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ねずみくんのチョッキ
幼稚園にこの絵本がありました。 当時幼稚園児だった私は、この絵本を読むたびに、 「ねずみくんは、伸びちゃうから本当は嫌なんだろうに、嫌だって言えないんだなあ、着られなくなっちゃってかわいそうだなあ」 と思っていましたし、周囲の動物たちはみんな何で気遣いが出来ないんだろうと思っていました。 最後にブランコになったところで、せっかくお母さんが作ってくれたチョッキはもう着られないことには変わりはないわけですし、(当時の私にしてみれば)みんな仲良くしましょうね的なオチも説教臭くて大嫌いでした。 大人になって、曖昧な記憶で考えると、お笑いで言うところの天丼のように、繰り返すことでコミカルなものを狙ったのかな?それだけだとチョッキが着られなくなってよくないから、ブランコというオチをつけたのかな?と考えるようになったのですが…実際のところ、この絵本はどういう意図と狙いで書かれたものなのでしょうか? どう解釈すればいいのでしょうか。
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質問者が選んだベストアンサー
ねずみくんのチョッキシリーズ、私大好きです(^^) コミカルだし、説教くさく感じたことはないですね~。 まあこれは人によって好き嫌いとか、感じ方が違うだけなので気にしないでくださいね。 繰り返すことで・・・ 読み手はどんどん大きくなっていくチョッキを見ながら、 『えっ、大丈夫?これ着れるの?破れたりしない?また貸しだし(^^;』 ってドキドキするのを狙ってるんだと思います。 次はどうなるの?このままで大丈夫?って。 そして、とうとう象くんがめいいっぱいチョッキを伸ばして、 ねずみくんには着れなくなってしまった。 かわいそうですよね。 でも。 お友達がお詫びにブランコにしてくれた。 そしてそれで、ねずみくんは許してあげられた。 オチというより、どうやってその場を喧嘩にならずにおさめられるか、 という方法の提示じゃないかなと思います。 謝ったシーンは無かったけれど、最後の絵を見れば一目瞭然ですよね。 子供同士、勝手に人のものを貸し借りしてしまう、 お友達の大事なおもちゃを壊してしまう、 そういうことってたくさんあるんですけど、 そういう時にきちんと謝ることと、許すこと、 謝るだけではなくて代替案や代替品に切り替える工夫、 臨機応変な子供らしい対応を描いているんじゃないでしょうか。 (実際、おもちゃの取り合いになると、よく似たほかのものを渡したり、 順番ねと言って妥協?しあうことができるようになります) でも、これはあくまで私個人の解釈と感想ですから、 どういう意図と狙いで書かれたかは、直接著者に問い合わせみてはいかがでしょう。 ホームページがありますから、是非。
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- cheesuke
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ご本人のホームページにある「絵本論」よると帰納法で書かれているそうです。絵本は帰納法で書かれるべきだとか・・・。質問者さまがおっしゃるように「オチ」と「どんでんがえし」を楽しむ話のようです。 実は私もこの作品は好きではありませんでした。 お母さんの愛情こもったチョッキをみんな軽く扱うところに違和感をずっと感じていました。シリーズ全体に流れる「ねずみくんの不運をみんなで楽しむ」という安易な笑いと理屈っぽさが好きになれませんでした。 他人や自分を貶めることなく笑いを作り出すのは、それだけ難しいのだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 先ほどサイトの方を見てまいりましたが、なるほど、オチから考える方なのですね、この作者さんは。 ただ、そこにいたる道を、たまに苦手に思う人がいるということでしょうか。 最後の1文が響きました。最近のテレビの風潮をみていても、やはり難しいことなのでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 作者さん、サイトをお持ちなのですね。早速見てこようと思います。 そう、えっまだ貸すの?って思うのですよね、この繰り返しは(笑)。 子供同士のおもちゃのやり取り、確かによくありますね。 そういう場面でこの絵本の話をするというのは、なるほどと頷けるものがありました。