• ベストアンサー

言いたいことが言えない、気遣いがない人を許せないと思うクセを治したい

わたしは、今まで生きてきて、付き合った人間に対して、なんだこの人は許せないと思うことがたくさんあります、小さなことから大きなことまで沢山ありますが、陰で散々悪口を言っているのに都合のいいときだけ友達のように話しかけたりして人を不愉快にさせる人をみたり、学校でも体育館や人数分ないものを譲り合わない、人の家の事情(父の仕事や経済状態など)をズケズケ聞いてきたり気遣いができない人は大嫌いで、色々な事情があるかもしれませんが、最近ではなぜこんな人間が生まれてきたのか?と思ってしまいます。  それと自分は小さい頃から、謝ってほしいことや腑に落ちないことが起こっても親などから言ってはならない、問題を大きくしてはならない、正面から断るのはほとんど悪いということ、などと洗脳されるように言われ続け、お金が無いので物から進学まで何でもかんでも我慢するというクセが身に染み付いて、言いたいことが言えない性格でもあります。例えばバイト先時給が面接のときの話と違っていたり、辞めるときにロッカーの鍵の保証金を返してと言えなかったり、言わなくてはいけないことなのに相手が少しでも渋るのがわかると言えなくなってしまいます。  ただこんな性格でも周りに対して悲しい気持ちに気づいてあげることができなかったり、相手を傷つけることは無いし、わがままで無神経な性格よりはよかったと思ってはいます、でも集中力はありません。だから状況を判断してバランスよくやれるのが一番良いのがわかってはいるのですが性格を治す方法がわかりません、どうすれば良いですか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Fetwee
  • ベストアンサー率40% (44/110)
回答No.2

言いたいことが言えないのは、性格的に強い相手だけではなく、親しくしている友達に対しても言えませんか? これは両面的な考え方があります。 ひとつは日本人の美徳感覚的なことですが、相手の言葉の裏や態度を読み取って、気持ちを察してあげる能力が「よし」とされる面ですね。 もうひとつは逆に、夫婦なんだから、家族なんだから、親友なんだから、言わなくてもわかってもらえるはずだという甘えた姿勢をつくりやすいことです。 質問者さんは性格を直したいとのことなので、前述の欠点のほうを話していきますね。 まず私は、友達同士で言いたいことを言い合える関係を大事にしてきた立場です。そういう間柄でさえ、お互いに全てを理解し合っているわけではありません。 ただ、話すことによってお互いを知ることができます。感情をぶつけ合うこともありますが、そのあとで気持ちがスッキリして、相手が怒っていた理由を深く考えてみたり、自分の非を反省したり、自分のほうから謝ろうという気持ちが生まれたりします。それが、言いたいことを言える人の思いやりだと思っています。 それと大事なのは、陰口や悪口がいけないことだから言わないのではなくて、言う必要がないから言わなくなることですね。 だから多分、本人に対して気に入らないことが多かったり、不満を直接言えないような人は、陰に回って別の人に憎しみを晴らすようなことをするのでしょう。またそういう人の周りには、似た種の人が集まりやすいんでしょうね。 それはともかく、言いたいことを言うと言っても、自分の主張だけを押し付ける人はわがままですが、相手の言うことも同時に聞く耳を持つ人がいるなら、ためしにかかわりを持ってみても勉強になると思います。 また言いたいことが言えずにいると、いま言ったわがままな人から都合の良い人と見られたり、利用されたりする危険もあるし、そういった人を周囲に集めてしまって身動きが取れなくなることもあるでしょうね。 質問者さんは正面から断るのが悪いことだという考えが刷り込まれていらっしゃるようですが、逆に、自分が正面から断られたら傷ついてしまうでしょうか。 言いたいことが言えない種の人は、自分が傷ついたりすると、時にどうしようもなく黙り込んでしまうことがあります。 相手が好意的に接していたとすれば、傷つけたことにさえ気づいていないことになり、それを「人を傷つけて気づきもしない人」の烙印を押されてしまいます。 黙った人からすれば「気づいてくれてもよさそうなものを」と思っているのでしょうが、傷ついたり不機嫌になった理由はほぼ、聞いても聞かなくても正直に言ってくれません。 ふだんは自己主張も少なく聞き役に回ってくれることも多いのですが、いざ何かあった時には、沈黙することで責められているような気持ちになるし、沈黙しないにしても何か言いたいことを隠しているのがわかります。固く心を閉ざされたことが感じられるんですね。 長くなってしまいましたが、ときには言いたいことが言えない人も、ある種の人を傷つけていることもある・・ということを知ってほしかったのです。 人は言葉のコミュニケーションを交わす生き物ですから、言いたいことが言えないと、とくに「ノー」を言えずに押し殺してばかりだと、やはり自我がゆがんでしまうことが避けられないと思います。 断ること自体が悪いのではなくて、不当なことに屈してしまうのが良くないことだと思います。ときとして真正面から断る勇気も、自分の責任で生きていく上では必要なんだと思ってください。 また、親切にしろ優しさにしろ、断られて怒ったり傷ついたりする人にも多少の問題はあるものだと思いますヨ。自分の親切や優しい行為に対する見返りを求めていたり、恩着せがましい人だったり、受け取るのが当たり前だという感じ方が強い人ほど、断られて傷ついたり、断った相手を責めたりします。 断られて傷つくようなものは、行動はともかく、かんじんの動機が親切でも優しさでもないのだから・・・。 長々と書いてしまいましたが、具体的な方法論には至れずごめんなさいね。 ただ、考え方を広めることは感じ方の変化につながります。何か一つでも参考になればと・・・。

horotyou
質問者

お礼

お返事ありがとうございます、回答を参考にじっくり長い間かけて向き合ってみます、いままだ自分の正直な気持ちがお返事できないのでこれ以上かけません、本当に申し訳ありません

その他の回答 (2)

  • KKKKY3
  • ベストアンサー率7% (1/13)
回答No.3

>謝ってほしいことや腑に落ちないことが起こっても親などから言ってはならない、問題を大きくしてはならない、正面から断るのはほとんど悪いということ、などと洗脳されるように言われ続け・・・ という事ですが・・・ あなたは親から多くのことを躾けられてきた。しかし本来、そういう気遣いなどは自分が失敗して体験して学ぶものです。だから自分の本音を言えない状況になっているんだと思います。 (余談ですが、実は僕もそんな感じで、本音と建前が乖離しすぎて混乱する事があります) 治すためには、思ったことを素直に口に出してみる。そして、失敗して体験して学ぶのが一番早い方法かなと、僕は思っています。 あと、僕は「陰で散々悪口を言っているのに都合のいいときだけ友達のように話しかけたりして人を不愉快にさせる人」を自分の感情に素直な人だと考えます。或る意味、羨ましいです(配慮が足りてないけどね) ではなぜこんな人間が生まれてきたのか。 あたなは、そんな無神経な人たちに注意をしましたか? 理解してくれるまで説得しましたか? もし、したと言うのなら、それは他の人の努力がたらなかったのでしょう。また、もし、していないと言うのなら・・・言わなくても分かりますよね^^;失礼。 そういう世の中(注意しない、あるいは理解するまで説得しない世の中)が、無神経な人たちを生み出すのだと考えます。 これって、僕達(注意しない人たち)の自業自得だと思いませんか? もちろん全ての責任が僕達にあるとは思いませんが・・・僕はそう考えます。面倒な世の中ですよね。

horotyou
質問者

お礼

無神経な人に注意してません、大人になるにつれて、それは周りから個性だと言われ続けてきたからというのもあります、きっと人間って協調しないといけないと思うのです、だから死んでほしいとさえ思います、きっと事故でなくなったというのを聞いても「当然だ」と思います、それぐらい迷惑な人たちが許せないと思います、どうしてそんなことができるの?なんで周りに親切ができないの?くらいは聞いたことがありますが注意する前に個性という言葉でかき消されてしまうのがほとんどです

noname#60679
noname#60679
回答No.1

結局根本は同じことで悩んでるんですよね。 自分が我慢を強いられているから我慢をしない人が許せないんです。 繋がったひとつのものです。 『完璧』というものはナイのですよ。 貴方が気遣って行動したことでも傷つく人がいたりもします。 「自分は努力したから仕方がない」と言えますか? それこそ無神経な人になります。 親に嵌められた枠は強固な物です、破るには一度大きく歪めてから逃れる必要がありますね。 一度「気遣いのない自分」を経験して、心を開放してあげても良いのではないかと思います。 勇気いるでしょうけど^^ ご参考までに。

horotyou
質問者

お礼

お返事ありがとうございます、自分が我慢しているので、我慢をしない人が許せない、は当たってます。  気遣いのない自分は勇気が要りますね、多分無理です

関連するQ&A