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国立大学法人にとっての公平委員会は?
先日、高崎経済大の教員が懲戒免職から停職6月に変更されました。市の公平委員会に相談したことにより、変更されたそうですが、国立大学法人の教員の場合、そうした公平委員会に相当する機関または組織はあるのでしょうか?
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高崎経済大学は独立行政法人ではありません。ですから、当然にそこに勤務する教職員は高崎市の公務員ですので、公務員の処分にたいする救済機関である公平委員会に訴えることが可能です。もし高崎経済大学が独立行政法人であれば当然に公平委員会に訴えることができないでしょう。 しかし国立大学法人は独立行政法人化(正確には国立大学法人は独立行政法人とは異なるのですが)されていますので、そこに勤務する教職員は公務員ではありません。ですから、大学外に不服審査を訴えることはできません。処分に不服であれば直接裁判になります。
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- satoumasaru
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ご質問がありましたので回答させていただきます。 > そこの評議会なり学長の判断が適正なものでなかったら、誤った懲戒処分 > は簡単に下せますので、それをあまんじて受け入れるか、裁判に持ち込む > かということになりますね。 大学自治は学問の自由を保障するためにあるものだと思っています。では大学自治というのはどこまで認められるか、最低でも予算と人事でしょう。ですから、人事(昇任、降任も含めて)が大学内で検討され決定される必要があります。 評議会の議論について、きわめて否定的なお考えのようですが、「教育研究評議会に人事をかけなければならかい」ということだけで、そう無茶なことはできません。また評議会でかけられた場合などでも、処分される側が明確に意思表示をすればそう無茶なことにはなりません。その程度の大学人の自覚はあると信じます。 たとえば私学では労使紛争ではよく理事による恣意的な処分が行われます。このようなことが横行するのは人事に関してこのように「評議会で決定する」というしばりがないためです。国立大学では労使紛争において私学のような処分が行われたことは寡聞にして聞いたことがありません。 > 恐怖政治を食い止めるための「政治の力」というのは、具体的にはどのよ > うなこと(方法)を指しておられますか?是非、ご教示ください。 国立大学法人をどう位置づけるかと言うことです。処分こそ「評議会」で決定することとなっていますが、これは法律的な裏付けがありません。しかし一方、学長については以前は教授会(評議会)で決定することとされていたのが、学長選考委員会で決定するように法的に変更されました。学長選挙は必須ではなくなったのです。ですから学長選挙をやってもやらなくても、一位以外の人でも選考委員会が決定すれば誰でも学長になれるのです。 ですからこのあたり、法律を変更しないと「評議会で決定する」「学長選挙の実施」などもいつ反故にされるかわかりません。法律の裏付けがなければどう変更してもかまわないのです。しかしこれは法律の変更が必要です。ですからきわめて政治的な問題なのです。
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ご回答、ありがとうございます。 大学の経営形態が変わり、民主的な大学運営の態勢整備がなされないまま、一方では既得利益集団が急速に形成されつつある事の結果として、今後、益々不公平な処分事案が生まれるとの懸念があります(すでに各大学で起こっていることです)。 評議会に上がってきた事案に対しては、ただ廻し読みするだけで、処分される者の所属集団の決定に対して口を挟むようなことは、ほとんどの場合ありません。ですから、評議会が抑止力になるとの期待は持てず、それよりも、処分に対する異議申し立ての窓口をいかに民主的に維持し、処分を下した機関とは別に、独立した調査に基づいた適正なる判断を下せるような仕組みを作るかが、重要なことだと思うのですが、いかがでしょうか?
- satoumasaru
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いくつか補足的意見をおっしゃっておられるので、申し上げます。 >全国の国立大学が国立大学法人となって今年で5年目を迎えますが、 >迷走状態に陥っている大学が多いと聞きます。 おっしゃるとおり、迷走というか暴走というかそのようなことを散見します。 >トラブルが発生した場合、以前だと人事院に相談するというステッ >プが踏めたわけですが、いきなり裁判ということであれば、(裁判 >をしないとなると)我慢するか投げ出すかの選択を迫られることと >なり、良い人材は残らなくなるでしょう。 以前ですとたしかに人事院に訴えるという手段がありましたが、ほとんどの場合労働側の訴えは却下されていました。人事院が「イチジクの葉っぱ」と揶揄されたゆえんです。ですから人事院があったから良い人材が残ったわけではありません。むしろ人事院の制度よりも公務員でなくなったことにより、教育公務員特例法から国立大学法人の教員が除外された方が影響としてはおおきいでしょう。 戦前では滝川事件や天皇機関説事件など、政府による大学の研究への攻撃がありました。その反省の上にたって、戦後は大学自治に対して法的な保証として教育基本法や教育公務員特例法が定められました。(残念ながら改悪されましたが)その端的なものが教育公務員特例法第五条です。 (降任及び免職) 第五条 学長、教員及び部局長は、学長及び教員にあつては評議会、部局長にあつては学長の審査の結果によるのでなければ、その意に反して免職されることはない。教員の降任についても、また同様とする。 この適用がなくなったため、法律的には大学教員だからといってとくに保護されることでななく一般的な労使関係と同様になりました。現在ではほとんどの国立大学法人では教員に対する不利益処分は就業規則において教育研究評議会の議を得ることとなっています。しかしこれは法的な裏付けがあるわけではなく、単に就業規則で定められているにすぎませんので、大学内でいくらでも変えることが可能となっています。 >なにか対策をたてなければ、国立大学法人が恐怖政治の場となる危険性大だと思います。 こうなると学内の力関係になるでしょう。「恐怖政治」にならないように大学人がその良識を発揮することが一層必要になります。また政治の力も必要になるかと思います。
お礼
詳細なコメント、ありがとうございます。大変参考になります。 ところで、(降任及び免職) 第5条ですが、この法令は、大概の大学の就業規則に残っているようですが、そこの評議会なり学長の判断が適正なものでなかったら、誤った懲戒処分は簡単に下せますので、それをあまんじて受け入れるか、裁判に持ち込むかということになりますね。 恐怖政治を食い止めるための「政治の力」というのは、具体的にはどのようなこと(方法)を指しておられますか?是非、ご教示ください。
お礼
さっそくのご回答、ありがとうございます。 全国の国立大学が国立大学法人となって今年で5年目を迎えますが、迷走状態に陥っている大学が多いと聞きます。トラブルが発生した場合、以前だと人事院に相談するというステップが踏めたわけですが、いきなり裁判ということであれば、(裁判をしないとなると)我慢するか投げ出すかの選択を迫られることとなり、良い人材は残らなくなるでしょう。なにか対策をたてなければ、国立大学法人が恐怖政治の場となる危険性大だと思います。