• 締切済み

幻の映画、映画にならなかった映画

映画界では、企画にあがったものの、制作が途中で中止された映画が掃いて捨てるほどあります。 私はフリーのライターですが、日本映画のウラ歴史としても残しておかなければないと精力的に取材をしております。 「そういえば、こんな映画も企画倒れだったなあ」という作品を、ぜひ教えてほしいのです。

みんなの回答

  • MGT
  • ベストアンサー率26% (21/80)
回答No.7

宮崎駿監督の代表作 「風の谷のナウシカ」 は下記のような続編企画があったようですが、いずれも監督の意向で取りやめになったそうです。 (1)風の谷のナウシカ2 by宮崎駿 →映画版では描き切れなかった、原作漫画(これも宮崎駿監督の作品)のその後の展開を描く続編。 (2)クシャナ戦記 by庵野秀明 →同じく原作の漫画の登場人物にフォーカスした外伝的作品。

  • tattom55
  • ベストアンサー率52% (194/367)
回答No.6

高校時代、安部公房の「第四間氷期」を堀川弘通監督が映画化するというのでものすごく期待していたのにポシャってしまったのを今でも悔しく思っています。 脚本は完成していて「映画芸術」か「シナリオ」誌に掲載され読んだ覚えがあります。ラストシーンでは読みながら泣いたことも。 壮大なSF映画になるということで予算も付かなかったのでしょう。(製作予定会社は東宝だったと記憶しています) 今でも是非映画化してもらいたい作品です。

take1111
質問者

お礼

貴重な情報、ありがとうございます。 当時の雑誌を調べ、当事者の方々に取材していこうと思っております。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.5

まあ、SF邦画でもいくつかあるようで、小松左京の「日本アパッチ族」などは、脚本もでき、ハナ肇が主演と決まっていたのにボツとなりました。 大映がはじめてつくろうとした怪獣(?)映画「大群獣ネズラ」は、ハイ・カロリーの実験開発中の宇宙食を食べたネズミが、巨大化してしかも鼠算式に増えていき……という映画で、撮影もはじまりスチールもあるのですが、撮影所にいたネズミが脱走したり、シラミがわいたりして保健所の手が入ってダメとなりました。 No.4様のアンサーが、やはり正解だと思います。東宝争議のあとにできた独立プロの映画まで入れたら、それこそ無数にあると思います。

take1111
質問者

お礼

面白い情報、ありがとうございました。 「大群獣ネズラ」の話は、笑えますね。

回答No.4

映画を御存知の方でしたら、雑誌キネマ旬報を 1冊づつ丁寧に参照すれば、具体的な幻の企画 は知ることができると思います。 年代は、1955年以降から見ても数百本は 見つかると思います。 専門的には、題名だけならば、映倫審査作品リストに、 製作中止で廃盤、となったものがあります。 プロデューサーが企画段階で、口にだしたものから 製作完成寸前に突然製作中止になったものまで含めると 何千本にもなるのではないでしょうか。 また映画の殆どは、制作の表記ではなく、製作です。 正直、この内容では、持ち込み企画ものの出版は 無理ではないかと思われます。 ネット上でも、これを収集公表している方がいます。 探してみて下さい。

take1111
質問者

お礼

色々と丁寧なアドバイス、ありがとうございます。 「キネマ旬報」は、大宅文庫で徐々にあたっているところです。 「ネット上でも、これを収集公表している方がいます。 探してみて下さい。」とのこと。ネットはかなり見たのですが、「収集公表」しているサイトがあるとは知りませんでした。 今後、精力的にリサーチしてみます。

noname#86756
noname#86756
回答No.3

20年近く前ですが「いつかギラギラする日」の続編で「非合法大陸」というのが企画されてました。「マッドマックスを超える映画を」が目標だったためバイク乗りの出演者オーディションを行う予定でしたが寸前でポシャったと記憶しています。撮影完了まで時間を拘束されるためにオーディション参加をきめた時点で仕事を辞めた人もいましたが、結局オーディションは行われず松竹始まって以来の不祥事だったとの話もあります。

  • mozofunk
  • ベストアンサー率39% (503/1279)
回答No.2

小説家でマルチタレントの景山民夫氏は生前、岡本喜八監督を心酔していて、かなり深く交流されていた時期がありました。景山氏の小説「遠い海から来たクー」を映画にするための共同作業をしていたのですが、監督が台本を書き上げ製作準備に入ろうかという頃に、景山氏が、入信していた教団を「フライデー」が取り上げた記事に抗議するため、講談社前でその雑誌を焼く事件を起こしました。このことに対し岡本監督が焚書坑儒をする輩と徒党を組むわけにはいかないと、景山氏に対し一方的に義絶宣言をして映画化をやめてしまいました。 後に日テレが残った脚本を使って同名のタイトルでアニメ化しています。 また岡本監督はその晩年山田風太郎氏原作の「幻灯辻馬車」の映画製作をしようと準備されていましたが、東宝の映画調整部から「華になる若手女優がいない」と興行を断られ、かつて役者時代からの親交があった東映の岡田社長のバックアップを受け製作再開かという時期に病に犯され7ヶ月あまりの闘病もやむなく身罷られています。 老婆心ながら・・ >「そういえば、こんな映画も企画倒れだったなあ」という作品を・・ もう少し考えて文章を練られた方がよろしいかと・・・

take1111
質問者

お礼

貴重な情報とご意見、本当にありがとうございます。 [岡本監督はその晩年山田風太郎氏原作の「幻灯辻馬車」の映画製作をしようと準備されていました】とのこと。 岡本監督も山田風太郎の明治シリーズものも大好きなので、非常に残念です。

  • yoko42
  • ベストアンサー率39% (123/311)
回答No.1

広瀬正著「マイナス・ゼロ」というSFがあります。 日本のタイムトラベル物としては有名な作品だと思いますが、これは藤田敏八監督で映画化が予定され、台本までできていたそうです。 しかし「昭和11年の銀座のセットを作るだけで5千万円かかる」ということで実現しなかったとか。 今ならCGでできるので、映画化されればいいのになと思います。 http://channel.slowtrain.org/movie/column-isan/isan_bn/isan1112.html

take1111
質問者

お礼

面白い情報、ありがとうございます。 藤田敏八監督の関係者に取材してみようと考えております。

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