• 締切済み

今後の人生に全く希望が持てません。長文です。

私は大学三年生のものですが今後の人生に全く希望が持てないんです。 本当です。 就職活動中で、それが上手く行かないと言うのもあるんですがそれだけじゃないんです。 正直ある程度の大学・外見ではあるので選り好みしなければまあ就職は出来ると思います。 でも就職しても絶対に周囲から浮いてしまうのは分かりきっています。 就活するにあたり自分がいかに空っぽな人間かということに気づいたのがきっかけです。 大学時代何もしてきませんでした。 友達も増えなければ、勉強もしていません。 出来る限り授業をサボり、アルバイトをしてお金を稼ぐことだけに精を出していました。アルバイト先でも浮いてしまいます。 相手から定期的に連絡をくれるような友達は一人もいません。 いい感じになる男の人は格好良くて人間できている感じの人が多いのですが、いつも最初は相手が積極的でも、結局何にもなく終わってしまいます。 私に中身のなさに呆れ(実際に言われたことあります)、そのような人たちには私なんかよりずっときれいで人間力のある人がいるのに気づいたからだと思います。 大抵の人(いい感じになる男性や、短気な関係でしかないであろう人、自分以上に可笑しい人以外)に対し、すごく壁を作ってしまう傾向がありつれない印象を与えてしまうようなんですがと思いますが、大抵のひとが本当は怖くてしょうがないから壁を作ってしまうのでどうしようもありません。 結婚は出来ないだろうし、職場でも辛い立場になりそうだし、今後全く幸せになれる気がしません。 現在は若いからまだ良くても、今後年をとったら全く誰も相手にして切れなくなりそうで怖いです。 本当に好きなのはペットの犬だけです。 それしか私にはいません もうどうすればいいか分かりません。 本当なんです。 お願いします、励ましなど入らないので具体的な アドバイスを下さい。

みんなの回答

noname#72108
noname#72108
回答No.140

 お詫びと言っては何ですが、あなたにあるであろう青春というものを思い浮かべるときの苦痛、それを和らげるかもしれぬもの、僕にとっては暗闇の中での清流の一滴のように自分を慰めるものであったものである、伊藤整の”青春について”を一部抜粋してここに残して行きましょう。 ~  即ち私は、健康な肉体の力、美貌、広い心、勇気、才能、女性の友などという、青春の最も輝かしい伴侶と見なさるものを、全く欠いていた。それ等のものを所有しない、という意識は、日常痛烈に私を苦しめ、自分を劣れるものと感じさせ、自分が青春を生きていないことを、多分したがって人生らしい人生を生きることができないだろうことを予感させて、私をおびやかした。その時私の感じた脅迫感の荒涼とした非人間的な恐ろしさを、私はいま五十歳になろうとして、まざまざと思い起こすことができる。  中略  しかし、だからと言って、私が青春を知らなかった事にはならない。むしろ私は、それを所有しなかっただけ、それだけ、強烈に青春を知っていたような気がする。私は、青春というものを、青春らしい生活形式や交友や恋愛やスポーツそのものとしては所有しなかった。しかしそれ等を所有しなかったことで、正確に言えば、所有しないと思ったとき、青春は私にあった。私は、長い間かかって、青春らしい生活の形は、大したものでないこと、更に大胆に言えば、そんなものはツマラヌモノであることを理解した。私の肩の上に坐って、私につまらぬことを囁くやつは、それは、私が論理的には棄てた奴が、単に情緒的に、仮にそこに坐って、私を失われたものへの情感に誘惑している亡霊に過ぎないのである。 ~  一部抜粋になりますが、このようなものとなります。  気持ちの負荷とならないときに、時間の余裕のあるときに、目を通してもらえればと思います。気持ちを壊してしまったお詫びのようなものです。 良い年末をお過ごしください。

lovbetico
質問者

お礼

なんでしょう、少し分かったんですが、あなたは私があなたに対して前後の文章もなく急落的な評価を表現をしたと書かれていましたが、私にとってそれはあなたに対する急落的な評価ではなく、おそらく私は同じことを言われても傷つかないし、あなたもそこで傷つくなんて想像すら出来ていなかったからだと思います。 それなら申し訳ありません。 今まで、人間関係がどうしても本当に小さい頃から上手く行かなかったので、人と摩擦を起こさないように自分なりに気を使っているつもりでした。 それでも、ある日自分では意識せずに、むしろいつも通り距離感を持ちながら発した言葉や行動等から引かれたり嫌われたりとうことがしばしばありましたが、きっとそうなんですね。 私は、人から何かを言われたりしてもあまり傷つかない部分があるんです。 傷つきやすいし、すごく人の悪意に対しては敏感です。でも内省的なんです。もしくはとてつもない怒りを感じます。 あなたと話していても、直接あなたに傷つけられたと感じることはありません。自分で考えて傷つきます。 負荷になっていたのはなんでかというと、多分莫大な情報やそれを理解するのにとても労力を要することや、それと同時に自分で考え傷つくということもきっと同時に行っていたからだと思います。 すごく残念なことなんですが私は難しいものや自分にとって読みにくいと感じるものをそれ自体を理解するのに多大な時間や労力を必要とするんです。 まだ新書は難しすぎない限りは良いですが、小説とかエッセイもだと本当に簡単なものやじぶんが読みやすいもの以外は苦痛で読みたくないんです。 あなたがよく挙げられている内田樹さんの著書も最近買いましたがそれも苦痛でした。村上春樹さんやカポーティも駄目でした。 脳に問題があるんじゃないかと悩んでいて、あなたとコミュニケーションしていくうちにそれがいよいよ絶望的な気持ちになってきてそれも負荷だったんだと思います。 私の問題なのであなたが気にすることないと思います。 親しくなるためには不快さを小出しにする云々ありましたがきっとそれはその通りなんだと思います。他の人たちを見ていてそう思います。しかし、私はそれを実行したことは多分覚えている範囲ではありません。 だからあなたが怒ってパニックになったんだと思います。 まとまりのない内容ですみません。でも今はこれ以上は書けそうにもありません。

noname#72108
noname#72108
回答No.139

 規定違反により一部記事が削除となりました。連絡は行っているでしょうか。  その旨ご了承ください。

lovbetico
質問者

お礼

kumosukeさんこんばんは。 削除された部分に関しては軽く目は通しましたし、連絡等はきましたがなにが書いてあったかは分からない状態です。 あの、あなたに謝っていただく必要は全くないと思うし、きっと謝る必要もないと思います。私はきっと謝るべきなのに謝ることが出来ませんでした。 前回投稿した時はかなり酔っていてそれも相まって変な文章になったんだと思います。投稿遅れてしまい申し訳ありません。 一時的な混乱には陥りましたし、きっとお互い傷ついてないとは言えないとは思いますが、私は自分に関してはきっとそこまでではないと思います。 だから謝っていただいたり気を使ってもらわなくて大丈夫です。 長くなり1回の投稿では載せれないので分けさせていただきます。

noname#72108
noname#72108
回答No.138

 おはようございます。お機嫌は如何でしょうか。  あんまり書くとまた悪いと思うので、”親しい関係性の上においての不快の表明の必要性”というものと、そこに絡んで有る”怒りというものの構造論”と言うものがあるんですということだけお伝えしたいかなと思うんです。内容は書くとまた長くなるので、書きませんが、これは理論に縛られたものということでなくて、僕の人生上の経験からのものであり、専門家筋の方にも評価を頂けているものではあります。  僕はあなたの言うとおり、なのかはまだよく聞いてみないとわからないですが、なので伺ってみたいと思っているのですが、無理がありました。今は無理ができなくなりつつあるんですね。より自然体でしか振舞えなくなりつつあるのですね。ですから、親しい間柄こそ不快の表明を小出しすることが必要、というものに向かうんですね。  親しくなる間柄にこそ、苦しく感じたり、辛いと感じるものを経る必要がある、と僕は感じているんですよね。お互いに有る無理を無くすための作業というわけです。長く付き合い、突っ込んだことも話せる関係性を築くには、そういうことを経る必要があるということでもあるんですね。言い訳にも聞こえそうですが、そういう感じではあるんですね。ごめんなさい。

noname#72108
noname#72108
回答No.137

 こんばんは、lovbeticoさん。あんな形のものでもきちんと回答してもらって申し訳ないなと思う気持ちがあります。大変なときだからあんなのもらったら大変だよなとは思うので、悪いなと思っていたんですけれどもね。僕の中の感覚として、書いてしまってから、傷からとめど無く流れる血のようものだとそれが感じられたからです。いえ、あなたが傷つけたということではなく、古傷が開いたということです。 僕もあなたとは話したいと思っているんですよね。それはあるんですね。それはね、なんと言うか、本能で惹きつけられるものを感じるからというか、何か理由があるからと、そういう感じでですね。だからあなたをここで見つけたときも、あぁこの人と僕は重なって行くなという直感的なもので向かっていったんですよね。でも当時の僕はまったくここに意味を見出せないでいたのでした。なので、それであなたを傷つけてしまったと思っています。そこでも悪いなとは常々思っていたのですが、止められず、でもまた書いてしまいという感じでした。  ただお互いのコミュニケーションの形、そしてお互なりにある未熟が今上手く噛み合わないところがあるんだなと思うんです。あなたの言う僕の無理(それは僕の言っている範囲以外のものも入れて)と、あなたの形が今噛み合っていないんだなと思うんです。  すみません、あなたもだいぶ混乱されたようで、書かれているものに”それ”とか”その”とか”そう”が多くて、読んでも具体的に何を言いたいのか判然としないんです。でも何となくは伝わるのですが。  不快な点に関してあなたが思っているほどに全般的ではなくて、そのなぜそこまで急落的な僕への評価表現を用いるのかという説明があまりにもないので、前後の文脈無しにそれが行われるとこちらもパニックになるんです。そこはご自分で読み返してみて欲しいのですが。ただあなたが僕に負荷を感じているのは、以前からの話で気付いておりますので、そこで自分の表現をどのようにすれば良いのかは色々と、四苦八苦というんでしょうか、しておりますが、でもちょっと今こうなってさらに圧力をかけてしまったというような次第です。  傷付き、苦しくて、駄目と言うのなら、止めて下さっても良いのですが、何でしょうか、僕ももう少し素直に表現できたほうが良いのだろうとは、あなたにコメントを送っていて思いましたね。  依存というのも、何だか色々なものがあって、良し悪しだけでなく、様々があるんだなとは今思い始めているのですが。何を申せばよいのやら。  確かにね、あなたの言うとおりに、この一方通行が往復する形の投稿も負荷を感じるのは、そうですよね。  まぁ、それ以外にも僕は確かに負荷を与えているという自覚、いやそれもあなたが思うものとはズレているのだろうけれどもね、があるのだけれども、だからそれも悪いなとは思っていて、でもどうしたら良いのかなとは思うのですが、その先がなかなかここからは出せないままでいますよね。  僕が嫌なら嫌で、それはあなたに任せます。  話したいのなら、話しましょうよ。と言う権利が僕にあるのなら、ですが。それは僕からは話したいと思っているということだけ伝えておきます。  傷付き、苦しくて、嫌だというのなら、それはもうしょうがないかな、と思います。  でも、何でしょう、痛いよって距離ある相手にわざわざ伝えるのって、話したいからじゃないですかね。僕はそう思うんですよね。  でも、もう駄目だと思ったのなら、そこは素直に自分の気持ちに従って欲しいなと思うんですよね。

noname#72108
noname#72108
回答No.136

いや、ね、あなたがそれで言おうとしたことを、時間が経てば僕はそれを拾える人間ですよ。でもね、あなたのその表現には何処にも救いがないし、そこまで相手を追い込んでしまう表現だよね。表現自体にずれがあって否定性が強過ぎる。  前回の本気で心配するという文脈も、言われれば何とか拾えるものですが、本気で心配しているのならば、もっと相手を想う言い方があるでしょう。いつも何処かコミュニケーションの失調を自ら誘ってしまっている部分がある。  そういうことをどれぐらい自覚しているのか、そこがあなたにある障害となっているものだと言えるということなんです。  確かに僕は無理をしているんです。でもね、あなたの言うようなものではないんですよね。かすりながらもそのような表現をされてしまう、そこが大きなポイントだと思うんですよね。  あなたの件だけでなく、僕は今本当に疲れて参っています。それは本当に確かなことなんですよね。でも僕を無理とすれば、あなたはマイペースに過ぎるとも言えるでしょう?  なぜ僕らは健やかにコミュニケーションを重ねられないんでしょうね。それは悲しい現実ですね。

lovbetico
質問者

お礼

こんばんは。 すみません、言われていることは分かるようで分からないし、当たっているようではずれています。 それが正直な気持ちです。 ちょっとどうすればいいのかよく分かりません。 説明しますと本気で心配していたのはそう書いた時点での話です。 そして、その後書いたのはその時思ったこと等です。 メタメッセージ云々や賢人でもこのようなミスはする等言っていましたが、私が心配ですと返答した文章に対して思ったことを書いたということで、その言葉を今現時点でのあなたに投げかけたつもりはないんですが。 ただ、そのような状態になるということに関してはそう思いますが、今のあなたに関してはそのような思いだけです あなたは私について批判していて、多分不快な思いをしていると思いますし、それは私自身では分からない事であったとしてもきっと当たっているところも多いと思います。 しかし、私もあなたとコミュニケーションをしてもちろん自分にとってありがたいことが多いのですが、それと同時に何らかの負荷を感じています。 それは私についての分析とかにではありません。 例えば一方通行が往復するしていき始めて双方に通じるような投稿というこのような形態のコミュニケーションについてもですし、それ以外もです。 しかし、私はどんな人にも欠点があるし、きっとあなたとコミュニケーションをしたかったからそこは見ない振りをしていました。 前回あなたがここを離れると仰った時は私があなたに批判的なことを投げかけた時でしたね。 確かにあの時の私にはあなたにたいしてなんとか打ち勝ちたいという思いもありましたが、その時確かにあなたに対して感じていたことを書いたというのも事実でした。 それなのにそこには答えていただけずに残念だという気もしました。 私はkumosukeさんとまたお話できたらと思い、この回答を締め切れずにいました。 ある種の依存だと思います。 でも、それと同時にあなたと話すと自分に対する正当な批判ということではなく傷つくことやとても苦しいことにも気付きました。 どうすればいいんでしょうね。

noname#72108
noname#72108
回答No.135

おはよう、lovbeticoさん。現状如何ですか?あぁ、もう”こんにちは”だよね。今回のあなたのお返事により一気に展開が成されたと僕は感じています。では数度にわたり申し訳ないですが、早速本題に取り掛かりたく思います。  再三再四、そのメタメッセージ無き状態の中で、大きな違和を感じ僕がこだわった部分は、なぜかと申しますれば、そこが”あなた”という人に有る構造の大きな発見をもたらしたからです。それはネガティブなものの発見であるのですが、それはあなた次第ではポジティブなものと転化させることができるものなのです。でもそこの眼目となるものにあなたが気付けねば、そしてそこに近付くことができねば、またこれからも変わらぬ自己を維持し続けることになるでしょう。つまりその違和に気付けるセンシング能力に磨きをかけること、それがこの手の病において回復までの道筋を得るためのもっとも有効な手段と言えるでしょう。  まずはこれを押さえておかねばなりません。  人と言うものは、己が口に乗せて表に出した言葉や、己が筆なりキーボードなりで書いた言葉を、聞いたり、見たりして初めて、己の今の様態を知るというものです。  つまり我々の意識が”今”において捉えている自己像というものは常に遅れているという、時間軸上の構造があるというのは以前お話しましたが、それに対する反応を見ていると、それほどに理解には至っていないようだと感じております。あなたに感じるのは今という時点ににおいて意識で捉えた自己像と相手像がすべてである、という言説を採用しているということです。これはあなたの認知限界をそのままに示しています。  今回再三再四にわたりこだわった部分を再引用させてもらいますね。 > 私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。 > やはり、曖昧な表現ですね、すみません。 > 色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。 > でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。  ここです。これを見たとき僕は非常に大きな違和感に打たれました。でもその違和感ほどには意識境界において理解が生じなかったために、何度もそこへの見解の提示を行い、そして新たな気付きと共に修正を加えてきました。  ここに引用させてもらった部分は、あなたに今までも何度も見られた文脈的におかしい論理展開であるのです。それで、今回このような形で表出化されたことにより、僕はあなたの頭の中ではどのように渦巻いているのかの実態が、ようやくにしてはっきりとその輪郭が見えてきたということになります。過去においても違和を大きく感じていたのですが、その形がはっきりとは見えてこなかった、曖昧なぼんやりとした形でしか見えてこなかったということになります。  ですから、あなた自身においても、この文章を発して以降に、その大いなる違和に気付くことができていれば、もう新しい道への端緒を掴めたということになります。これに気付けるかが、センスです。愛着というものから抜け出せるか抜け出せないかを測る上で求められるセンスとなるわけです。今においてそのセンスが無いと気付いても、それは”どうしてそこでそう言うの?”という疑問から探りに行けば、少しづつそのセンスなるものを磨いて育むことができますが、これにもセンスが必要となります。ですが決して僕がセンスに優れているということを言うわけではありませんので、お悪しからずに。  センスの基盤となるものは何であるかと言えば、森羅万象、万物が師であるという感覚を持てているかというところでしょう。ここもあなたにおいては現状難しいと感じる部分だと思われます。なぜなら、あなたは少し気付き始めた部分を感じていますが、まだまだ自分を一番の師だと思っている面が強いからです。これは以前の僕にもあり、ひどく悩まされた、近年において自我肥大の時代と言われるもの、つまりそれです。もちろんここに記述した部分へも多様な解釈が成し得ますが、言わんとしているもの、それは僕の今有る理解を超えて、に近づけるかというのもこの世を生きるうえで常に焦点となるものでしょう。  その引用した部分において大きな違和となる部分を端的に表しておくと、あなたはそれ以前に綿々と敷かれた自分の発している言葉の用法の誤り自体に気付いておられないということになるのです。つまり僕が常に疑問を提示していた”分かります”とする部分と、”おっしゃるとおりだと思います”という部分との連絡性がまったく保たれていないのが、上記引用部分となるわけです。  そこに端的に現われるもうひとつは、あなたの認識からくる視界の形であり、価値観の形であります。僕がデジタルに過ぎるというものとなります。そしてもうひとつ、”未熟”という形となります。  僕は以前の僕においてこれだけの提示があれば大きく端緒となるものを得たことでしょう。過去において今の自分のような存在がいなかったことが悔やまれるという表現も可能です。というのは、驕りでも、うぬぼれでもなく、僕はそうやって長い時間をかけてひとつひとつ丁寧に、以前から申しているとおりに、薄皮を一枚一枚重ねていくようにしてそれを行ってきたのです。気が遠くなるような作業でしたよ。実際先には絶望しか見えずに行っていたのですから。でもお断り申しておきますけれども、それは今有る絶望とは違うものであります。よりあなたの言う地獄というものとちょっと近いものですね。  あなたを論理性に優れていると評してきましたが、それは世間一般から見ればまだまだ小さい範囲であり、あなたのその論理性は自己に対しては小さくしか機能していないというのが現状です。でもそれはきちんと育まれれば大樹となり得るものであり、他の人にはない特質と言えるものであり、ですから才の萌芽と言うのです。際の萌芽とは、すなわち現状においては才と成っていないということを表します。そしてその論理性が自己に対しては小さくしか機能していないとする理由は既に記述しており、あなたはあなた自身のみを師としている状態にあるからです。本来、自己とは、大成というものと相対すれば常に遥かに大きく未熟なものでありますし、それは若い経験ではなおさらと言える部分がありますし、まず精神の病みが見られる人においてはそれはさらに大きく有ると言えるものであります。僕が愛着と評するように、彼らは常に自己のみをその師とする部分が極めて大な人たちであるのです。つまり自己の現時点有る形、論というもの(それは過去の遠い時点において既に形成されていたものでもある)に非常に強くこだわり、そこから強固に離れることが決してないという状態であります。そこから離れた世界の存在へ想像の羽をはためかせることすらしようとしないのです。固定された価値観の怖さはそこにあります。ここに関しては以前において既に大きく言及を成しておりますので、今回改めて触れることはありません。  またさらに触れておくと、あなたは引用部のような展開を人に対して成すときに、最低限行わねばならないことも、そこに必要な段階を踏むことも、行えていません。そこへもまだ気付きに至っていないということになります。  というような、現時点でのあなたへのまとめのようなものをここに置いておきましょう。あなたの人生はまだまだ先長くありますし、また同時に人生はいつ終わるやも知れぬものでもあります。ですから焦らず急いでという形に有る矛盾をその身に受けて、これらに取り組めれば、あなたにおいても何らかの大きな気付きを生み出せるものであると僕は思うのであります。  あなたの苦しみはわかる思いです。でも、その非常なる大変な苦しみを知りますが、苦しいからこそ、苦しいときにしかわかり得ないものがあるのですし、その苦しいながらに物事を成していくにはどうしたら良いのかということを学べる機会でもあるのです。ですので、その苦しさの中どうやって潤いを小さくとも集めて得ていくかということもとても大事なものとなります。  まだ触れられることはありますが、それをすると主題の焦点がぼやけてしまいますので、ここまでに止めておくのが良いでしょう。  お断り申し上げておきますが、僕は治療家ではありません。あなたが己を認識する、その手伝いをしているだけなのです。  良い人生を歩めるよう、祈ります。

noname#72108
noname#72108
回答No.134

 僕はやはり早く良いカウンセラーなりを探したほうが良いと思いますよ。  あなたと言葉を交わしてきて思うのは、あなたはあなたが想像している以上にデジタルに物事を見ているということを感じます。そこに現実との連絡性の弱さを見るんです。  言葉上の体裁を整えるのって、ボロも出てしまうのですが、簡単なんですよね。あなたはそういうことはある程度できる人なんです。  でも、言葉を交わしていて、やはりこちらを認識するにおいて突拍子もないというようなちぐはぐ感があるんですよね。  僕が話してきたことは自分で自分を見つめる方法なんですよね。でも、あなたは僕を自分の評価の上に置くことにどうも縛られていますよね。僕の話すことに分かると簡単に言ってしまうのですが、簡単に分かるのならば、そこで”でも”とは成らないはずなんですね。  あなたの中で僕への意識や気持ちが分裂して同時に有る感じなんですね。様々な想いがあなたの認識の中で認知の下に置かれずに、一体化せずにバラバラにそのままに出ると感じなんです。ですから、人を認識する上でも連絡性がなく、でもあなたの中ではとても急速に断定的な形を取るんですね。    その隙間を埋めていく作業と、分裂して出ているものを認知の下で一体化に向ける作業が必要だと思うんですね。  それは僕と対話しても、文字情報だけでは無理と言えますよね。今のコミュニケーションの有り方からしてもですし、僕がそれが出来る人間であるなんて思ってはいませんからね。  あなたはここで僕に何を望むのか、それをもう少し丁寧に拾って集めてまとめて行くことも、これからを考える上で大事だと思うんですよ。  とりあえず、僕からは早期にカウンセラーなりを捜し求めることをお薦めしますよ。  人生を大事と思うのならば、状況を見て適切に対応する必要があると思うんですね。

noname#72108
noname#72108
回答No.133

さぁ寝るかとなって、はっと気が付きましたが、なるほどあなたはそう見てそう言っていたのですね、メタメッセージがないとなかなかその意図を取ることが難しいですね。  ごめんなさいね、たくさん書いてしまって。では、再度引用させてもらいます。 >私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。 >やはり、曖昧な表現ですね、すみません。 >色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。 >でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。  ここはたぶんあなたの視界だからこその見え方なのですね。僕が返したような見方ではないのでしょう。それはあなたの価値観からすると、そういう見え方になるということではないでしょうか?また僕はあなたの評価を誤っているということではないでしょうか。  ここら辺、もう一度お返事を待ってみたいと思います。本当に連続して書いてしまい、ごめんなさいね。たぶんここがメタメッセージがないあなたと僕の会話では重要なポイントになりますね、今の段階ではですが。  では、おやすみなさい。  

noname#72108
noname#72108
回答No.132

 時間ができましたので、もうちょっと細かく書いてみることにします。  No.129のものへのお返事となります。  先にも一応の回答を載せたのですが、もう少し先ほどのものに触れたく思います。そこはあなたは以前からとても気にしている、あるいは神経の何処かにひっかかっていて止まない、という感じですね。  僕と話してきた人の中であなたほどそこを気にしてこだわった人もいないんですよ。そこはだから、僕にとってもそうですが、あなたにとってもキーポイントなんじゃないかって思うんですね。  わかり易いように、もう一度そこの部分を引用しますね。 > 私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。 > やはり、曖昧な表現ですね、すみません。 > 色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。 > でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。  これはね、ここでも僕としては語れない部分であるとしか言いようがないと思うんですね。でも、何でしょう、僕が言えないと蓋をしている部分と、あなたが気になっている部分はピンポイントではずれがあると思うんですよね。それと、僕はあなたがなぜそれを何処から見出したのかはわかってはいなんですね。いや正確に言うと、そういうのがにじみ出ているなぁとは思ってはいるのですが。  そう、先ほども言いましたように、ここはたぶんあなたにとってもキーポイントの一つなのだと思うんですよね。でも、僕の予想を超えるところであなたが語っている可能性もあって、そこら辺を僕は気にしていますね。  それと次の話に向かってみましょうか。引用しますね。 > あと、No127にあった頭のおかしい人についてなんですが良くわからないんですが、どういう人をさしているんでしょうか?  これは何とも表現がし難しい部分なんですよね。個々人によって視界が違いますよね、その視界の違いによってはまったく見えない部分であり、その重要度が見えない部分だからなのですね。だからそこはあなたなりに考えを述べてもらえれば、そうではないとか、それとは近いとは言えますが、僕としても語るために思考を走らせたくない部分なんですね。それもある意味僕の地獄だからですね。  次のものですが、引用しますね。 > あと、私の想定している地獄というのは自分が原因で現われる地獄についてなんですが、kumosukeさんの仰るそれはまた別物ということですよね? > ごめんなさい、本当に良くわからないんです。  これは両方ですね。でも、そうですね、前回語ったものに関してはそちらの別物と言われている方の比重が大きかったと言えると思います。そしてあなたが語るような自分が原因で現れる地獄に関して言えば、僕も以前あなたと同じような言説で以って語っていましたが、今有るものに関して言えば、より細密化し、より複雑化し、より広大化したような感じがあります。どういう語り口でも、ある一面を切り取って語り始めれば、それはその時点で嘘になるような感じがありまして、それも語り難い気がします。ごめんなさいね、ここはあなたの聞き方次第で僕も語り方を見つけるかもしれない、という感じの領域となりますね。  では次に参りましょう。引用しますね。 > 私には何か一つのことに混乱があるとその程度にはよりますが、それが自分にとって重要だと感じられるものであればあるほどそれをどうにかして解決しようと躍起になり、そのせいなのかそのような時は普段にもましてマイナス思考だからなのかはわかりませんが、他の悪いことも相関関係を持ってるように感じてきて思考できなくなります。 > それは、とても苦しいことです。 > それをトライすればするほど苦しくなります。  前段に関して言えば、物事を解決志向で以って臨むタイプの人にある流れだと思えますね。そして”躍起になる”という点が現在のあなたの形を現していると思うんですよ。  思考の集中掘り下げタイプと言えるのではないでしょうか。ですから引用してその前段を示しますと、 > 私には何か一つのことに混乱があるとその程度にはよりますが、それが自分にとって重要だと感じられるものであればあるほどそれをどうにかして解決しようと躍起になり、  ここですよね。ここはそうですね、皆ある流れのひとつであると言えると思うんですね。でも、何でしょう、”それをどうにかして解決しようと躍起になり”が個々人によって変わってくると思うんです。  たとえば、そこで不安になってそれで周りにせっついて大騒ぎするというタイプの人もいるでしょう。これは物事の解決において、その解決を人のやり方に委ねると言う依存型の人の形でしょう。  この形の変形パターンが一般的な人だと思うんですよね。ある程度は自分でも考えて取り組むんですが、それと同時に、割合に広くその解決法を人の方法に頼るという形ですね。これは大半の人がこれの応用した形だと思うんですね。  で、もう少しそれらに混じっている感じの形が、そこで自分の考えられる範囲か、範囲でないかを見切って、吹っ切る方向に向かう形ですね。これは程度の低い、高いがあると思いますが、そういう形を取り入れている人もいますでしょう。  そしてあなたの形ですが、ごめんなさいね、これは典型的な自己解決型の人、つまり他人を誰一人として頼れない位置にいる人に多く見られる形とも言えると思うんですね。いえ、誰かを頼れる人であっても自己解決に向かう人はいるのですが、あなたの場合はそこで”他の悪いことも相関関係を持っているように感じて思考ができなくなる”とまでに追い込まれるんですね。これは自分の今現在のポテンシャルを超えて物事の判断を行っている人に多く見られる形だと言えると思うんですよね。そして混乱に拍車をかけるのが、実は自分も誰かに頼りたいと深く思っていながらもまったく頼れないという状況があるからこそ、またそこで自己判断で決しなければならない状況が、さらにそこでの混乱を深めるような働きとなっていると言えると思うんですね。どうでしょうか。  ですから、それはとても苦しいことであるのは当然であるのではないでしょうか、と僕からは言えるのです。トライすればするほど苦しくなるのも当然ではないでしょうか、ということですね。  と、こういうことを言うということは、僕はそこへのある解決アプローチを持っているとも言えると思うんですが、僕が経た道は大変厳しいものですから、それを安全に経るということが、この離れた環境からの僕からの言及においては保障できない面があり、それを考えると本当にお薦めできるものではありませんし、またお薦めしたところでその状況が自分で構成していくことなどできるものではないでしょう、と思うんです。ただ言えることは、”人間は生まれてより死に至るまで孤独である”ということを身体の奥深くまでに至るまで感じ切ることが適えば、ということは僕の経たプロセスでは言えるでしょうね。  では、最後の引用をしましょう。 > 死ぬことは怖くありません。ただ死ぬまでのことを想像すると怖いんです。 > でも、最近これなら上手く出来るかもとも思いましたがやっぱり怖いんです。 > 私はなんで怖いんでしょうか。 > 死にたいと思って本を買い、確実に出来そうな方法も見つけたのにまだ怖いんです。 > 私は生きることに対して未練があるんでしょうか。それとも本当はただ怖いだけなんでしょうか。  死ぬまでのことは自己意識が恐れますよね。でも死ぬことはあなたの身体に存在する本能が怖がるです。DNAが怖がるとも言えると思うんですよね。  以前も言いましたが、人は状況から苦しくて死のう死のうと考えれば考えるほど、やはり苦しくなるものなんですね。それは身体の常に存在する本能は、より幸福に生きようとするベクトルを常に持ち続けるからなんですね。相克となるからなんです。ですから、その本能はやはり死という状況の到来を拒むんですね、恐れるんです。これが、たぶんですが、フロイトの発見した無意識というものの、意識よりも遥かに広大な世界の一端だと思うんですね。  僕も確実に出来そうな方法は見つけていましたよ。でもね、知ってますか、確実に死ぬ方法でも、瞬間に死なない場合が多くてですね、その死に至るまでの時間で、そうでない人がゼロであると言えるぐらいのほとんどが、助命を周りに請うんですよね。死にたいと思い願う状況と、死が逃れられぬものとして本当に目の前にあるという状況は、当人にとってもまったく違う世界なのですね。ですから、本当にそれで死ねた人であっても、死の間際に彼らは人には聞こえないかすかな意識の上で助命を請うている、願っている可能性が大なんですよね。  人の持つ生への想い、意識、ベクトル、それは我々が想像している以上に遥かに強固にという表現でも足りないぐらいに有るものなのですね。  それは、死を意識すれば自ずと苦しみ迷うことになることから逃れられなくなると想像できるものではないでしょうか。  であれば、道はひとつしかないわけです。 少しでも楽になって前を向けるといいですよね。  雨に身体を冷やさないよう、お気を付けください。

noname#72108
noname#72108
回答No.131

 No.129へのものへのお返事として。  今日は三連休最終日ですか。いつもここ十年ぐらいは祝祭日を知らず周りから教えられている感じです。仕事のペースに頭がなってしまっているのですね。連休初日のアルバイトの面接も意外な展開に・・・・、さてどうしようかとまた思案に暮れる状況です。  それにしても紅葉の中、本当に小さな公園なのだけれども、土を踏みしめる感触が気持ち良いですよね。  今ちょっと時間を取れないので、それとあなたの書かれたことが複数テーマに及んでいるので、それとひとつひとつが丁寧にアプローチすべきものであるので、ひとつだけに対してその見解を示しておこうと思います。  見解と言っても、その理解への導きとなるものを置いていくだけなのですけれどもね。  なるほどという感じで、またあなたを一歩深く知ることができたように思えます。  では、これに対してのものを置いていきましょう。 >私があなたに自分に対して無理をしているというのは言葉どおりというか、自分を大きく偽って生活しているんじゃないかと思ったからです。 >やはり、曖昧な表現ですね、すみません。 >色々な人がいて色々な事がある中で生活する上で無理をすることが必要なのは分かります。 >でも、なんと言えば良いのでしょうか、自分の限度を越えて、なおもそれに気付かない振りをしながら生きているのではないかということです。  非常に鋭いと思います。でも、そうですね、あなたの自分のフィーリングを伝える表現力が、やはり伝えたいことに付いてきていない過去を思わされました。今回はきちんと伝わりましたよ。  これでわからなかったら、また尋ねてください。  あなたがどこまで見解を深めて行くか楽しみになってきましたね。

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