ「勉強しなさい!」と言った所で、子供がその気になるとは到底思えません。子供の立場に立てば容易にわかることです。 又、『勉強の本質』についてですが、学業の充実だけではないことはもちろんだと思います。世の中の真実や人間の心を探求することはすべて 「勉強」につながることだと思います。広い意味で、いろんなことを子どもに、自ら教えたり、ヒントを与えられる大人になりたいと思います。 自由を謳歌しながら、しかも規律を重んじた人間になるにはどうしたらよいか、を表した名著に以下がありますね。 池田潔『自由と規律』(岩波新書) http://books.yahoo.co.jp/book_detail/00695284 http://club.pep.ne.jp/~y.hosoya/booksreview/jiyutokiritu.htm 長々と述べたて失礼しました。
補足
お礼が遅くなりすみません。 確かに「勉強しなさい!」は、昔から親の子供への常とう句だったと思います。 又、昔は確かにもっと厳格で、今は親も子供もやりたい放題で節度がなくなっている、というご指摘も理解できます。父親は家庭に君臨し、食事中に口を聞くことも許されず、ましてや親に口応えなんぞとんでもない、ということで育ち、母親もひたすら夫と子供たちの世話とフォローに身を粉にし、質実剛健、質素倹約の中で、子供たちは、それなりに一定の価値観の下に、立派な大人に育ち、それは日本国の秩序を保ち、近代国家としての国力を増進するのに大いに役立ったと思います。
だってそうじゃない。 頭のいいパパママは子供が馬鹿じゃ困るの。 頭の悪いパパママはなおさら子供が馬鹿じゃ困るの。 無関心なのはウルトラバカなの。 実感伴ってると、違うでしょ?理屈じゃないのさ。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 どんな親でも子供が馬鹿じゃ困りますが、方法論が間違っていると思います!!! どうしたら子供が勉強をする気になるか、もっと考えるべきと思います。
- goo2005goo
- ベストアンサー率17% (126/706)
子供に勉強させる最良の方法は、親が手本を示すことです。人にどうこう言う前に、自分がまず、寸暇を惜しんで勉強しているべきですよね。家事や仕事の合間をぬって勉強する姿に、子供は必ず感化されるはずです。そこがまずわかってない。まるで、「自分はもう学生じゃないから勉強しなくても良い」とでも考えているかのようです。 もう1つは、勉強の方法を教えることです。子供は勉強の仕方を知りません。何をどうすれば良いやら見当もつかない。予習復習の2種類があって、それぞれ手順が違うのだ、ということすら知らない。たぶん親自身が、勉強の方法なんて考えたこともないんでしょうね。だから漠然と「勉強しろ」などと命令する。子供に丸投げする。 自分が言われて嫌だったことを、なぜ自分の子供に言うのか。本当に理解に苦しみます。「嫌なことは自分だけで充分。次の世代には持ち込まないぞ」これだけの決意すれば、あとはどう行動すれば良いか、分かると思うんですけどねえ。
お礼
お礼が遅くなりすみません。 おっしゃる通り、次の2点は、親が子供に勉強をさせる時の心がけの基本だと思います。 1.親が手本を示すこと 2.勉強の方法を教えること 丸投げしても、子供は従う気には到底ならないと思います。 基本的には100%共感できるご回答です。 なぜ親は子供に丸投げしかしないのか? 更なるメカニズムを知りたいと思います。
補足
No.12さんの補足欄に、厳しいことを書きましたが、これまでの処、何とか良回答に出来る唯一のご回答です。(今後もっと良い回答が出てきた場合はご容赦ください。) 今後の方も含め、出来れば更に具体的な分析をして頂ければ助かります。 質問後2週間の8/5には締め切る予定ですので、よろしくお願いします。 (8/2夜)
- yama_x
- ベストアンサー率20% (188/940)
全体的に子どもの心情を優先しすぎる風潮が、我慢の出来ない、 自分の思い通りにならないと極端な行動に走る、そんな子どもを 生み出している、という考え方もあるかと思います。 親の役割は、子どもを「健全な子どもとして養育する」のではなく、 「社会性を持った大人に育てる」ことです。 子どもの立場に立った行動ばかりでは、子どもは喜ぶかもしれませんが、 必ずしも子どもの為になるわけでありません。 必ずしも自分の事を優先してくれる人ばかりではなく、また、 自分がやりたいことをしていればいい、という社会ではないことを 教えることも親の役割です。 仰られるように「別の言い方」はあると思います。 でも、社会には上下関係があって、一方的に上からものを言われる こともあること、やりたくなくてもやらなければならない事があること等を 親が身をもって子どもに教えることには賛成です。 むしろ今回の事件は、中学三年にもなって、こういう行動での発現の 仕方しか思いつけなかったこと、そしてその原因はおそらく家庭内だけ ではなく、「勉強しろと言われる自分は不幸」と思わせるような、 子ども優遇の社会、「友達のような親子」がもてはやされるような 社会のあり方に疑問を持つべきの様な気がします。 バスジャックの事件もしかり。 親は親、子は子。大人は大人、子どもは子ども。 権利と義務は表裏一体。 「子ども」は未成熟な人間であり、「大人」と比較して、様々な面で、 義務・責任の免除を受ける以上、同時に大人より強い規制を受け、 権利も剥奪されるもの。 同様に親は子の養育の義務を持つ。併せて子どもの行動にも責任を 持たなければならないという意味からも、親・大人としての判断で、 子どもの行動を制限することがあってもおかしくないと思います。 親も社会も、子どもが無制限の自由を手にしているわけではないことを しっかり教えていく必要があると思います。
お礼
(補足欄の続きです。) >親は親、子は子。大人は大人、子どもは子ども。 こういった役割意識は昔からあります。 しかし、大人もかつては子供でしたし、今だって「大きな子供」です。 実際、私たち大人に本当に大人としての自覚があるかどうか甚だ疑問ですし、子供にも大人でもびっくりするような才能のきらめきや、天使のような無心な心情があります。子供はまっとうな大人へ向かう単なる道程ではなく、子供であること自体が、素晴らしいことだと思います。 子供を大人の下に置くのではなく、お互いの存在に敬意を抱くことは当然だと思います。 >親・大人としての判断で、子どもの行動を制限することがあってもおかしくないと思います。 親・大人は、子供の保護者として、子供が社会に迷惑をかけたりしないように、最大限の注意を払う必要があると思います。 しかし、子供の才能や可能性は本来無限のものだと思います。それを親や大人は自分の都合のいいように、いわゆる「常識的な」人間に育てようとするために、本来の才能をつむようなことをしてしまいます。 学校の授業についていけるように、将来困らないように「勉強しなさい。」としか言わない親は、そんな暇があったら、もっと立ち止まって、子供が何に興味があるか、何に目を輝かせるか、もっと観察する必要があると思います。 人は誰でもワクワクするようなことなら、誰が何を言おうが、喜んですると思います。
補足
お礼が遅くなりすみません。 一貫したご主張、一理あると思います。唯、細部では賛同できない部分が多々あり、失礼ながら私見を併記させて頂きます。又、物事には両面があり、異なる意見に見えても結局は同じことを裏表から表現していることもありえると思いますが・・・。(あくまで私見ですので、気を悪くされませんように。) >全体的に子どもの心情を優先しすぎる風潮が、我慢の出来ない、 自分の思い通りにならないと極端な行動に走る、そんな子どもを 生み出している、という考え方もあるかと思います。 物事の出発点は、「子どもの心情をとことんまで理解すること」だと思います。子供は親の庇護下に置かれている弱い存在であり、どんな場合でも親は子供の味方であり、親は自分に愛情を注いでいるんだということを自覚できる子供に、反社会的行動を取る子供はいないと思います。 その上で、どんな時に我慢や他人への思いやりを示さなければいけないのか、その相手の人の立場に立たせて、じっくり諭してあげれば、子供はすぐに理解してくれるはずだと思います。 >親の役割は、子どもを「健全な子どもとして養育する」のではなく、 「社会性を持った大人に育てる」ことです。 子どもの立場に立った行動ばかりでは、子どもは喜ぶかもしれませんが、必ずしも子どもの為になるわけでありません。 健全な子ども時代を過ごして初めて社会性を持った大人になれると思います。まず子どもの立場に立ち、子供に最大限の愛情を注ぐことがすべての出発点であり、それは何も子供におもねることでも、甘やかすことでもないと思います。 >必ずしも自分の事を優先してくれる人ばかりではなく、また、 自分がやりたいことをしていればいい、という社会ではないことを 教えることも親の役割です。 ・・・・・ でも、社会には上下関係があって、一方的に上からものを言われる こともあること、やりたくなくてもやらなければならない事があること等を親が身をもって子どもに教えることには賛成です。 ある程度子供が年かさを経れば、お説のようなことも言って聞かせなければ、子供は社会に出て戸惑うことになると思いますが、方法論に慎重になる必要があると思います。とかく、親は子供に「しつけ」と称して、抑圧的・暴力的な言い方をすることにより、我慢することや、目上の人の言うことを聞かせようとしますが、例え親でも、このような抑圧的な態度は、子供の自発心に訴えることは決してできないと思います。 人は誰でも自発的にしたいと思うことしかできません。人から強制され、命令されても意に沿わないことは、たとえ形式的に従ったとしても、心の底からは絶対に従うことはできません。 子供にその気にさせるためには、先ず自分がしてもらいたいことを自覚させ、他人も自分と同じようにそのようにしてもらいたいのだ、ということを足りると思います。
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お礼
OKポイント大台突破おめでとうございます。 他の質問-回答でも何回かご一緒させて頂いていますね。 今回の私の質問では、質問しておきながら、何だか私の意見の表明の場みたいになっている嫌いがあり、随分言いたい放題だな、とお感じの向きもおありかと思います。すでに手遅れかと思いますがすみません。 それにもかかわらず、何度も辛抱強く、私の一方的にもみられる主張にお付き合いいただき、恐縮です。 >もっと幼い頃に、その子供がほめられてのびるタイプなのか、他のタイプなのかを、知る経験をする必要があるのだと思います。 >相手の意思を聞き、それが可能であり、かつ、私が同意できるものであればそれに従う(子供と一緒に考える) 社会的、心理的に人間の心の分析をよくされていると思います。 このようなお考えは、私の信じる考えに近いものがあり、ストンと腑に落ちるものがあります。昨今親の権威がなくなったことを問題視する向きもありますが、やはり、家庭教育の基本はその一番の受益者(つまり子供)が自発的にやる気にならないことには、そしてそのようになるように辛抱強く親が子供に付き合わないことには、始まらないのではないでしょうか? プロフィールで「ポイントはいらない」とのお言葉ですが、やはり度々のご回答に誠意を感じましたので、ポイントを付けさせて頂きます。 質問から2週間を過ぎましたので、質問をクローズさせて頂きます。 皆様、ご回答有難うございました。