別に治す必要はありません。
と、いうか現実に子供に性的暴力をふるっているというようなことがなければ個人の嗜好の問題です。
これを病的なものとみなしているのはキリスト教文化圏の倫理観のみに影響された人々であったり、過剰な善意や共感を正義とごっちゃにしてしまった人々、そしてそれらの人々の脅迫観念に素直に感化されてしまった人々です。
もちろん、子供の人権を守るってことにけちをつけている訳じゃありませんよ(とはいえ、理念の正しさとそれに基づいた行動が、もたらされる結果の正しさを保証しないところが大いに問題なんです)。
しかし──実際のところ、こうした嗜好を病的なものとみなす傾向は欧米においてもわずかこの二十年ほどの間(日本ではほんの十年ほど前)のことでしかなかったのです。で、いまや宗教保守が猖獗を極めて世界中で倫理の押し売りに精をだしているあの国も、60年代辺りでは大人と子供の性行為を勧めるなんてむちゃくちゃな言説が教育界やメディアでおおっぴら(かつ好意的)にとりあげられてた(ま、そりゃ冷静に考えれば解剖学的になんなんですが)くらいで、倫理なんてものはわずかな間に平気で真逆にひっくり返ったりするもので、そうしたええ加減なものを基準にして人を病気呼ばわりするのもどんなものかと思いますけれどねぇ。
実際、精神医学の歴史はここしばらく流行りのペドフィリアという分類だけではなくその時代にそぐわない考えや嗜好を持つ人々を安易に病気呼ばわりして断罪し、あとでそれらは単なる時代の倫理観の押しつけでしかなく病気の枠組みから外されるなんてことの繰り返しで、いまの倫理観にそぐわないなら即、病気というのはほとんどナチの論法です。また、犯罪学においても優生学的な大嘘や民族主義の越権によって犯罪傾向の高い人々をでっちあげては、後になにもなかったの如く反故にするなんてことを何度となくやっているのです。たとえば、ついぞこないだまで同性愛も治療すべき病でほとんど拷問といっていい治療(実際、反倫理的な者に対する刑罰といっていいものだった)が行なわれていたのです。
また、あなたが具体的にどのようなものを嗜好しているかは不明ですが、古くから幼形のものを愛でるなんて図像(カワイイの深層にもこれが潜んでいることを指摘するのはいささか野暮か)は広く東アジア-東欧に分布していることからも分かるように、先のような倫理観が人類に普遍的なものとは限らず、次の十年でまた倫理観がひっくり返っているなんてことが絶対にないとはいいきれないのです。
とりあえず、近所の子供に悪さをしたとかしているんならさっさと自首する。しようと考えているんならやめとく、というだけのことです。
分類を信じすぎちゃいけませんよ。分類ってものはいつもあとづけなんですから。