エウレカセブンのAOと交響詩篇の関連性
エウレカセブンAOは交響詩篇とは別世界のパラレル?
それとも話に繋がりのある続編なのでしょうか?
申し訳ないですがAOは全話録画しているものの、これから示す下記の事情で
3話くらいまでしか見ていないので、なるべくネタバレ無しでご回答下さい。
エウレカセブンAOはオリジナルの交響詩篇と世界観が繋がっているのでしょうか?
と言いますのも交響詩篇の最後の解釈には諸説あって
監督など関係者によっても微妙にニュアンスや
思惑が違う発言や大人の事情が聞こえてきた交響詩篇のラスト…
色々と調べてみると破滅バッドエンド嗜好や意味不明嗜好のある
エヴァの庵野監督を尊敬する京野監督は人柱としてエウレカも肉体は
消えてしまうようにしたかったようですが、最後はすっきり
ハッピーエンドで終わらせようという外野の圧力もあり
その妥協案としてエウレカらは消えない代わりに監督の信仰する
エヴァ風味、すなわち意味不明さを最後に少し残したのではとも言われていますね。
(それに対する不満からなのか放送終了後、京野監督はあれこれファンを
困惑させるような場当たり的な発言を時々しておられるようですが…)
そして監督自身が実は本当は採用したかったもう一つの最終話が
エウレカらが肉体的には消えてしまう51話のニューオーダーだったとも言われています。
それはさておき、私としては曖昧さが残ってややスッキリしなかったものの
交響詩篇ラストは最後にレントンとエウレカが消えずに一緒になった
ハッピーエンドだったと解釈して交響詩篇の大ファンとして満足しています。
(特に最後の祖父や子供達と一緒にいる挿絵が決め手)
エウレカには幸せになって欲しいと切に願っていたので
準主人公のホランド達のその後などが描かれなかったりと
不満もありましたが、それなりに満足のいく最終回でした。
(ハッピーエンドではなかったという解釈、ハッピーエンドでない方が
良かったと言うファンの方の意見を否定するものではありません。
私を含めそう思っている人の解釈です。
なのでこの点について論争をする気はありません)
ところがAOではとても幸せとは言えそうにないエウレカとその子供らしき主人公アオの姿が…
もうそれだけで交響詩篇ファンとしては見る気が失せました。
(なので全話録画していますが3話くらいまでしか見ていません)
そこで本題の質問(やっとです…笑)なのですがエウレカセブンAOはキャラなどを
再使用した劇場版のような交響詩篇とは全く別世界のパラレル作品なのでしょうか?
それとも話に交響詩篇としっかり繋がりのある続編なのでしょうか?
細かい説明は不要(特にエウレカが不幸になっていそうな場合)ですが
そこらを質問Aとして
(1) 劇場版同様に完全なパラレル
(2) 交響詩篇と繋がる完全な続編
(3) まだどっちとも言えない
(4) 個人の解釈による
の(1)~(4)で答えて頂きたいのです。
そして質問BとしてAが(2)だった場合、エウレカは不幸に終わったのでしょうか?
(1) Yes (2) NO (3) まだどちらとも言えない、分からない (4)個人の解釈による
同様にAが(2)だったとしてホランドなど月光号などの魅力的な交響詩篇のキャラ達は再び登場しているのでしょうか?(質問C)
以上、質問A、B、Cにお答え頂けると有難いです。
完全な続編でエウレカがハッピーになっていない続編だったら
このまま交響詩篇のハッピーエンド解釈派としてはAOは見たくないので
こんな質問をさせて頂きました。
逆に劇場版のような同じキャラや似た設定を使いつつも全くの
別世界のパラレル話なら気軽に見ることが出来るのですが…
ご回答お待ちしております。
最後に独り言…
昨夜のAOを最速の早送りでチラ見していたらエウレカが思いっきり出ていたようですね…
しかも交響詩篇の時と変わらぬ容姿で若そう…アオを生む前の話なのだろうか
お礼
ご回答ありがとうございました。