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お水取りと、神社への参拝
いつもお参りしている神社へ行き、お水を頂いて来て毎日飲もうと思います。 これとは別に、お水取りの吉方位へ行き、やはり神社でお水を頂いて来て毎日飲もうと思います。 これらをほぼ同時に行い、いつもの神社で頂いたお水を夜、お水取りのお水を同じ日の朝に飲むことは何か良くないことがありますか? 日程的に同じ時期になってしまうのですが、問題があれば教えて下さい。
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質問者様のお考えにのっとって、神道系での話になりますと、まず、神社については「氏神」と「崇拝神社」とがございまして、神棚にしても、中央に天照大神を祭り、両端にそれぞれ氏神と崇拝神社を祭るという三社用のものもありまして、複数の神様を崇拝するのが当り前の日本では、こういう理屈から考えても、複数の神社の参拝とお水取りをして神罰が下るなどの恐れは、まず考えられません。 私自身も、時々どこか参拝する神社で湧水が神水としてある場合は、特別な神社でなくとも、その場でいただくことはありますし、行くのは崇拝神社に限りません。 考え方としては「それぞれの神社の祭神の持つそれぞれの霊力を分けていただく」という意味であれば、複数の神社からお水をいただいて飲んでも害があろうはずなどないわけです。 ただし、神社そのものが良くない場合もあり、一見わからずとも、何となくさびれた感じがするとか、神社内の人の態度が悪い、そのうち足が遠のくとか、どうしても行けない、行った時に不快な思いをしたなどという事があれば、その神社はあまり良い気を保っているとは言い難いので、お水にしても、いただいて病気になる事態はないにせよ(水質調査はするでしょうから)霊験は期待できないでしょう。それに、有名神社だからいいというわけではないし、あなたに合った神社や、神社というより”神様同士の相性”もあるようです。 このような場合は、無理にそこと決めず、絶対にこうするという意思があってもできない時すらあるので、自然に任せた結果が”神からのメッセージ”ととってかまわないでしょう。 特殊な「願掛け」でもしない限りは、自分のお好きなように、居心地のいい神社からその良い気をいただく意味で、お水もいただくとよいと思いますよ。
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- michael-m
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ANo.6です。 >信仰に含まれるお水取りと、自分に合ったエネルギーを体内に入れるお水取りで、それぞれにどのような結果が得られるのかを教えて下さい。 >お砂取りに関しても、作用が強いとのことですが、どのような作用があるのか教えて下さい。 >また、初心者であれば散歩するだけでも~とのことですが、その散歩によってどのようなことが起きるのかも教えて下さい。 よろしくお願い致します。 「吉方を取る」というと「金運」とか「恋愛運」などというように目的を叶えるために行うものと言われていますが、これは正確ではありません。 金運は、それを有効に使うために、より高い目標を見定める事が出来、それを実行する事でより良い人との出会いや信頼を得ることが出来ます。 信頼は、発展を容易にし、発展はより大きな収入を得ることに繋がります。これはどこから始めても構いません。 基本的に開運はこの「正のスパイラル」に乗ることを意味します。 一般に(占い師なども含めて)目的を叶える為の方法としていっていますが、例えば、お金を得てもタンスに入れてしまえばそれまでです。下手をすると物価上昇分、価値が下がります。また、買い物や遊興に使えば減るだけです。 これを金運の停滞、水が停滞させると腐るのと同じように、金運も得るだけでは腐ります。信頼も高貴な人と出会ってもそれだけでは何もなりませんし、それに頼るだけでは迷惑がられます。 金運はより有効なお金の流れ、より大きな額のお金の流れを産むもので、収入が大きくなる代わりに、大きな額を扱うに見合った信用や人格にならなければなりません。ですから、収入を得ても遊びや買い物だけに消費すれば金運はあっという間に下がります。 同じように健康運を得たら働く、奉仕するなど、有意義に暮らす必要があります。遊びも大切ですが、遊んでばかりは逆効果です。 その結果としては会社員であれば責任の大きな部署や地位を得、自営業であれば大きな取引や商売への縁があります。 恋愛運も、単に縁を得るだけではなく、人格的に大きな人や高い地位の人との縁を得ることを意味します。 但し、自分自身も向上心を持って勉強なり努力をしなければならないのはもちろんのことです。 残念ながら結果といっても素人がほとんどですので、例を挙げても真偽の判別は出来ないでしょう。しかし、知人の中に、東京駅や神奈川県内に幾つも出店している知人や、経営に成功した人が複数います。 知人は、それまでもある程度成功はしていましたが、吉方取りを機に加速度的に発展しました。(これ以上はプライバシーに関するのでご容赦下さい。でもひょっとしたら、その中のある店舗で、「中華屋に神棚?」なんて疑問に思った人もいるかもしれません。) 信仰の基本は開運と厄災除けですが、開運は吉方取りと同様です。 厄災除けは排除ではありません。寺社の信仰の基本は「大難を小難に、小難を無難に」です。つまり、自分に困難を乗り越える体力と知恵、そして恩恵を求める事です。 方位は天然万象の摂理を利用する方法なので、天然万象の祖である神仏に方位は影響されないというのが、基本的考え方です。 神社は「神のおわす場所」であっても神そのものではないので、単に神社に行ったからと言って神の加護を受けるとは言えません。そこには参拝という神との繋がりが必要です。 なので、神社でも単に水取りが目的であれば、方位の影響をそのまま受けます。参拝という神との繋がりを持つ事で、上に書いた信仰の基本が生きてくるのです。「神に方位はない」とはこの事です。 日常的に参拝している神社であれば、既にその方位の気を身体に取り込んでいるので、継続という形になるので、方位の影響は考えなくて良いです。 でも、たまにしか行かない神社や、一升瓶に水を取って継続的に飲用するのでは、方位の影響も出易くなるので、少なくとも五黄や暗剣殺の方位は避けるべきです。 お砂取りの正しい方法は「口外無用の教えなので」不特定多数が閲覧できるココでは避けます。 水取りが作用を受けた水を一時的に体内に取り込むのに対し、砂取りはエネルギーの塊を長時間、身近かに置くのですから、その作用も劇的で、扱いを間違えると命にも関わります。 実際に、勉強していきなり砂取りに手を出して入院騒ぎになった人もいますし、別の教室では病気平癒の為にして、三日で他界されてしまった人もいます。 便宜法で部屋の中に鉢を置き、その中に入れる方法やベランダや庭に撒く方法もありますが。これでもかなり作用が強いです。 せめて10年は水取りなどの吉方取りを行なった上(上昇スパイラルに十分に乗った上)で実施を考えるべきでしょう。 実施した人の中には、街の建設業だった人が、いきなり海外の建設の仕事が舞い込んだという人もいます。 毎日の散歩は最も手ごろで、継続し易い吉方取りです。 方位の作用も緩慢なので、市販の暦で自分の相生の方位が月日で重なっている方向に行くだけです。(年の五黄・暗剣も必ずしも気にしないでいいです。週1~2回を続けるので、影響を最小限に抑えることが出来るからです。) 効果もゆっくりと、時間もかかるために、なんとなく順調という感じは自覚し難いでしょうが、気がついたら何年も風邪をひいていないとか、元気に動けている、困難を意外に容易に乗り越えられたといった事に気がつくでしょう。 長く続ければ、商売している人では収入が安定しているとか少しずつ上向きだとか、不景気なのに影響を受けにくくなっているなどの傾向があるはずです。 私も近所の神社を目的地にして、休みのたびに散歩しています。 私の場合、最近では、旅行などは仕事の関係でほとんどできませんが、散歩の結果として、(自分から望んだわけではなく)仕事以外でも公の人との交流が生まれ、その回数や意見を求められる事も仕事(本業ではない)も次第に増えています。 しかし、その作用は人によって違うでしょう。日頃から目的があれば、それに向って世界が広がっていくと思います。 ちなみに、寺社に参拝した時の挨拶は「毎日の平安を感謝します。願わくば、再び参る事が出来ますように、大難を小難に小難を無難に過ごせるようお願い申し上げます」です。 どんなに困難が立ちふさがっても、感謝すること。ある人は「感謝の先払い」とも言いますが、感謝が第一です。 願い事は日頃から常に望んで、一生懸命に努力していれば良いです。神殿の前で述べる必要はありません。日頃から望んでいれば、実現へのチャンスが見つかります。 「チャンスは掴むもの」とはこの事を言います。
お礼
ありがとうございます。 詳しくお答えいただいたので、何となく理解出来ました。 今後の参考に致します。
- lahra
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>「下げさせて頂きます」と伝えながら持ち帰れば良い→そういうことですね。こちらの氏神で、清浄な気を保っているところは無人でして、私はまれに「持って帰って食べなさい」と言われることがあります。それなりの理由はあるんですが(たとえば病平癒祈願したらそう言われたとか)。 >そのようなことは通常行われる...?→いえ、通常ではないでしょう。これは私個人がやっているのですが、呪術に近いのかもしれません。しかし、神社に参拝が困難な場合に備え、最初からそのつもりで供物を返してもらうというより、神社の気をいただきたい品を決めて持って行きますが食べ物や飲み物に限りません。神砂では保管が難しいとか神社にない場合は粗塩を袋ごと持参し、境内の供物入れではなく、本殿のちょっとした台があるので、そこに置いて、お参りする時にお願いして、お賽銭を多めにするか別の供物を捧げ、お祈りが終わった後で自分の分だけを持ち帰ります。 これは自己流ですが、まれに、お酒をお供えすると、祈願の内容によって持ち帰るよう言われる時もあります。でも、ほとんど私自身が初めからそのつもりで持っていき、同時にお礼もその時にしておく形です。私の崇拝神社は立派なつくりで、人も結構いますが、大変強い浄化の力があり、私の仕事にもお手伝いいただいているため、必然でこのようなことをするようになったんですね。ただ、勝手にやっているわけでなく、最初に自分が「そのつもりで来た」と、きちんとお伺いをたてています(とても厳しい神様なので)。 たしかに、境内に人が多いと、まずできないでしょうから(他の参拝者の念なども入りかねないので)同じ祭神で静かな神社に、できれば午前中足を運ぶのが理想的に思います。普通、神社に出向くのは、やはり直接神様に会うのが目的ですから、供物を持って帰れと言われるケースはほとんどないし、多数の人の前でそのような行為をすれば、それこそ”罰あたり”とでも思われかねませんし(^^; それから、持ち帰るのは、そもそもご質問のはじめに戻りますが「お水取り」が目的ですから、お酒ではなく「お水を持ち帰りなさい」とのお告げの可能性もあります(そこになくても「目的はそうだろう」と気づかせてくれるつもりとか)。もしかして、そのため引留めにあったのか?とも考えました。「寝酒」については、現実的に健康の面でいえば、けしていいとはいえませんし、せっかく神水をいただくのですから、体を気遣うならお水をいただきなさいという意味かもしれないですね。 お酒は、私は神棚にお供えした気の抜けたものを料理酒にしたり、たまに飲むよう言われますが、神社から持ち帰るように言われたのは一度だけです。不思議とそれが今でも役立ちますし、とてもおいしく感じるのですが。それに、神棚にお供えしたお水(日本のミネラルウォーター)が、何となくお酒に似た甘みが出るので不思議です。もし神棚をつけるようならば、ぜひお試しになってください。でも、必要ないなら無理しなくていいし、神社にはやはりどうしても行く時期はありますので(実は意地でも行かなければならない状況で、お札を交換するために呼ばれてるようでして-汗)ご自分のできる範囲で神様との交流をされるのが一番だと思います。
お礼
ありがとうございます。 お供えしたものを持ち帰ることは一般的にはしないことなのですね。 今後色々と参考にしたいと思います。 本当にありがとうございました。
- lahra
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>もしかしたら喜んでいただけなかったのかも→いえ、そんなことはありませんよ(^^)あなたのご判断は正しく、きちんとメッセージを感じとっていらっしゃいます。 ただ、”足止め”の気がしたのは、おそらくなのですが「何かもっと言いたいことがありそうだが、遠慮しているのではないか?」という感じにとれ、私には、あなたの大事なご家族からの贈り物をささげた心に反応し、さらに、本来神棚があれば下げていいものなのだから「遠慮せずに品を持ち帰り、神の気を取り入れなさい」という意味で”呼び止められていたのではないか”ととりましたが。まず「気に入らない」と足止めなどしないでしょう。 私以上に、あなたは十分なお気遣いをなさっていると思います。それに、神社からは大変心地よい気を持って帰られたようです(^^)b涼しげな、木漏れ日の入る森林の中にいる感じの気で、とてもさわやかな...。 それから、神棚と神社に、そう違いはありません。神棚は、神社に参拝できない場合や家に同じ神社の神を呼び込むための”窓口”のようなものですから、ほぼ同様に考えられていいのですよ。 そうそう、あれから私も「お酒をどうしよう」と思っていたところ、また本当に意外なのですが、行く場所など殆どなくて寝てばかりなのに、なぜか大事な公的書類をなくしてしまい、先週末、交番に届出をしにいったその帰り、コンビニが隣にあるのは知っていたけれど、お供えのお酒はうちの近くのスーパーで小瓶を買うつもりでいたのに、ふと行ってみると目当てのお酒で大瓶が販売されていたんです。値札がなくてレジでスキャンしてもらうと、思った以上に安いので即決。キャンペーン中のため、これまた懸賞応募の紙がビンについていたので、お金ではないですが個人的にほしい物で、またネット応募。何だか、かえって得した気分? いやはや本当にありがたく、神棚に商品券はお賽銭代わりにおいて手を合わせましたが、さらにたった3日の間で急に仕事が入り、どうしてもと依頼され断れなかったのですが、結果、計28000円もの収入になり「気づいたら驚いた」という感じで(汗。 少し心の不安は消え、本当に神のお言葉や恵みにはありがたく思うばかりですが、私は、自分に届いた「人は捨てても、神はけしてお前を見捨てない」という力強い一言が胸に響き、深い感謝の念をいだいています。何より本当は、物より「心」に対し、ありがたく思うのが人というものですから。神様は、人が何を望んでいるのか、よくおわかりなのですね。また、感謝の念は「義務」ではなく、本当に身にしみる思いから自然にわくものです。そして「神は人の心に見合った恩恵を与えてくださるものと」深く信じられるようになります。 toatoutoさんの御心も、きっと、届いていると思いますよ。
お礼
ありがとうございます。 実は、同じ日に三社にお参りに行ったのです。 ですので、「違う神様のところへ行かずに、もっとここに居てくれ」と言った類の移動の妨げかと思ったのですが…。これはきっと違ったのでしょうね。 順番は、主祭神だけ書きますが、たかおかみ→大黒さま→大山咋神です。 これだけでもしかしたらどこへお参りしたのか分かってしまうかもしれませんが、(笑)いつもお参りしているのは大山咋神のおわす神社です。 たかおかみの神社は小さなところで、境内にお稲荷様があり、欲しがっている、と感じたのはお稲荷様の方でしたので、たかおかみには件の酒屋でこれと感じたお酒を買って行きました。 いつもお参りしている神社へは、いつも同じお願いをしているのですが、たかおかみの神社へは特別にお願い事がある時にお参りしました。 ですので、お酒をお礼の気持ちで納めると同時に、これ以上のお願いはしないようにと考えたので、神様がそれを酌み取って下さったのかもしれません。 ちなみに、供えたお酒を持って帰っても良いと言うことは、お供えし、お祈りをし、立ち去る時に「下げさせて頂きます」と伝えながら持ち帰れば良いということでしょうか? そのようなことは通常行われることなのですか?? 私は差し上げたものは返して頂ける訳はないと思い込んでいましたし、あとはぶっちゃけた話ですが、神主さんが境内におられましたので、持って帰るなどということは考えも及びませんでしたが…。; 大黒さまの神社は、初めてお参りしたところでした。有名なようですし、参拝者も沢山おられましたが、神様がおわすかどうかは…?という感じを受けました。;清い場所ではあったのですが。 大山咋神は、本当に行く度に穢れを浄化して下さって、私はいつも境内に居るだけで安心した気持ちになります。 ですが、今までに一度も供物を要求されたことは無いような気がします。 ただ、いつも本当に支えて下さるので、今度何かお礼を持って行こうかとは思いました。 今日はもう寝るので、寝酒をと思ったのですが、生まれて初めて、神様に捧げる気持ちを持って祈り、それから頂きました。 今まで信じていなかった訳ではないのですが、単に神様のことをよく知らなかったのですね。 神棚を用意しようかなぁと少し考えているところです。 重ね重ね、参考になるお答えを頂き、本当にありがとうございます。
- michael-m
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ご質問には二つの事が含まれています。 一つは信仰という観点、もう一つは吉方取りという観点です。 いつもお参りしている神社でのお水取りは信仰に含まれます。 「神様事に方位は無い」と言い、この場合基本的に方位にこだわる必要はありません。 吉方位のお水取りは、その方位の自分に合ったエネルギーを体内に入れることを目的としています。ですから、この場合には年月日で方位を観なければなりません。 お水取りには様々な方法があります。これは方位を学ぶ教室によって違います。私の習った所では、吉方位の時間に一升瓶に水を取り、九日間をかけて飲みます。 中には何リットルも持っていく人達も居ますが、私達はしません。あまり多くを取ると、自分の居場所が定着しないのと、取り過ぎはかえって逆方位の現象を引き起こすからです。 お砂取りも積極的に行なっているグループがありますが、私達は初心者には絶対に勧めません。お砂取りはお水取りよりも強い気を取るので、作用も強いからです。体力が弱っている人に不用意に強い薬を使うとショックで命すら危うくなるのと同じで、お砂取りも正式な方法で行なうと危険だからです。(私が度々目撃するお砂取りは、方法が違うのでこれほどの作用は無いと思われますが、それでも用心した方が良いと思います) 吉方のお水取りやお砂取りはある程度勉強してからが良いでしょう。そこまでしなくても、暦で月と日の吉方位を見つけて、その方位に散歩するだけでも初心者なら十分です。
お礼
ありがとうございます。 もしよろしければ、信仰に含まれるお水取りと、自分に合ったエネルギーを体内に入れるお水取りで、それぞれにどのような結果が得られるのかを教えて下さい。 お砂取りに関しても、作用が強いとのことですが、どのような作用があるのか教えて下さい。 また、初心者であれば散歩するだけでも~とのことですが、その散歩によってどのようなことが起きるのかも教えて下さい。 よろしくお願い致します。
- lahra
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>頂き物は...無理にお供えする必要は無い→そのようにあなたご自身が義理・人情をいただいた物に対して優先するならば、同等の物をあなたが買うなどして神様に捧げればいいわけで。嫌々ながらとか、どうなのかと迷ってもらっても、人だって、相手の心理が気になって心から喜べないでしょう? >いらないと言われれば...怒られはしない→神の意志を感じたり、言葉を聞けるなら、そういう話になりますね(^^) 神は、言葉を聞く人には口数少なくお話になりますし、必要なことは何度でも本人が実行するまで”暗示”を出します。それに気づかなくても罰があたるわけではありません。何しろ現代ではそれが普通なのですから、ご理解はいただけるでしょう。悪気がなくて気付かない人にいきなり天罰くだすなんてのはありえませんよ。 >人からもらったものを差し上げることが無礼→そう思って迷うのであれば、同様の物を神が要求・希望(それがほしいんだが・・・っていうか-笑)していると考えて、新たにご用意されればすむことでしょう。 しかしながら、差し上げるにしても、何も限界を超える行為は必要ないと先述していますが、「自分がいただいた物を神様にお分けする」という感じで、人間同士でもよくありますが「頂き物で恐縮ですが」と、お客様のくださったお菓子をお茶菓子として出すケースなどよくありますよね。それと同じで、たとえばお酒であれば、通常はお神酒を常備したり、そのつど買いにでかけたりするけれども、誰かが珍しい地酒や初物を持ってきてくれた時などは、自分だけでなく「日頃手に入らないから、他の人にも味わってもらいたい」と思いませんか?それと同じで、まさに、神様も「それ、私も食べてみたいなあ」(現代語でわかりやすくしておきますが)と意志表示をなさる時がありますし(何となく神棚が気になるとか)、やはり日頃から神様に関わりがあると、それが当り前になって、神棚に「どうぞ、お裾分けいたします」と言って”一緒にいただく”とか、先に神様に差し上げ、あとで下げて(鉄撰-てっせん-といいます)から自分がいただくのも普通で日常的です。 神を「特別な存在だから、やることもすべて特別にしなくてはならない」という話ではなく、日常生活の上でできる範囲のことをするというのは、人間に当てはめても普通の行為は行なってかまいませんし、それを神が望む場合もあるのですから、大丈夫ですよ。要は気持ち。「もらいもんだけどあげちゃえー、いいや、楽だし」と思われてもらうのと「せっかく良い物をもらったし、神様にもさしあげたいな」では、それこそ全然心がけが違いますよね。 それに、「もらい物をお供えは失礼だ」となると、本当に特別視しすぎていることになり、かえって互いに”遠い存在”に感じるでしょう。 私は、神様に祈願するにしても、小瓶のお酒すら供物が苦痛な日があります。しかし、つい最近の話ですが、「せめてぎりぎりでもいいから安心して暮らせるようになりたい」と思っていたら、個人経営の馴染みの店にあるお菓子をどうしても食べたくなり、そこで思考が止まって、さっさと行くと「お試しで食べてみません?」といわれ、通常より価格の高い店ですが「閉店前だから気にしないで」と、1つぽんと新商品を私の注文した物以外に箱につめて下さったんです。しかも丁度その日は、神棚にむかって「お供えする物が何もなくて申し訳ない」と言ったばかりで悲嘆にくれていたんですけれど、ふっと「あ、これを供えろってこと?」突如思い出すように頭に浮かびました。 その時、器は新品のお気に入りで「それがいい」と言われ、お酒も要求されたんですが、日本酒や焼酎は合わないし開栓しているので気が抜けてて失礼だろうと思って別の飲み物の未開封の品で間に合わせ「これしかなくて」とお詫び申し上げると、何と偶然なのか、次の日に宅急便が。何かと思えば、昨年末に懸賞応募していた商品券が当選して送られきたんです。お菓子を買った時点ではジリ貧で、自分の”ご飯”のつもりもあって買ったのですが、結果的にはお酒を差上げても「お釣りがくる」ことになりました...今まで数々の恩恵を賜って、自分が本当につらい時には心の慰めまでしてくださるのに、現実にもこのような信じられないタイミングで事が起こるんです。 懸賞応募が祈願と異なったにせよ、景品が来たタイミングというのに驚きでして、涙が出るような気持ちで「ありがとうございました、本当に」と心から感謝し、お礼を述べました。 ただ、まだ買い物をするにも体がつらく、何とかして近場で入手したいと思ってはいますが、供物は決まっても、どこで買うか悩むところでして、そこはずっと気になっていて詫びる毎日ですが、けして怒られたりしません、以前から私の状態はご理解いただいているし。ただ要求は消えないので、日が来れば必ず行けるし、あるいは自力で行きなさいと、「ちょっとがんばれ」という意味でお待ちになって下さっているとも考えています。いずれにせよ、いただいた恵みには感謝だけでなく報いたいものですから、実行あるのみで「もう少し待ってください」とお願いしています。思考と行動が一致したところで、きっといい物が見つかるとも思っていますよ。 以上、私の体験談ですが、どのように神をとらえるかは、特別に考える必要なく、あくまで「自分のできる範囲で、欲をださずにいればいい。人に喜んでもらえることは神も喜ぶ」という意味でとらえていただければよろしいでしょう。
お礼
ありがとうございます。 お陰さまで、ご挨拶を済ませて来ることが出来ました。 頂き物に関しては、私も特に義理立てする程の関係ではない方からのご挨拶だとか、おすそわけで頂いたような物であれば惜しみなくお分けすることが出来るのですが、今回は家族からわざわざ送ってもらったものだったので、どうしようかと迷いました。 が、開けてみると、何故か小さいものが3つ入っていて、その内の一つが何か違う感じがしたので、同じものが3つあるのだし、「これが欲しいということかな」と思い、小さくはあっても私には大切なものとして、持って出掛けました。 そして、念のため酒屋に寄り、他に用意するものがあるか見繕ったのですが、これと思ったお酒にはホコリが積もっており、買うのはやめました。 もちろん、神棚があれば、頂き物は神様に差し上げてから下げたものを頂くと思うのですが、家には神棚がありませんので、…神社に持って行くと、下げてから頂くということが出来ませんし、そういった意味でも色々考えてしまったのです。 いつもはしないような送り方をして来たというのは、そういう意味かなと少し不思議なような、合点が行くようなどちらとも言えない感じでした。 とりあえず、結果として喜んで頂けたかどうかは分かりませんので、(いらないと言われた感じはしなかったのですが、お参りの後の移動が上手く行かなかったので、もしかしたら喜んでいただけなかったのかもしれません…)今後も何かあればお供え出来るものかどうかを少し考えてみるようにしようと思います。 あとは、お答えを拝見して、「そういえば懸賞てしばらく応募してなかったなぁ」と思い、少し久しぶりに出してみようと思いました。 そういうところでお力を貸して頂けることもあるということですものね。 今のところ良いことは無いというか改善は見られないのですが、気持ちの面では少し変化があるような気がします。 急にどうにかなるようなことでもないと思いますので、いずれ良いことがあると信じて何とか頑張りたいと思います。 色々と参考になりました。 本当にありがとうございました。
- lahra
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>残りのお願いはまだ叶えてもらえませんので →とのことですが、神様というのは「願掛けさえすれば何でも叶えてくれるような存在」ではありません。すべてにおいて、お願いしてお礼するだけで願いが叶うのであれば、人間が堕落してしまいますし、日常的な努力はせずに、なにがあっても「縁起担ぎ」や「神頼み」が真っ先に思いつくような感覚になるでしょう。すでに、これは人としての生き方としては安直です。 通常で「願掛け」というのは、昔からよくあるのは「お百度参り」での安産祈願など、日常に参拝するだけで簡単に神の恩恵が受けられるような形ではかなわないけれど、現実的に絶対大丈夫と確信が困難なので、そこのところどうにかならないだろうかと藁をも掴む気持ちで行なう事を普通は思い浮かべます。いまだに、そのお百度参り用の場も設けている神社はありますし、実際に、必要回数の参拝や供物により、”霊的レベル”での願いまで聞き届けられるという体験は私自身がしておりますので、そのあたりの説明をしています。 それに従ってお話しますと、お水に関しては先述したように「神の霊験」を分けていただくという意味で、願いが叶うものではありませんし、お水とりで願掛けする行為そのものが意味をなしえないというか、「お水そのものが恩恵」なのですから、それに願掛けするのはおかしな話ですよね。運気があがるという次元ではなく、神水の力をいただくのですから、その霊験がいかに現れるのかという問題です。目的があるなら、その霊験のいわれがある神社に行かれればよろしいことです(大差ないとは思いますが、信用しなければ験もなかろうと思いますし)。 また、九星気学か何かのデータで方位をお決めになったようですが、神道の概念に占いは無関係といってよいかと。「この神社はどうでしょうか?」というなら調べられればお答えできるかもしれませんが、吉方の神社でないと願掛けできないなどというのは全く根拠ありません。そういうことが風習としてあるなら、氏神や特定の神社信仰以外のものはなくなるでしょう。一般的に、みなさん、お水とり行事などがある神社に、行ける時に行くという形になさるのが普通で、自分の願いをかなえてもらうためだけに参拝し続けるというのを日常的に行なっているにしても、方位ではなく神社の由来や祭神をめどに行かれていると思いますし、私の場合は、必要な時に、そこの神社や神に会い、願掛けでは供物の要求があれば従える範囲で行なうことを宣言し、その代わり、きちんと守ります。つまり「できない約束は絶対にしない」というわけです。「七日七晩飯を炊け」との言葉には、私にとっては苦痛(実は病気で料理はつらいのですが)ではあるものの、物もなく、自分にできる限りの事をしました。結果、1日早く早朝に夢を見、驚いて慌てて確認に行ったところ、本当に願いが叶ったのです。しかも自分の寿命も分けるという「命がけ」の願いでした。しかしこれは一種の呪術で、通常ここまでする必要はなく、あくまで普通の参拝とは違うとだけ思っていただければ結構ですよ。 質問者様の場合は、「神様がやってくれたらお礼するよ」(お酒程度ならよしとして)という逆の態度ですので、これはお願いの仕方にも問題があると思います。「お礼参り」は当然で、きちんとなさっているようですから、神も聞き届けてくださるのでしょうが、そもそもの「神様と人との関係の在り方」を考え直す必要があるように思います。しかも、稲荷神の場合、お礼は通常「後出し要求される」そうで(私は先述のようでしたが)願掛け自体に注意が必要です。無理難題を言われはしないでしょうが、かなりぎりぎりの場合もあり、願いによって何を要求されるかが不明なのです。ですから、祈るだけならともかく、自分の願いを特別に要求するとして、厳密には”神の性格”によっても違います。 でも普通はわからないので人が思う通りのお礼をしていますが、それでも文句を言われるなどありません。しかし「この人の出す物に対し、この願いは代価が少ない」と思えば叶わないとなるかも? ケチではなく、こういう話は人と同じで、当然の結果でしょうけれど。こういう時、願掛けの最中、ぽんと意外な物が手に入ったら、それが要求である事もありうるので、大抵が供物やお金になるもので、直観的に「これをお供えしようかな」と思えば、それでいいのですよ。 方位に意味がないと聞いて気が失せる程度ならば、その行為や考えは、まさしく「必要がない」という事ですよ。占いで神社を選ぶ方法などはありません。神社で占いがあっても、占いで神社を決めるのは無意味ですしね。これもまた別物と考えられたら混乱はないのではないでしょうか。
お礼
今回も文字数オーバーのようですので、続きです。 お水に関しては、もはや霊感商法としか思えなくなって来ましたが、九星で吉方位が違うのですが、どうやら決まった日によって変わるようなのです。おまけに、水が湧いていれば神社でなくとも構わないそうですし…。 ちなみに、決まった日と方位は鑑定士が公開しています。自分で割り出そうとする人も居るようですが。 それから、決まった方位でなければ良くないだけでなく、時間や日を間違っても悪影響があるそうです。「お水取りをしても、別に良いことが無いなぁと言う人は、方位や日時を間違えている」とのこと。 何となく信じられない気持ちだったのですが、信じないことにしようと思います。 最後に、手に入ったものは要求の可能性が有るとのことですが、頂き物であっても差し上げた方が良いのでしょうか? 頂き物は、送り主の気持ちなので、自分で頂かないと悪いような気がするのですが、お酒であればお供えした方が良いような気もします。 迷う場合は持って行った方が良いのか、持って行かない方が良いのか。いらないよと言われたら持って帰るつもりで持って行っても良いのでしょうか。 今までのお答えから判断するならば、「頂き物は送り主の心、と考えるのであれば無理にお供えする必要は無い」、「いらないと言われれば持って帰るつもりで様子を見ても怒られはしない」といった感じのご回答を予測しますが。 あとは、人からもらったものを差し上げることが無礼に当たるかどうか(これは人間同士で良く言いますよね、人に物をあげるなら、自分で用意しなくてはダメだと)です。 これはさっぱり分かりません…。神様の価値観ってどうなのでしょう…。 ここまで丁寧にご回答を頂き、本当に助かりました。 ありがとうございました。
補足
ありがとうございます。 大分気持ちがすっきりしました。 やっぱり迷っていた方の神社へは行かないことにします。(行ってみたい気持ちはあるのですが、距離があるので、それを苦にせず行けるかと言うと、無理です…。) その代わり、という訳ではありませんが、いつもお参りしている神社とは別に、今日行ってみたい神社を見つけましたので、そこへ行ってみようと思います。 確かに、お願いしてお礼をしただけで何でも叶えて頂ける筈は無いですね。 ただ、叶えて頂いてもいないのに、お礼に行くのはどうなのかと思い、今まで叶った願いのお礼だけをしに行き、残りのお願いも再度お祈りしていたのですが… 考えてみれば、酒屋でお酒を見繕っている時など、ふと「これを持ってお参りに行こうかな」と思ったことがあったのですが、その時に恐らくそうすべきだったのですね。 きちんとその旨お詫びして、お供えに行こうと思います。 ちなみに、「○○するから叶えて下さい」とお願いすると良い、という記述を見た時には、確か「毎日お参りします、だとか、お賽銭をはずみます、と言ったような、自分に出来る範囲の事で良い」と書かれていたと思います。「その代わり叶ったらきちんと約束を守り、お礼に行くこと」と。 私はそれまで普通に(多くの人がするように)お参りしていたので、そうだったのか!と納得して、実践してしまいました。 あまり良いことではなかったのですね。 ただ、気持ちとしては命を少し削っても良いと思えるくらい、にっちもさっちも行かない辛い状態ですので、そういった意味では、神様にお約束したことを違えるつもりも毛頭ありませんし、軽はずみな気持ちでしたことではないです。
- lahra
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>お礼の気持ちを忘れなければ、罰が当たるようなことは無い →というより、実際に、神様がお水取りやお砂取り等の行事について罰を当てることはありませんので、そこは安心なさってよろしいかと思いますよ。 神の怒りを買うとなれば、相当の悪事で、たとえば悪意で神社を荒らしたり(ゴミを捨てるとか)、人間と同じで、お札等のいただきものを粗末に扱ったりなどで気分を害するかもしれませんが・・・基本的に、そういう神社からは神は遠ざかって、そこに「存在がなくなってしまう」のみで、居心地がよい場所へ移動してしまい、人に危害を加えはしません。見守ってくださるはずの神が不在になる事が罰と思えばいいかもしれませんね。 民間になじんでいながら仇なす神を私は存じませんし、皆様、時に厳しい事を言われるにせよ、寛容に見守ってくださいます。 神が人間に仇をなすという場合は、邪神や、神社に何かそういった存在がいるならば、それが動くという感じでしょうか。 少なくとも、参拝しないとか、礼儀がなってないとかいう通常の理由では、多少なり、厳格な神ですと「怒られる」ケースはあっても、それでも罰を当てることはないですね。それに元々、日本の神々はほとんどが人ですので、私たちと同じと考えればよく、それに伴ってのマナーが必要になってくるというわけで、普通に良識ある態度をとれば問題なしです。 ちなみに「お水・お砂とり」と「願掛け」は全く別物です。 しかし、いずれにせよ、神の恩恵をいただくのであれば、感謝の念はもちろんのことですが、できれば最低限「賽銭」または「供物」でお礼をすることも大事ですよ。気持ちの面ですが、ささやかでも、こちらの気づかいがあれば、神様は非常に喜ばれます。贅沢や見返りを好むわけでなく、その人の行為によって「志」を見て、それに見あった恩恵をくださるのです。 あ、ひとつだけ「してはいけないこと」がありますので注意いただきたいのですが、「約束」だけは絶対にしないようにしてください。 たとえば、条件をつけて「○○をしますから、”その代わりに”願いをかなえてください」という願掛けの仕方は、約束が”絶対”で義務として守らなくてはならず、一種の契約でもあるので、守れない時や最悪忘れてしまった場合はもちろん願掛けは無効になりますし、それ以外となると何が起きるかは私にもわかりません。不幸におとしめはしませんが、与えられた恩恵を没収というのはあり得ますね(あくまで可能性ですが)。 さしあげるのは、いつもと違い「特別(少し多め)」と思え、自分ができる範囲の供物で十分で、それ以上のものや自力でできないかもしれない事を、条件として先に断言するのは避けるのが賢明です。 そして、お水取りや参拝する神社に方位は無関係ですよ。神社におわす神の霊験のちがいはあっても、方角で選んでは場所が限られてしまいますし、どうしてそのような関係があるのか、少なくとも私は聞きません。 地方の風習なのかは不明ですが、まあ、吉方であるのが確実ならば、それは問題に改めて出す必要はないでしょうから、参考までに。
お礼
文字数オーバーだったようで、続きです。 補足の方の訂正ですが、決まった日と方位を公開しています。 なので、「じゃぁ時間は?」と知りたくなるのが人間の心理で、それを利用しているのかなと思います。 お答えによれば「お水・お砂とり」と「願掛け」は全く別物、とのことですし。 地方の風習だとかそういう記述もありませんでしたし…。 いつもお参りに行く神社でお水を頂いて、いつも通りお参りをして来た方が良いのかもしれませんね。 ちなみに、お参りに関しては参考に致しますが、以前に「叶えてくれたら○○します」とお願いすると良いとどこかで読んで、実行してしまいました。(出来る範囲のことを、という但し書きがあったかと思います。) いくつかお願いした内の一つが叶った時には、お酒を持ってお礼に伺いました。 その後、残りのお願いはまだ叶えてもらえませんので、お約束は守っていませんが… お約束の内容が、結構漠然としたもので、「お望みのものがあればそれを、お望みが無ければお酒など、必ずお礼に持って参ります」と願ったのですが、これはまずかったのでしょうか? 何度もすみませんが、もしよろしければもう一度ご回答頂けるととてもありがたいです。 よろしくお願い致します。
補足
再度ありがとうございます。 うーん…。 困ってしまいました。; というのも、私は本当にごく最近までお水取りということを知らなかったのですが、多分こちらのサイトで五行について調べている時に、 「神社のお水を頂いて飲むと良い」 という投稿があって、それからお水取りについて検索してみたのですが。 グーグルで検索すると何件か出て来ると思うのですが、「お水取りで開運」というようなページがあったのです。 それで、今度はお水取りについて調べてみたら、これも多分このサイトで、 「お水取りで運気が上がるということはない」 という投稿があって、今度のお水取りに吉方位の神社に行くことは迷っていたのです。 私が見たのは、 「決まった日の決まった時間に吉方位にある湧き水(水が自然に湧いていれば、神社でなくても良い)を願いを念じながら汲んで、9日間少しずつ願いを念じながら飲む(方位は九星で異なる)」 というものでした。 ただ、決まった方位は公開しているのですが、時間については有料で鑑定、というものらしく、私はそこまでしなくとも適当な時間に行けば良いかと思っていたのですが、 「距離は遠い方が良い。100kmほど離れると良い」 というのを真に受けて、かなり遠くの名水が湧く神社へ行こうと思っていました。(神社へお参りすること自体は悪いことではないのですが。) 確かに、どこの神社のHPを見ても、お水取りに関する記述などは見られず、それにより運気が上がるというよりは、「お水取りは病気に良い」という説の方がしっくり来る感じがします。 やはり霊感商法の類でしょうか? 信じれば通じるものもあるのかもしれませんが、もともと迷っていましたので、方位は関係ないとのお答えに、行く気がすっかり失せそうです。;
お礼
ありがとうございます。 お水取りに行く方の神社は吉方ですので、願掛けをして来ようと思います。お砂も頂いて来ようと思っています。 いつもお参りする方では、いつもほとんど同じお願いをしておりますので、そのお願いをし、お水を頂く際には 「問題が解決しますように」 「様々なことが上手く行きますように」 などといった、「漠然と幸せになれますように」という気持ちで頂いて来るかと思います。 お水取りは吉方位でないと悪影響がある、などの情報があるようですので、その点が心配でした。 神様に対してはお礼の気持ちを忘れなければ、罰が当たるようなことは無いと安心しても良いのですね。 お水取りに関しては少し調べただけではよく分かりませんでした。 悪影響が無ければ良いのですが…。