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(歌舞伎)「寺小屋」の「千代」について
用例 宇野信夫著「零落 市川八百三郎」 その後、六代目に会ったとき、この老人の話をすると、市川八百三郎―覚えている、覚えている、といった。 「田舎へ行きやァ、寺小屋の千代くらいはやった人だ。何も便所の掃除屋にならなくてもー」 そういって、目を丸くしていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E4%BC%9D%E6%8E%88%E6%89%8B%E7%BF%92%E9%91%91 は読んでおきました。 1 田舎とは、どんな劇場なり興行なりを指しますか。 2 「田舎で寺小屋の千代」が務まる役者というと、どんな評価になりますか。昔の兵隊の位なり大相撲の番付なり会社の職制でいうと、どの辺りに匹敵しますか。 よろしくお願いします。
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「やったひと」と六代目が過去形で言っていますから、百三郎さんは実際に千代をやったのでしょう。 当時も、東京(京阪)の大劇場の俳優たちは地方巡業はしました。テレビがないですからむしろ需要は大きいです。 昔の地方巡業は、帯同する人数が今以上に限られますから、ギャラの問題もありますし、幹部俳優以外はそのお付きのお弟子さん中心に連れていき、ふだんはもっと下の役をやっているそのお弟子さんたちに重要な役を振ることになります。 本当に、セリフもわからない大役を前日に振られて青くなったお弟子さんとかもいたのです。 この百三郎さんもそういう状況で、千代を振られて演じたのでしょう。 とはいえそこそこ形になる程度にはできたのでしょうから、下回りの役者さんたちの中では筋のいいかただったのだと思います。 というような事を、六代目は言っているのだと思います。 大きく出世するほどの実力はないが、そこそこ器用で勉強もしていた。仕事を選ばなければ役者で食っていくことはできたろうに、というかんじでしょうか。 会社の序列でイメージすると、ふだんは平社員だけど気が利くので出張には連れていく、取引先には「係長補佐」とか言っておくが、商談や接待の場でそれっぽい応対くらいはできる男だ。でも本当に出世させるほど仕事はできない。 みたいなかんじでしょうか。 一応、「田舎芝居」について書くと 当時はテレビがないので、各地方に固定の劇場があり、もちろんそこに中央の役者さんも今と同じようなかんじで年に一度とか回ってくるのですが、各劇場所属の地方劇団があり、いわゆる「地元のスター俳優」というのが普通にいました。テレビが普及して一気に全部つぶれました。 地方の有名な役者さんなら、中央の演劇人も名前くらいは知っていたと思います。 とはいえもちろんレベルの差は歴然としており、彼らが中央の役者さんと一緒にお芝居をしたり、プライベートな付き合いで同格の扱いを受けるということは絶対にありませんでした。 だいたい、全国で博多とか群馬とか宮城とか新潟とか名古屋とか、そういう大きめの都市にこれらの役者さんたちはいました。 感覚的には 有名タレント vs 地方局の看板アナ みたいな。 さらにランクの落ちる「田舎でドサ周り」や、下回りの役者さんが田舎芝居に出てお小遣い稼ぎ、なんかですと本当に、かなりの差があります。 有名タレント vs 地方のライブハウス、ひどくなるとカラオケバー みたいな。 もちろん都市部にも小劇場や零細劇場はありました。 テレビのない時代、下を見たらキリがないというくらいたくさんの劇場が様々な規模とレベルで存在したようです。 六代目は、こういう場所でも、仕事を選ばなければ百三郎さんならそこそこの役者人生は送れたろうに、と言ったのだと思います。
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- KoHal
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その小説を読んだことがないので答えにくいのですが、まぁ、一般的な話として聞いてください。 >質問1.について 「中央に於ける興行」 大都市の常設小屋における専属劇団による公演。 「田舎に於ける興行」と区別するため”大歌舞伎”と呼びます。 「田舎に於ける興行」 地方の仮設小屋における訪問劇団による公演。 祭りのときに神社の境内でやるような芝居です。 大きいめの地方都市なら常設小屋もあったようです。 劇団は、旅回り専門の劇団があったり、そこに上記の大歌舞伎のオフシーズンに その大部屋俳優が参加してたり、あるいは大部屋俳優だけで臨時に組織されたり いろいろ。 >質問2.について ここで理解しておかなければならないポイントが二つ。 一つは、大歌舞伎では役者は世襲制なので、実力だけではスターになれません。 名門の家に生まれるか養子に入らない限り、どんなに実力があっても大歌舞伎で「寺子屋の千代」なんて大役はまわってきません。 二つ目は、大歌舞伎の役者はその勤める役柄が厳密に決まってました。 現在の歌舞伎ではどんな役でもやる器用な役者が増えてますが、もともと江戸時代には幕府の統制で役者は自分の勤める役柄を登録・遵守しなければならなかったのです。 六代目の時代ならまだまだ、「その役者の勤める役柄」は遵守されていたはずです。 で、「寺子屋の千代」といったら老女形(ふけおやま)の大役です。 大歌舞伎で寺子屋がかかるとしたら(寺子屋自体がかなり重い演目なので)、たいていはその劇団で一番えらい(実力があり年もいってる、そして何より名門の)女形が勤めるはずです。 >「田舎へ行きやァ、寺子屋の千代くらいはやった人だ。」 このセリフから読み取れることは、 市川八百三郎は大歌舞伎の大部屋俳優でおやまがた。それなりの年季と実力があって大歌舞伎では手堅く脇をつとめ名門役者の信頼も厚かった。 田舎周りの劇団に参加したときはその実力を発揮して「寺子屋の千代」のようなおやまの大役もこなしていた。 だと思います。 「寺小屋の千代くらいはやった」は仮定の話でなく実際に「やった」のだと。 その小説を読んでないので読み違ってるかもしれませんが、芝居好きがそのセリフを普通に読んだらたいていこう解釈しると思いますが。
お礼
これは、六代目尾上菊五郎と出入りの清掃人(嘗ての市川八百三郎)の両者と懇意だった宇野信夫の随筆仕立ての作品です。 >>市川八百三郎は大歌舞伎の大部屋俳優でおやまがた。それなりの年季と実力があって大歌舞伎では手堅く脇をつとめ名門役者の信頼も厚かった。 >> 田舎周りの劇団に参加したときはその実力を発揮して「寺子屋の千代」のようなおやまの大役もこなしていた。 市川八百三郎の実像が浮かんできました。六代目にとっては意外な消息だったかもしれません。 質問文を忠実に追って下さって、有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。 これまでのご回答で十分ですが、原稿の準備をされている方があってはいけないので正午までは締め切らないでおきます。
- todoroki
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「零落 市川八百三郎」という小説(ですか?)の一部分だと思われますが この前後がわからないと正確にはお答えできないたぐいのもので 演劇の知識でお答えするものではないんじゃないでしょうか。 引用部分だけを読んだ限りでは 東京ならもう通用しないかもしれないが、田舎に行きやぁ十分通用するはずだぜ 寺子屋の千代くらいはやった人が便所の掃除屋にならなくても。 言葉を足せばこういう感じになると思います。 つまり、田舎で千代が務まるのではなく、田舎へ行けば一流の役者で通るぜという意味でしょう。 それから「千代」というのは格の高い役です。 寺子屋の段の主役は武部源蔵と妻の戸浪ですが、 それよりキャリアのある役者さんが演じるのが通例です。 決して大部屋の役者さんが演じることはありません。 わかりやすく言うと、主役をするほどの人気役者ではありませんが ポスターに名前が載るくらいの役者さんということでしょうか。 一座の中で10本の指に入るくらいの人気、実力のある役者さんってことですね。
お礼
これは、六代目尾上菊五郎と出入りの清掃人(嘗ての市川八百三郎)の両者と懇意だった宇野信夫の随筆仕立ての作品です。 手掛かりが少なくて済みませんでした。またの機会にもよろしくお願いします。
補足
お答、有り難うございます。 この手の質問は何処のカテで頼んでも厄介もので、応える側は大変なのでしょう。 「宇野信夫」と「六代目」がキーワードで歌舞伎に造詣の深い方はピンとくるものがあると思って、こちらでお世話になりました。 順序として質問の1のお答が欲しいです。「田舎に於ける興行」と「中央に於ける興行」の相違を、はっきりさせておかないと六代目の言葉の真意が掴めないのではないでしょうか。場合によっては >>東京ならもう通用しないかもしれないが、田舎に行きやぁ十分通用するはずだぜ こうもとれるし、場合によっては 修行を続けた暁には「田舎に於ける興行」で「寺小屋の千代」が務まるくらいの素質が市川八百三郎にはあった、と解釈すべきかもしれません。私はこちらの説です。 ともかく、先ずは「田舎に於ける興行」の具体的な実像を知りたいです。よろしくお願いします。
お礼
丁寧に書き込んで下さって有り難うございます。 「テレビがなくて、むしろ需要は大きかった」ことと「昔の地方巡業は今より大変だった」ことに、やっと思いが到りました。お蔭様で「田舎芝居」のイメージも掴み易くなりました。 文法を、わざと外すことによって効果を出すことがあるので(例、「志ん朝は志ん生を継いだ男だよ、惜しいことをした。」)、「田舎へ行きやァ、寺小屋の千代くらいはやった人だ。」の解釈に迷いました。地方巡業の実態が判りましたので、市川八百三郎は実際に千代を演じたものと思えるようになりました。 成るほど「田舎で寺小屋の千代が務まる役者」というのは辛抱して役者人生を送るか、辛抱しきれず諦めるのか難しい位置付けではありそうです。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。