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親の愛とは何でしょう?
親の愛は無条件とか言いますが 親孝行したくなる親 感謝したくなる親 どんなときありがたいと思うか エピソード教えてください
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親の愛とは何でしょうかとのことですネ。 僕などは、親孝行したいという気持ちも有ります。 親に感謝の気持ちも持っています。 それは親に愛を向けてもらってきたからなんですネ。 では、親の愛とは何でしょうか。 僕が生まれてきてここまでこれたのは親の愛があったからです。 それは、小学校に行かせてくれたこと、中学校に行かせてくれたこと。 俺のためを思って、「勉強しろ」と叱ってくれたこと。 これら、全て親の愛だったんだなぁと今になって思うんです☆ 親が仕事をして苦労があって、大学にも行くことができました。 そのことを思うと、ありがたいなぁ、と感謝の気持ちがわいてきます。 また、いろんなことに相談に乗ってくれたことも親だからこそ。 僕が小さいころ転んで頭をうって怪我をしたときのことです。 きげつしていたのですけれども、気がついたら治療が終わった後でした。 親が心配してくれていました。 また、風邪を引いているときに必死になって看病してくれました。 そのときのことを今も覚えています。 あなたにもキット看病してくれたときの思い出があるはずですよネ☆ このようなことは親に愛があったからなんだと思っています☆ このように今まで生きてきて様々な面で親にお世話になってきたのが、 本当に感謝できますし、親孝行したいと思います。 これから父の日がありますけれども、プレゼントもあげたいと思っています☆ 親の愛について僕なりに話させて頂きました☆ 私のエピソードがあなたのお役に立ちます様に☆
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- may1995
- ベストアンサー率56% (712/1262)
離れてすんでから強くそれを感じることになりました。 親が重病で入院と手術を繰り返しているのに、 私が熱を出して倒れ、点滴生活になってしまったとき (自宅で寝込んでいたのですけれど)1時間かけて 自転車でおかゆと煮魚(でる前に買いに行って作ってくれたみたいです)を持ってきてくれ、 (パートナーはいるのですけれど、親はいてもたってもいられなかったみたいです)そのまましばらく私の様子を見て帰っていったこととか、 思い出しました。 それまで1週間以上ものを食べられなかったのですが、 これははいてでも食べないと申し訳ないと、すこしづつ 無理して食べて、何とか吐かずにすみ、それで なんか持ち直した気がします。 いつも、ふとしたときに心配をしてくれてる感じですね。 家にお見舞いに行っても、逆にこれ持って行きなさいと のりとか、大根とか(買えるのに...うちでも)と思うものを せっせと溜め込んで持たせてくれるときとか、 なんかぐっときます。 私の自由業の選択についても、遠方の大学に(私立でけっこう高い) 行くことを決めたときも、ぜんぜん反対せず応援してくれました。
お礼
親に尊い命を貰い 病気になった時身にしみますね 親子共倒れの経験をとうして 生かされて何かが出来る幸せを 感じますね 元気な 今
- domaine-espoir
- ベストアンサー率11% (202/1743)
こんにちは。 いまでは世帯自体が別々ですが、 それを感じられるときと言えば、 「精神的な庇(ひさし)」だと感じられるとき。 たまに話して、たまに会うと、 いとおしくなります。 けれど、子供のころといえば、 ・両親には週に一回くらいしか会えなかった(仕事の関係で) ・片方の親の方とその義理の義母との関係はあまりいいものとはいえなかった。 ・片方の親の姉妹はあまりいい関係とはいえなかった。 ・夫婦の危機も当然あった。 なんだけれど、 いつのころからだろ…、 親を「親という存在」ではなくて、 「友達」のようにとらえるようになってから、 自分の意識が変わりました。
お礼
親の理想求めることはないです 友達のような親もあり とする所に 貴方の苦労が教えてくれた進歩が あります ありがとうございます
- aupen
- ベストアンサー率25% (3/12)
親の愛はなにか? と どんなとき親の感じるか? は、全然違うことです。 親の愛は、ほとんど感じてもらうことはないのですから。 だから「無償」なのですよ。 もちろん、親の愛を感じることがないこと自体がこの不幸ですから、多少は感じさせてあげないと行けませんが。
お礼
ありがとうございます なかには財産と引き換えにとか 孫の世話をした恩返しに介護と 考える親もいます 子供からすれば信頼関係で 世話をしたいですよね 肩身が狭いからと気を使うのも どんなものでしょう
- suz83238
- ベストアンサー率30% (197/656)
親の立場から 別に後で親孝行して欲しいとか、感謝して欲しいとか思ったことはこれっぽっちもありません。そうゆうものを超越したところに親の愛はあると思いますよ。というより、親として当たり前のことです。 ほんのたとえなら 子供が熱を出しているとき、寝ずの看病をするとか。 小さいうちは本当に育てるのが大変です。病気しないかとか、子供の成長に一喜一憂してみたり、子育てにいつも悩んだものです。 でも、それは親として当然のことです。 あとで、子供が成長して、それを全部忘れてしまっても、それでいいんです。 親は、本当に子供のことを一番に考えているんです、子供の健やかな成長を願って。何歳になっても親にとっては大事な我が子なんですよ。ですから、死ぬまで子供には親の愛(愛を与えているという自覚はない)を与え続けていくもんなんですよ。
お礼
ありがとうございます ありがたい親です 親孝行させて貰いたくなります そのご恩を社会に向けて貢献出来る子供を 育てているんですね
お礼
ありがとうございます 今の自分があるのも親のお蔭様と感謝 する事が幸せですね 父の日が楽しみですね