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生きる意味 (一般人としての生きがい)
社会人になってから数年が経ちます。最近思うことがあります。社会における成功とは何か、生きる意味とはなにかということです。 現在、原油高騰により物価も高騰し、さまざまな人の生活に影響を及ぼしています。その一方で、一部の資産家は投資マネーにより、ぼろ儲けしてると聞いたことがあります。原油の高騰は、未来環境を考慮すると致し方がないかもしれないが、私が納得できないのは、この状況下で、一部の人間が一人勝ちすることです。 当然のことながら、人は生まれながらに平等ではない。どの国、どの家庭、才能をもつか、いつ生まれるかによって、全く、一生は異なります。 自然界では、人間以外の動物は成長する段階で死ぬため、子孫を残せるのはごくわずかです。多くは、他の動物に捕食され数が減ることにより、個体数の均衡が保たれています。だから、成長して子孫を残せる個体は他の個体を犠牲にし、生き延びた勝ち組とも言えます。 人間界では、先進国のほとんどの人は、大人になることはできますが、原油問題や戦争のように、政治家、資産家、才能を持った一部の人間が優位に世界を動かし、その他は、ただ振り回されながらいきていくのかなとも思います。 私も多くの人と同じように、抜きでた才能はないし、普通の家庭にうまれた人間です。自分も成功者の糧になるために働いているのでしょうか? そんなこと考えずに、今できること仕事を頑張ればいい。自分なりの幸せを見つければいいと思うのが、一般的正論でしょう。しかし、それでは、納得しかねます。 長文でかつ趣旨が分かりにくい内容で恐縮ですが、この文章をみて、なにか思ったこと、反論がある人、人生における成功や生きがいに対する考えを持っている人、自分と同じような悩みを持っている人、ご意見よろしくお願いします。
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ご回答ありがとうございました。 >私の場合ですと 自分が死んだときに ひとりでもココロから泣いてくれる人がいたら生きていて良かったって思うでしょう。 これって 案外少ないような気がします 捻くれているのかな。 ↑ 死んじゃったらわからないか(笑) 立派な生きがいだと思います。 一部の人間が成功し世界を牛耳り、その一方で、自殺者や餓死する者がいようとも私の責任ではないし、今の自分にはどうにもできないことです。 だから、私は今できることで精進し、少しでも強い立場の成功者になれた時には、私利私欲に走らず、自分の持つ余裕を人のために使い、弱い立場の人を守れる人間になれればよいと考えています。 偽善者と思われても、それでも、救われる人がいるなら、かまいません。 それも生きがいの一つかもですね(笑)