- ベストアンサー
モータスポーツ「たら」「れば」話
四輪、二輪問わずモータースポーツ好きの方にお聞きします。 貴方の「たら」「れば」妄想をお聞かせください。 もしアイルトン・セナが死んでいなかっ「たら」? 星野和義がF1ドライバーになってい「たら」? 結果が全てのスポーツにおいて「たられば」話はナンセンスですが、 あえて貴方が密かに妄想していた「たられば」話をご開帳してもらえませんか? 「もし~…だったら→現在こうなっていた、こう変わっていた」というようなカタチでお願いします。 妄想ですので、多少現実と齟齬があっても力技で押し切ってもらってかまいません(笑)。 私の妄想は「もしWRCグループBが廃止になっていなかったら」 ・確かグループSへの移行が検討されていたはずですが、車体のクラッシュテストの義務化、観客の安全確保の徹底、F1のように「スーパーWRCライセンス」の発行等、カテゴリーそのものの廃止とは真逆の「前向きな安全対策の徹底」によって、F1を超える人気カテゴリーになっていたはずだ! です(笑)。節度を保ったご意見なら多少の議論めいたご回答もアリだと思います。 よろしくお願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 F1の話で妄想をします。 もし、アイルトン・セナが94年もマクラーレンに在籍していたら、 M・シューマッハとあのF1の世界で、ふたりはさらに幾年も闘っていただろうなぁ。 93年?(or92年)、レース後にシューマッハを諭したセナの写真を見ながら。。 シューマッハ、セナ、M・ハッキネン、D・ヒルの四天王の時代になっていたかもしれないなぁ。。。 93年、フォード製エンジンを搭載したマクラーレンMP4/8に、ランボルギーニ製エンジンを試しに搭載した車に乗ったセナを思い起こして。 もし、D・ヒルが96年世界チャンピオンになった後、引き続いてウィリアムズに在籍していたら、M・ハッキネン、M・シューマッハと(セナとは違った角度で)対決していただろうなぁ。 ハマるととてつもなく速いハッキネンと、すべてを掌握してコンスタントに速いシューマッハと、車を開発の面で仕上げるのが誰よりも優れたD・ヒル。。 観てみたかったなぁ。。。 それまでのウィリアムズ・ルノーを辞めて、アロウズ・ヤマハで走った97年ハンガリーGPのデイモン・ヒルを思い起こして。
その他の回答 (3)
- air56
- ベストアンサー率16% (4/25)
勝負事の世界に、たら・ればを言ったら限がないのですし、 ある意味ご法度と言うのも分かっているのですが…。 それでも、あえて言わせて頂けるならば、 No.2の方が仰っている、だいちゃん事、故・加藤大治郎選手でしょう。 ニュースを聞いたとき、血の気が引きました。 だいちゃんが生きていれば、 日本のバイク史に伝説が刻まれていたと思います。 あー…思い出すと未だに泣けます。
お礼
回答ありがとうございます。 かえすがえすも残念です。大治郎選手のお父様が本格仕様のポケバイの製作・販売を始められたと聞きました。「第二、第三の大治郎選手の為に」だそうです。素晴らしいですね。
そりゃもう未だにひきずっているのが、 加藤だいちゃんのもし。。。です。 ロッシの牙城を崩してワールドチャンピオンになっていたかも。。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですね…彼なら十分ロッシの牙城を崩せたでしょう。GP500からMOTOGPへの過渡期で微妙な時期だったので余計にそう思ってしまいます。 もっと早く4stマシンを加藤選手に貸与してくれていれば…彼の心にももっと余裕があったのでは…たらればは尽きませんね。
- MAMI_SPR
- ベストアンサー率17% (138/810)
当方の事ですが・・・一応、過去にバイクレースやってたもので・・・。 もっと努力してれば、もうすこし上に上がれたかもしれません。 故・阿部典史選手がもし開幕戦よりWGP500ccクラスにHRCからデビューしてたなら・・・・。(鈴鹿での激走ぶりがW・レイニーに認められてヤマハよりWGPフル参戦が決定した。) 四輪には疎いのですが、JTCCは個人的には好きでした。 最後のシーズンはトヨタ車(チェイサーとエクシヴ)だけになってしまいましたが。 今でもJTCCがあったなら・・・と思ったりして。 シルエットフォーミュラ(あの族車みたいなヤツ)レースが現在もあったなら(今のGT選手権?)
お礼
回答ありがとうございます。 ノリック選手のそのエピソードは初耳でした。ガラリとイメージが変わっていたかもしれませんね。 身近なハコ車が走るJTCCは私も大好きでした。レプリカを作る人もいましたね。過激さを求めるあまり今のSuperGTがあるわけですが、プリミティブなJTCCが懐かしいです。 シルエットフォーミュラ…懐かしいですね。星野和義選手が後に「直線だけ早くて全然曲がらなかった」と語っておられましたが、あの下品さは今でもGTに名残があるような気がします。
お礼
回答ありがとうございます。 >M・シューマッハとあのF1の世界で、ふたりはさらに幾年も闘っていただろうなぁ。 私もそう思います!単純に現行F1マシンをセナはどんな風に操るのだろう?…なんて考えるとキリがないですね。 >もし、D・ヒルが96年世界チャンピオンになった後、引き続いてウィリアムズに在籍していたら、M・ハッキネン、M・シューマッハと(セナとは違った角度で)対決していただろうなぁ。 まさにご法度?の「俺の考えたF1チーム」ですね(笑)。 たしかにあの97シーズンは「あれれ?」っていう感じでした。