そういう事柄を本当に知りたいなら、図書館や日本サッカーミュージアムに行くなり、ウィキペディアなどを利用してネット検索するなりしたほうがいいと思いますが・・・
私は広告制作を職業としているので、その方面から知り得た、一般にはあまり知られていない事実を少し。
博報堂がいろいろ協力したのは確かです。
スポーツ局(ここにはホークス・王監督の娘である王理恵が所属していました)が中心になって、「Jリーグ」の名称・ロゴ制作などをはじめ、営業局・媒体局・クリエイティブ局など各部署が連携してブームを盛り上げていきました。
「J.LEAGUE」のロゴをデザインしたのは当時博報堂社員、現在では資生堂TSUBAKIやソフトバンクモバイルの広告ディレクションを担当している大貫卓也氏です。
Jリーグスタートの日に掲載された、「夢でした。」というコピーの新聞広告も博報堂制作です。
現在でも毎年のJリーグ開幕やナビスコカップ決勝の広告は博報堂と、博報堂と関係の深い広告制作会社が企画制作しています。
またJリーグ以外の宣伝活動でも博報堂は、Jリーグを盛り上げる役割を果たしました。
たとえば永谷園のJリーグカレーのCM(食べた子どもがラモスに変身するもの)、「うらやましいぞ!!Jリーグ」というコピーを使った遊園地としまえんのキャンペーンは、いずれも大貫氏のいたチームが制作しています。
私自身、当時よくサッカーやJリーグと絡めた広告案を出すよう要求されました(担当商品はJリーグと関係ない家電なのに)。
Jリーグ創設から数年後、博報堂社内のある人物に聞いたところ、こんな風に言われました。
「電通は最初、プロのサッカーリーグなんてうまくいかないだろ、儲からないだろって言って全然手を出さなかったんだよね。ま、後から電通は日本代表のほうをやるようになって、うまいとこ取ってっちゃったけど」
なお、博報堂はJリーグからサッカーに乗り出したわけではなく、その前身のJSLから関わっていました。
たとえば、当時まだ現役選手だった釜本氏がヌードで登場した1984年のJSLのポスター、「ペレストライカー」のコピーでサッカーボールを持ったゴルバチョフのそっくりさんが登場した1990年のJSLのポスター、いずれも博報堂の制作です。