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推理小説はためにならない?
先日、ラジオ番組で西川史子さんが、以下のようなことを言っていました。 「推理小説は娯楽性が強く、読んでも学ぶべきものがない」 私は最近、推理小説の面白さを知ったばかりですが、推理小説にも学ぶべきものが結構あるような気がします。 皆さんはどう思いますか?
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推理小説に限れば、No.3さんも言われているように鉄道ミステリーなら、地理の勉強になります。また、歴史ミステリーでは、歴史と地理の両方の勉強になります。日本には知らないことがたーくさんあり、それが、作者によって、地理や歴史での興味のあるところがピックアップされているのです。だから、ただ読むのではなく、そこから、さらに自分で興味のあることを調べ、掘り下げて、知る(勉強)のです。 しっかりとじっくりと読めば、語彙や用語の勉強にもなります。日本は国土は狭いけど、地理も歴史も凝縮されていますよ。だから、日本が好きな外国の人が多いのです。 学ぶものがないという人は、ただ、謎解きだけの推理小説を読んだのではないでしょうか・・・
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当たり前の文学論は書くまでも無いので置いておきます。 娯楽たっぷりの時代小説好きの私としてはこう言いたいですね。 「純文学では生の深遠を学ぶ事が可能、娯楽小説では生の深遠を体験する事も可能」 西川さんの発言は純文学にて往々にしてある食い足りない部分を娯楽小説にて補うことも出来る、この側面を忘れた発言ですね。(もちろんちょっと揶揄してますけど)
お礼
ご回答ありがとうございます。 生の深遠の体験ですか? なるほど!です。
- forest12
- ベストアンサー率40% (18/45)
こういう言葉を聞くときは、皮相的に批判するのではなく、言葉の真意を汲み取り、「こういうことが言いたいんだな」と察してあげるのが大人というものです。 「学ぶ」という言葉の意味は、「知る」という言葉の意味よりも広いです。 地理や歴史、防犯などの「知識」を得ることが「知る」ということであれば、「学ぶ」という風にも言い換えられることは確かです。 しかし、何か人生において深遠なテーマや、より奥深く且つ網の目状になった教養を得て、心の涵養をしようと思ったら、 「娯楽」を徹底的に追求した推理小説では食い足りないということはありえます(「歯ごたえ」の問題です。)。 文学がその意味で全て良いものだと言うのではありませんが、そして推理小説の中にはそのような奥深いものを内包したものも存在しますが、 一般的なイメージとして、大衆度が高く、パズル度・謎解性の高い推理小説では、何か(大切なこと)を「学ぶ」のには力不足であると考えるのも、あながち間違ってはいません。「何か」を咀嚼し吸収すること(「知識を得る」こととは違います)と、娯楽を享受することはそもそも別のことなのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 まさに大人のコメントですね。 forest12さんの鋭い洞察力を感じました。
- tatuorika
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“娯楽性が強い”からこそ、“娯楽”を学べるのです。 また、ちょっとした知識を学べることもあります。 例えば、鉄道ミステリーで、日本の地名・観光地等の知識を得るとか・・・。 まあ、西川史子の話なんて、相手にしないことですよ、時間の無駄ですから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >“娯楽性が強い”からこそ、“娯楽”を学べるのです。 同感、そうですよね!
- boke-chan
- ベストアンサー率22% (137/604)
個人によります。 既に推理小説の内容を、知っている&理解しているという意味であれば、 「もう学ぶべきものは無い」で正しいです。 まだの人は、学ぶ所は多いでしょう。 犯罪の手口などは、防犯の意味でも学ぶべきだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >既に推理小説の内容を、知っている&理解しているという意味であれば、 >「もう学ぶべきものは無い」で正しいです。 なるほど、そういう捉え方もあるのですね。
- madmax4
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ありますよー 物事は正面や1面だけで無くて 多面です 推理するということは 物事の先を読んだり 逆に言うと自分が騙されない為の勉強にもなりますよね
お礼
ご回答ありがとうございます。 仰るとおりだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >学ぶものがないという人は、ただ、謎解きだけの推理小説を読んだのではないでしょうか・・・ 私もそう思います。