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プロコーフィエフは何故?
素朴な疑問です 『恐怖が吹き荒れる祖国』になぜ彼は戻ったのでしょうか? 彼は”世間知らず過ぎ”で 事前情報など全く無い状態で祖国に戻ったのでしょうか また 祖国のヤバさなんて全く意識しなかったのでしょうか。 (戻る前) スターリンと同じ日に亡くなるなんてあんまりです・・・。
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いくら祖国だと言っても、ストラヴィンスキーのように、訪問者として一時帰国したことはあっても、戻らなかった人もいますしね。 プロコフィエフとしては、西側でとんがった音楽をばしばし発表して認められようと思っていたけれど、期待したほど受けなくて失望していた。 ソ連としては、文化人の亡命者が続出するのがメンツにかかわることなので、甘言をもって国外に出た文化人の呼び戻しを図っていた。 両者の利害が一致して、そういう結果になったらしいです。 でも、帰国当初は厚遇されても、後には結構期待はずれな待遇で、こんなはずじゃ、、、、と思っていたようです。 ショスタコービチの「証言」(偽書と言われていますが、ショスタコービチからの聞き書きというのは嘘としても、書かれている内容はあたらずし遠からずと思います)や、一年ほど前までレコ芸に連載されていた記事の受け売りです。
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- dipearl
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回答No.1
自分が生まれ育った祖国だからです。社会体制など関係ないでしょう。
質問者
お礼
>社会体制など関係ないでしょう。 なるほど、そうなんですか。 ”アメリカや欧州”に失望して 祖国がどんな状態であれ”懐かしさもあって”戻ってしまったのかと思ってしまいました。 確かにポーランドのショパンだって祖国の体制はキツイ状態でしたが やはり帰りたかったのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます >ストラヴィンスキーのように、訪問者として一時帰国したことはあっても、戻らなかった人もいますしね。 ↑ 投稿文の文章が不足してましたが まさにストラヴィンスキーの例もあるので 疑問に思いました。(しかもあの状態・・・) >期待したほど受けなくて失望していた。 ↑ そうですよねー。 音楽院時代 優秀な反抗生徒?だったり かなりとんがってた反動大きかったのでしょうか。 >文化人の亡命者が続出するのがメンツにかかわることなので、甘言をもって国外に出た文化人の呼び戻しを図っていた。 ↑ なるほど!! 体制側はコレなんですねぇ・・・・ ※ショスタコーヴィッチは良くぞ生き抜いた・・・です。