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『コリアン世界の旅』内の疑問です・・・

カテゴリーがよくわからなかったのでこちらに来ました。 よろしくお願いします。 『コリアン世界の旅』講談社α文庫・野村進 著を、読みました。 【第二章 焼肉はどこからきたか】63頁中程に以下の記述がありました。  当時、食道園の常連には戦後を代表する二大スターがいた(中略)力道山のほうは、大阪巡業のあいだはほとんど入りびたりで、応接間のテレビで自分の出ている番組に見入ったり(後略) ●質問 時代的に、力道山が大阪で自分の出ているテレビ番組を見る”ということができたのでしょうか? 疑問をもったので自分なりにちょっと調べたのは以下のことです。 全てを網羅して完璧に調べたわけではないのでなんともいえないのですが・・・ 1、力道山は1963年に他界しています。 2、プロ用のビデオテープができたのは、1960年ごろ。そのころになって、ようやくテレビ局でも録画番組が作られるようになりました。 3、・・・なので、力道山は録画で自分の試合を見ることができそうですが、当時のプロレス番組は中継で録画を放映してはいないようです。 4、力道山は映画出演をしていますが当時のテレビ番組で力道山映画を放映してはいないようです。 どなたか、おわかりになられるかたがいらっしゃいましたならば、よろしくおねがいします。 付記 『コリアン・・・』は大宅賞・講談社ノンフィクション賞の2賞受賞作品だということです。

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noname#174737
noname#174737
回答No.3

力道山のファンの一人でした。 ごく初期はともかく、プロレスが普及するようになると、隔週金曜日夜の8時から放送されていたと記憶しています。 質問文によりますと、あの試合は生中継だったんですねえ。 そう言えば、試合中に 「5分経過」 とか 「10分経過」 とか、日本語と英語で場内放送があって、その時は子供だったので何の意味か分からなかったのですが、今思えば、放送時間内に終わるよう、レスラーたちに経過時間を知らせて、試合内容を調整させていたのでしょうね。  だって、「61分、3本勝負」 と説明されても、実際には毎試合、大体20~30程度で放送時間内にキチッと決着がついていましたからね。  大体、1本目は日本人、2本目は外人、3本目は (場外) 乱闘になって日本人の勝ち、あるいは外人側の反則負けというパターンがほとんどでした。 ところで、放送が全くの生中継だとすると力道山本人が自分の試合を観戦する事は無理。  とすると、見たのは自分が出演した他の番組、例えば 「スター千一夜」 などの対談番組 (今で言えば、徹子の部屋のような番組) とか、何かの番組に特別審査員として出演した番組だったのではないでしょうか。  引用された部分ですが、「応接間のテレビで自分の出ている 『番組』 に見入ったり ・・・」 となっており、「自分の出ている 『試合』 に ・・・」 と なっていないので、そう考えられるかなと思いました。

5go5go
質問者

お礼

ご丁寧なお答えありがとうございました。 場内放送のエピソードを非常に興味深く拝聴しました。 わたくしもシーブリーズ先生と同じく経過時間伝達の意味合いをも持たせていたのではないかとおもいます。 なんとなくのんびりとした時代だった様子がうかがえるようにおもいます。素朴というか純情というのでしょうか。 個人的にはそういう時代に憧れてしまいます。 またいつかそういう時代がくるのでしょうか。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

回答No.2

#1ですが、付け加えますと、当時のテレビニュースはフィルム制作です。撮影から放送まで時間がかかりましたので、速報性はありません。ましてや、スポーツや芸能のニュースだと、何日か後に放送されることも多かったと聞いています。

5go5go
質問者

お礼

早速のお答えありがとうございました。

回答No.1

自信はありませんが、スポーツニュース、芸能ニュースの類ではないでしょうか?

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