麻雀漫画 天の赤木の言葉についてです。
麻雀漫画 天における赤木しげるの「責任を取る道は、身投げのような行為の中にはない。責任を取る道はもっと地味でずーっとまっとうな道。」という言葉についてですが、
その後の言われた本人のひろゆきの解答、「俺は俺の麻雀を全うすればいい」「たとえどんな状況であれ 自分の麻雀を捨てちゃいけない」などと解答してますが、
初めて読んだ時から今の今まで、自分の印象は、ポカーン、でした。
え、違うんじゃない? あ、そうか、これは福本さんがわざとひろゆきの未熟さを表現しているんだ、ほかの漫画では見られないが、読んだ読者に、おもしろくないななどと、悪い感想を持たれてなお、いやそれでこそ真に愚かさ、未熟さなどを表現できるんじゃないか、という前々から自分も思っていたような、比較的高度でないかと思われる登場人物の未熟さ、愚かさの表現方法なのではないか、いやそうであってください、お願いします、まさかあの解答が本気なんだとは人間の可能性を信じる意味で思いたくない、といった心境です。
赤木が言いたかったのはそんな発展的話でもなんでもなく、あの言葉通り、
「責任を取る道は、身投げのような行為の中にはない。責任を取る道はもっと地味でずーっとまっとうな道。」
というそれ以上でも以下でもなく、またそれが本質、本題だと思います。
まず単純にその言葉の意味を理解し、それこそが唯一するべきことだと思うのですが。
自分の麻雀をつらぬくだのなんだのは結果的にやることは人によってはそれになるかもしれないですが、ひろゆきさんまず見るとこ考えるとこがちゃうんじゃないかと。
例えるならば、交通事故を起こし誰かを死なせてしまった場合、だからといって自殺するのは責任を取ることにも何もならずただその本人さんの都合のいい現実逃避、責任放棄の手段でしかないと思います。
本当に責任を取るならば、それから長い長い間ずーっと謝り続ける、被害者の家族等にできるかぎりの(お金がすべてというわけではありませんが)お金やその他の援助などできる限りのことをする、被害者のお墓にお参りし続ける、何より罪の意識、その罪自体を向き合い続け、都合よく忘れたりしない、反省し続ける、などだと思います、例えばの一例ではありますが。
まぁそんな感じで、ひろゆきさんの解釈ってうーんポカーンというか、好意的に解釈するならば高度な未熟さの表現というかという心境です。
皆様の意見をお聞かせいただけると参考になってうれしいです、どうぞよろしくお願いします。