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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:笑うことを忘れてしまいそうです)

笑うことを忘れてしまいそうな35歳×2不妊女性の悩み

このQ&Aのポイント
  • 35歳×2不妊女性が、2度の離婚と自身の不妊によって諦めの境地に追い込まれています。
  • 彼との出会いをきっかけに再び幸せを感じる部分もあるものの、彼が元妻と子供との関係を維持していることに嫉妬や僻みを感じています。
  • 仕事で成功しても心からの幸せを感じることができず、どうしたら笑顔に戻れるのか悩んでいます。

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回答No.2

No.1の者です. emiさんのコメントを見て,予想通り真面目な方なのだなと思いましたのでもう一度回答致します. 私はまだまだ少年の23歳フリーターでemiさんに問題解決するための具体的な回答はできませんが,昔経験した事実をお話いたします. 私も学生時代うつ状態となり,トレドミンという薬を飲んでいた時期もありました. 周りからは一生懸命で真面目,悪く言えばこだわりがあって融通が利かない人間だといわれていました. こんな人間だったので,枝垂れ柳の様にストレスを跳ね返す事も出来ず,かつ自分で何でも解決しようとしてストレスを溜め込む性格でしたのでボロボロになってしまい…. 学生生活もプライベートも全く上手く行かず,進路選択の時期が来ました. 私は既に精神的に限界を迎えており,自分の不幸に嘆き狂いました. 「なんでこんなに一生懸命頑張っているのに,なんで自分だけがこんなんならなきゃならんの?どうして?」 人前ではこんな弱さを見せることなんて出来ない男でした. そして泣く事,怒ること,そういうことが出来ない男でした. しかし現実は心も身体もストレスと不安から勝手に震えが…. ある日,真面目な私はこんな思いに達しました. 「別に就職せんでも進学せんでも“死ぬわけじゃない”なるようにしからならない」 するとどうでしょう?心と身体がフッと軽くなり,目からは涙が滝の様に流れました. 怒りではなく感謝の気持ちが湧きあがってきました. 何故だか知りませんが,私は一人ではない. 私は一人で戦ってきたのではないという気持ちになりました. あぁ私は神様に守られていたんだなという気持ちになったのです. (別に宗教を信じていたわけでもないですし,神様とか信じ低戯けではないです!ただ本当にそう感じたんですよ) 私はその日の体験を劇的に境に変わりました. そして何故か物事が好転し始めました. 私が進もうとする方向にすんなりと進めるようになったのです. 現実的な助けも入るようになりました.運が巡ってきたという感じです. で,じゃぁ何故いま私がフリーターなんかやっているのか?ということですが,それは置いておいて下さいw 私はとても大事な事をこの後から学ぶ事になったんです. それは“良心的に生きる大事さ”です. 信じるものは救われるという格言がありますが,あれの本当の意味は,信じていさえすれば救われるというわけではありません. 神頼みしていれば願いが叶うというわけではありません. 自分に出来ることをやることは大事です. しかし自分にできないこと以上のことを自分でやろうとしてはならないということです. “自分にできることをやり,後は天に任せる”そういう姿勢が大事なんですよ. 私はこれを理屈ではなく実体験として学びました. それ以来,これは私のモットーですが,“愛と真理を学びながら生きることが大切.それが良心的に生きる事だ”ということ. 金が無ければ生活できません.しかし愛と真理を学ぶために生活しないのならば生きる意味はないとさえ思うようになりました. なんといいましょうか,上手く言葉にすることができませんが,私たち自分だけで生きているつもりになってますが,実は見えない力によって生かされているのは無いかということを確信するようになったんです. (なにやら胡散臭い話になってきてすみません…w) ですから,頑なに今の小さな自分だけを頼りにして生きることではなく,目に見えない力を生む存在=大きな自分も頼りにして生きる事が“本当に真面目に生きる事”なのではないかと言いたいのですよ. これは私の経験からいえることです. 盲目的に自堕落な生活に流れていくいい加減さは宜しくありませんが,現在の頑なに信じている矮小な自分というものをもっと大らかに持つと視野が広がり運も舞い込んでくるのではないかと思います. この言葉が現在のemiさんの心に届くとは思いませんが,emiさんがいつか今とは正反対の状態になった時に思い出していただければ,恐らく頷ける点も出てくるのではないかと思います. いまこの一瞬一瞬を幸せだと思えますようお祈り申し上げます.

emi_161627
質問者

お礼

お若いのに辛い経験をなさったのですね。 驚きました。 でも、だからこそのお言葉だと思います。 sunfourさんのお言葉を聞いて、思い出しました。 状況は大変なのに、気持ちは楽に生きれていたことがありました。 その頃は今と同じくらい、と言いますか自分が若かった分知恵もないですし、客観的に見れば今より大変だったかもしれません。 自分にできることを精一杯し、その後は天に任せると言うか、そう思って生きていると困難が次々起こっても意外と楽しく乗り切れたりするんですよね。 そして、sunfourさんのおっしゃるように、大きな何かの存在を感じていました。 それは小さな自分の大きな影のような、私もうまく表現できませんがすぐ後ろにいて見守ってくれているような。。。 そのことを思い出しました。 そして考えました。 何故今は辛いのだろうと。 そんな頃があったからかもしれませんが、休みたかったのかもしれません。 大変なことはもういい、誰かに頼って生きたい、そうゆう思いがなかったとは言えません。 だから裏切られたとか思うんですよね。 自分で決めたことだったはずなのに、誰かのせいにしようとしてしまう。 それは、そうしたほうが楽だからです。 もう一度、きちんと自分に向き合ってみようと思います。 本当は自分はどうしたいのか、どうありたいのかを描ければ、何か希望が見えてくるかもしれませんよね。 困難を乗り切った昔の私には、乗り切った先にある自分に希望を持っていましたし、原動力は怒りでした。 怒りが良いかはわかりませんが、行動力の着火剤にはなってくれると思います。

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その他の回答 (1)

回答No.1

大変お辛い状況であることをお察しいたします. 「笑うことを忘れてしまいそう」とありますが,emiさんのような状況でニコニコ笑える人も中々居ないでしょうね. まずこのような相談を実際に出来るご年配の方々などいらっしゃいますか? 現実的なアドバイスそして心理的なアドバイスどちらも出来るのはやはりご年配の方だと思います. ですからぜひそのような方を求めて動かれる事が第一だと思われます. 一人で全てを抱え込まず,相談できる先輩を持つということは私の経験上とても大切な事だと思っておりますので. また,お金と愛の問題を抱えていらっしゃる様ですので,お金と愛に関するお話,そして学ぶということについてお話をさせてください. お金が無ければ生きていけないというのも事実ですが,愛が無ければ生きている意味がないというのも事実だと思います. よくお金と愛どちらが大切ですか?などいう質問を聞いたことがあると思いますが,この世に生きてる限りお金と愛は切っても切れない関係なので,どちらか一方だけで成り立つものではなく,どちらも大切なわけです. 現在emiさんの状況はお金も愛もゼロに近い様な状態で,誰もがemiさんの苦を察する事の出来る状況だと思います. しかしemiさんと反対の様な状況の人はお金の大切さや愛の大切さがきっと分からないまま一生を終えてしまうと思います. その点,emiさんは人が生きていく上で何が大切なのかということの天から地まで学べる機会が人よりも多く与えられているということでもあります.(ある意味,愛とお金というものは天と地のもの) 蓮の花は泥の中から咲くというように,苦があるからこそ楽を求めて人は学べるわけです. 泥は花を咲かせるための養分です. この養分を沢山吸うこと(学ぶこと)が出来ればきっと沢山の花を咲かせる事ができるのだと思います. 苦しみの暗中模索の日々では,人の話や人の情を受け入れることが難しくなってしまいます. 鬱病とはそのような状況を表したものです. そうなる前に自分独りで抱え込まず,楽しみの日々を送っておられる年配の方にサポートしてもらい生活する事が現実的な打開策です. 同じ苦しみの中に居る人にはemiさんに救いの手を差し伸べる事は出来ません. emiさんが歩こうとする道を歩いた事のある先人にしか救う事ができません. そのような方とぜひemiさんが出会えますように,私はせめてものお祈りを致します. emiさんを救うためのご縁がありますように. 上から目線のお話になってしまい申し訳ありません. emiさんがいつかはお金と愛の問題をクリアできることを願っております.

emi_161627
質問者

お礼

このような何を聞きたいのか、何を求めているのかわからないような内容に真摯に応えてくださり、感謝します。 sunfourさんの言葉、胸に染み入りました。 同じような(時代からするともっと困難な)人生を歩まれた人生の先輩はいます。 ただ、うつ病を患っていた頃にお世話になり、やっと快復して生き始めたと思ってもらえてるので、相談しにくいのが正直なところです。 その方は私の父の実姉で、70歳を越えてますし、母親の早世のうえに父親まで早くに亡くした私に対し、父の身内であることで私に申し訳なくさえ思っていただいてるようで、これ以上気苦労をかけたくはないのです。 そんなこともあり、私は何とか一人で強くなろうとだけ思ってきたのですがこの始末。 ままなりませんね。。。 他人を妬んでも仕方のないこと、それで何が変わるわけではないという事は重々わかってはいるのですが、感情の中ではなかなかそう割り切れなくて。。。 子どもの頃から母親のいる家庭をうらやんできたことが、いまだに抜け切っていないのは自覚しながらも情けないことです。 ただ、sunfourさんのおっしゃるように、愛とお金、ひいては人生が何たるかを多く学べていることは、感謝しなければならないのかもしれません。 実は母が亡くなったのが今の私と同じ年齢だったので、今からこそ意味のある人生を送らなければならないと思っております。 彼とは昨日少し話し合う機会を持ちました。 とにかく私が人間として成長すること、再び病気におちいらないために精神的な自立を果たすこと、そのためには今目の前にある仕事で少しでも成功し、人間力をつけなければならないとの結論に達しました。 将来的にはやはりもとの家族と暮らすことを望んでいるとダメ押しされ、女性としての苦しみはそこには関与できませんでしたが。。。 今は女性であることを捨て、自由になるために(とりあえずはお金の面だけでも)進まなければならないのかと思っております。 そのとき見える景色が今と違っていたらと願っています。 あほな女だと自分でも思いますが。

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