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鬱病は甘えですか?

ある人が「鬱病は昔からあった。でも、社会が病気として認知するまでは本人が自分で解決してきた問題。だから、今の鬱病と診断されている人は弱い人間だ」という話をしていました。 社会が変わってきて、ストレスが増えて病気として認知されてきたものだと私は思っているのですが、最初のような考えを持っている人が多ければ鬱病の人は怠け者のように思われていると思うと残念です。 そこで、皆様に質問です。 鬱病は甘えだと思いますか?

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回答No.11

過去にうつを患っていたものです。 弱い人間は 実のところは、もしかしたら「鬱になる人」ではなく「鬱にならない人」かもしれません。 「楽ができないと、ストレスがたまって鬱になる(なりやすい)」ものだとも思いますので、そこを逆に考えれば「うつにならない人は、うつになる人に“何かを押し付けて楽をしているからうつにならないだけ”なのかもしれません」から。 「 真面目な人ほど、相手を支えようとする心の余りに、相手に利用されて、負荷を負ってしまって、うつになってしまうことが多い 」 のかもしれません。 また更に 「そういう偏見をもった人が居るからこそ、うつになっていく人が絶えない」のだと思います。 うつになる境界線の恐ろしいところを垣間見た私は 「うつの境界線とは、  偶々落ち込んだときに、励ましてくれる環境、後ろ押ししてくれる環境、休ませてくれる環境、心の持ち直しをさせてくれる環境、があるか無いかの違いの連鎖で、無いことが続きすぎた結果」なのだと思っています。 私は環境柄、そういう「無い」環境にずっといましたので、 うつを患いましたが、それが「有る」環境に居れるようになったことで、うつは回復しましたから。 偶に気分が沈むこともありますが、前以上に「ちょっとの事では心が折れない強い心になれた」と思います。 うつが甘えのどうのこうのという問題以前に 多分もっと大切なところで、 お互いがお互いで支え合って、悪いところを見詰め合って、 楽をしたいからと一人に任せずに、 お互いが嫌なことを先導きってできるようになっていくことで お互いが相手のためになることをしてくことで 初めてお互いがしたいことをしていく時間を作っていくことが 大切なことになってくるのかもしれませんね。 政治もあり、 競争が絶えない中でもありますので、 それは少し難しいことかもしれませんが、 私は「うつ」というのは、そんな個々の人が「自分が相手より楽をしていなければ損だ」という変な考えの元から来ている気がします。 「弱い人だ」と思ったことの事象を述べるのではなく 「弱い人」だと思うなら思うで“その人を強くしていって、支えていこうとする心が欠けている”そこにまず問題ありなのだと思います。 「お前は弱い、だから強くなれ」というだけで、強くなれる人なんて殆どいないでしょうからね。 また“弱い”のではなく“弱っている”のであるということも十分に考えられることでもありますから。 本当に怠け者の人というのは まず根本的に“うつの人が本当に弱いのかどうなのか、甘えなのかどうなのか”を突き詰めもせずに“考が至らないから甘え”と断定する、途中の過程を考えたくない人のことを言うのかもしれません。 実際にそういう事を深く考察なさった医学の末で 「うつは病気である」とされているのですしね。 うつ病が甘えかという質問ですが 「甘え」もあるでしょうし「甘えでない」ものもあるでしょう。 「甘え」に関しては 「うつだから、それを利用して休んじゃえ」という場合です。 もううつを抜けられるところまで来ているのに、 「うつ病」だという言葉を利用して「怠けようとする心」をもった時点からは「甘え」です。 または、小さい頃から「嫌なことを避けすぎてきたツケ」ということだと甘えにはなってしまうとも思います。 これに関してはそれを指摘できなかった人も、そういう環境を作ってしまった人にも責任があると思います。 「甘えでない」に関しては、 「負荷を一人で背負い込みすぎてしまったこと」が当て嵌まると思います。実際にどうしようもなくやる気がでない。(だそうと思っているのにやる気を出せない)のは甘えではありません。 「甘え」か「甘えでないか」の違いについては しないといけないことを“面倒だからやらない”ことと、 しないといけないことを“したいけれどできない”の違いが大きいと思いますよ。 鬱と一口に言っても、 こんな風に二つに分けられてしまうものですから、 事実「甘え」もあるし「甘えでない」とも言えるのです。 だから「甘え」というのも可笑しいのですし 「甘えでない」というのも可笑しいのです。 これによって 「うつ甘えである」と断定している人の言葉は 「うつの人の心を深く考えられていない偏見があって可笑しい」ということになります。 またこれによって 重度の気持ちでどうにもならないうつ病に関しては「甘えではない」とも言えて、 軽度の気持ちによって何とかできそうなうつ病に関しては「甘えもあるかもしれない」とも言えます。 鬱病を全般的に括ったものに対して、 「鬱は甘えかどうか」ということでしたら それは決して「甘え」ではありません。 そもそも論で、 “うつに対して、うつが甘えかどうなのか”という質問の更に前の要因としては、 「 個々と周囲の至らないところがあって、引き起こしてしまった、心の負荷がたまった事によって、なってしまう病気 」 なのだと思いますから。 個々だけが至らないところがあっても、うつ病になることがあるのでしょうし、個々が幾ら強い心を持っていても、周囲の理解が無い場所では、うつ病にだってなり兼ねないからです。 鬱病は“甘えのせい”ではなく、 鬱病は“甘え”を作ってしまう環境や、“負荷”を負わせすぎてしまう環境の原因によってなるものである、というものだと思います。 甘と誤認されることがある鬱を直すには、 お互いに偏見が内容に言葉を交わしていく必要があるのかもしれません。 「甘えだ!」とか、もっと言えば 「確定した根拠も無いのに 断定している言葉」というのは、 ちょっととこかで、本当にそれでいいのかを見直していく必要があるのかもしれません。 偏見でそういう風に、 実際のところはそうでないことを、 そうであると決め付けてしまっているとこうとは 実際のところはそうでない相手、つまり、 相手の心の気持ちを理解できていないまま、 自分の偏見で相手を勝手に決め付けてしまっている事の連鎖によって うつを誕生させてしまっているのかもしれません。 勝手に決め付けてしまうところが多いということは 相手を受け入れられるだけの許容が狭いということなので 例えばうつの場合だと 「うつは甘えだ!」と決め付けてしまう人に対しては もうちょっと、時間を置いて、少しだけでいいので、 考えて貰う時間を少し取ってもらうように、 周囲の人が、皆で促してあげる必要が出てくるものだと思います。 勝手ながらのお話、与太話も綴らせていただきましたが、 私は上記の内容より「うつは甘えではない」と思います。

r2san
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 すごく共感しました。 私の頭の中の整理がしっかりできました。 ありがとうございました。

その他の回答 (12)

回答No.2

たしかに精神系の病気は本人の意思が必要ですでも今は一人で病気に闘うのでなく医師をはじめ多くの人たしの協力がないと治りにくいですあくまで薬は症状を抑えるだけで本人と周りの人間の理解がないと治りません前付き合っていた彼女も薬を使わないと寝れなかったのが私と付き合いだしてからクスrを使わずに寝れるようになって今では元気に仕事をしています直すにはきっかけと本人の努力と周りの人間の協力が早く治るための必要なものである程度本人が甘えないと直しようも無いと思います甘えるところは甘えてしっかりするときはしっかりすると人生にメリハリをつけることが予防にもなると思います後生真面目な人間がなりやすいですね!

  • kyoromatu
  • ベストアンサー率14% (746/5024)
回答No.1

>鬱病は甘えだと思いますか? 違います。医学的に明確に精神の病気とされており、甘えなどとゆう安易な次元の問題では決してありません。