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昔の公共施設は居住性がよかった
私個人的な嗜好なのかよくわからないのですが。。 古い建築年代(といってもここ一世紀間くらいでしょうか)の公共施設におとずれると、その居住性やデザイン性に、大変落ち着きとゆとり、あるいは趣というものを感じます。階段のスロープの度合いとか、割り当て面積、トイレの余裕ある設置(特に便器の個数ですかね)、1階あたりの天井高、何気ない意匠を大事にする姿勢など。それに比べると、最近の建造物は、どんなに評判なものであっても、言っちゃ悪いですが、醜悪なものばかりに感じます。統一感のない仕様とか、趣の感じられない部材、狭い階段室、印象度を上げるためだけの外観など、なにも好感を得るものがないです。 なんで、建造物というものをこんなに安く考えるようになってしまったんでしょうか?しかも、なぜ昔のものよりも、快い居住空間さえ得ることができなくなったのでしょうか?とても信じられない気分です。
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単純に居住性だけなら、今の方が格段に上です。 高い天井で空調もない時代(今使用されている昔の建物は、新築よりもお金をかけて、設備を改装し快適にしてあります。)には、とても寒く快適ではありませんでした。 デザイン性や落ち着き・ゆとり・趣というものは間違いなく古いものが良いですね。 理由 1.建てた当時から良いものだった。 戦前の官庁はお上。政府の威信や権威を表現するもので、現在よりもデザインに力を入れましたし、名人芸の職人も多くいて人件費も安かった。一年間に出来上がる公共建物の数も今より遥かに少なく、人々の注目度も高いものでした。 当時の物価を考えると、今のどこの市にもあるような安普請の公共建築ではありません。昔のような建物を今建てると、とんでもない金額になるならましな方で、作れない物さえあります。 財政赤字の中で公共施設を作るには、大量生産品・工業生産品を使うしかありません。 (分厚いチーク材の床とか、長さ9メートルの一本ものの庵治石の柱とか。) 小さな市や町に古いすばらしい公共建築などというものは、もともとあまりありません。これらの公共建築は、今の地方都市にあるような市役所・市民会館などよりはるかに広い地域・多数の市民を対象にした、グレードの高い建物として作られたものです。 2.その中でも選りすぐりの良いものしか、現在使われていない。 時代がたって老朽化したとき、デザインの悪い建物・グレードの低い建物は、あっさり取り壊されて新しいものに代わってしまい、良いものを新築するのと同じくらい、またそれ以上にお金をかけて残しています。(かなりグレードの高いもので、取り壊し反対運動が起きるようなものも、相当壊されています。残っているものは当時の超一流建築家が設計した中でも代表作といえる、重要文化財クラスのすばらしいものが目白押しです。)
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- tatuorika
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一言だけ言わせていただければ、居住性という1点に限ると、現代建築のほうが、身体障害者に配慮するという考え方が、少なくとも一世紀前の建築物よりはあって具合はいいと思いますがね。 特に、公共施設については、不十分ながら考慮されてますからね。 公共施設の利用者の多種性を考えれば、仕方ないのでは・・・。
お礼
その点は評価できます。
- t7148
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確かに、私も同感です。効率性とか機能性とかそんなにばかり気を取られていますね。偽造構造計算書をしてなければ、昔のより耐震性や防火性や防犯性は有るんでしょうけど。 ただあのどうも最近のどう見ても安価な作り(見掛け倒し)は困りもんですね。収納場所も少ないし。ドラマのセット裏とまでとまでは言いませんが、目に付きにくい場所はがさつな作りになって来ましたね。
お礼
やっぱりそうですよね。 経済優先ということで時代がたつとこうなるのでしょうかね。
お礼
快適さ、至便さという点ではあがってきているでしょう。しかし、「心」がだめですね。 理由を読んで、非常に納得いたしました。名人が多くいるということが大事なんですね。失われたものはことのほか多いものです。建物にかける金というのはぜんぜん違ってましたね。その価値観の変容は驚きです。いいものが残っているということも事実ですね。 いまは、いいものが創り出されてあるのでしょうかね?