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「地球のためにできること」という言葉を聞いて即座に思ったこと
今日何気なく聞こえたラジオで「地球のためにできること」という言葉があって、「そりゃ、各人が子孫を残さず死ぬことだ」と即座に思ったのですが、間違っているでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
この問題は、「私はなぜ生きているか」、「なんのためにいきているか」という問題と裏表一体だと思います。 この解答のヒントは、石油文明に浮かれる前の持続可能な時代の中で伝えられて来た世界の宗教の中にあると思います。伝統的仏教の教えで言えば、宇宙の大きないのちを自覚することが人に生まれた目的であり、喜びであると。そして私を取り巻く1つ1つのいのち、一本の草木までかけがえのないいのちとして、大切にしようと。 地球破滅の原因が人間自身にあるからといって、自分の存在を認めなくなったら、それこそ、ここまで人間に育て上げてきた宇宙のいのちの悲しみではないでしょうか。 かっての多くの日本人は、おかゆをすすり、ぼろを着ても、大きないのちの中にいることを感じて安心し満足して、素晴らしい文化を残してくれました。「おかげさま」や「もったいない」はこのような中から生まれました。 このような生き方に学ぶことが、温暖化時代を明るく生きる知恵ではないでしょうか。
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- tomban
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まぁ「地球のために」という言葉自体「おためごかし」のような気もしてますがね。 正確に言えば「人が住みよい地球のためにできること」って意味じゃないかと私は思っていますけど。 そういった意味からすれば、人が子孫繁栄を望まなければ「人そのもの」が絶滅しますから、何にもならない(笑)。 自分たちの存在を「無し」にして、地球の存亡もへったくれも無いでしょ?。
お礼
そういった意味では、共存できる範囲でという節度があればいいかもしれません。
補足
生命保険金を家族に与えるために自殺する人がいるというのがあります。これは、「家族」といういわば自己の分身のような存在に対して、「自分が死ぬ」という確実な行為で持ってほぼ確実に保険金が支払われるという実効性があるからあるんですね。 地球のために子孫を残さずに死にましょうというのは、そう自身がやったところでほかの烏合の衆はただ合いも変わらず増え続けるだろうし、まして「地球」なんて「家族」ほどの愛着がないという構図なのではないかと。
- boke-chan
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間違ってないと思いますよ。 でも、いない方がいいでしょうが、いても良いです。 地球にとって、人間なんか気にする価値もありません。 人間が、環境破壊する? そんなもんなんて、小さいでしょ。 大昔は火山だらけだし、CO2の時代もあったし 世界規模の大嵐、地軸の大荒れだってあったでしょう。 それを乗り越えてきた地球にとっては人間の影響なんて 屁でもありません。 仮に人間の影響が大きくなっても、地球がちょっと抵抗すれば 大多数は死滅しますし・・・。 あえて言うなら、地球の為に現在の人間がやるべき事は、 住まわせてもらっている事に感謝する事じゃないでしょうか?
お礼
私も、いてもいなくても地球自体にはさして影響ないだろうと思っているのですが、それにしても醜いんですよ。珪藻とかバクテリアが替えてきた歴史とは違って、薄汚い欲が大きいですから。そこのところが腑に落ちないですね。感謝がないところもだめでしょうね。
- rikukoro2
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極論ですが・・・正論ですな 無論、間違ってないです
お礼
そうですか?助かります。
- ha_na_ge
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まぁ・・・地球からしてみりゃ人間が一番の害虫だもんね。 「地球のために」という視点から見れば間違ってないと思います。
お礼
はい、地球史以来最大の害虫です。地球にとっては、珪藻やバクテリアのほうが親和性があります。
- celtJapan
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なは(笑 ある意味正論かもしれませんね。 前に何かの映画のコピーでこんなのがありました。 「地球が体だとすれば、人間はガン細胞だ」。
お礼
やはり、特異な存在です。バクテリアとも、珪藻とも違いますね。
お礼
そうですね!精神の健康ってなんだろうと思うんです。それは、自然と地球と宇宙と不可分なんだろうかと。だから、強欲でなく、無思慮でなく、ちゃんと節度を持たなくては、いや、持てるような世界で鳴ければと思います。そして、そのためには人口が減ることではないかと思っています。