「やったひと」と六代目が過去形で言っていますから、百三郎さんは実際に千代をやったのでしょう。
当時も、東京(京阪)の大劇場の俳優たちは地方巡業はしました。テレビがないですからむしろ需要は大きいです。
昔の地方巡業は、帯同する人数が今以上に限られますから、ギャラの問題もありますし、幹部俳優以外はそのお付きのお弟子さん中心に連れていき、ふだんはもっと下の役をやっているそのお弟子さんたちに重要な役を振ることになります。
本当に、セリフもわからない大役を前日に振られて青くなったお弟子さんとかもいたのです。
この百三郎さんもそういう状況で、千代を振られて演じたのでしょう。
とはいえそこそこ形になる程度にはできたのでしょうから、下回りの役者さんたちの中では筋のいいかただったのだと思います。
というような事を、六代目は言っているのだと思います。
大きく出世するほどの実力はないが、そこそこ器用で勉強もしていた。仕事を選ばなければ役者で食っていくことはできたろうに、というかんじでしょうか。
会社の序列でイメージすると、ふだんは平社員だけど気が利くので出張には連れていく、取引先には「係長補佐」とか言っておくが、商談や接待の場でそれっぽい応対くらいはできる男だ。でも本当に出世させるほど仕事はできない。
みたいなかんじでしょうか。
一応、「田舎芝居」について書くと
当時はテレビがないので、各地方に固定の劇場があり、もちろんそこに中央の役者さんも今と同じようなかんじで年に一度とか回ってくるのですが、各劇場所属の地方劇団があり、いわゆる「地元のスター俳優」というのが普通にいました。テレビが普及して一気に全部つぶれました。
地方の有名な役者さんなら、中央の演劇人も名前くらいは知っていたと思います。
とはいえもちろんレベルの差は歴然としており、彼らが中央の役者さんと一緒にお芝居をしたり、プライベートな付き合いで同格の扱いを受けるということは絶対にありませんでした。
だいたい、全国で博多とか群馬とか宮城とか新潟とか名古屋とか、そういう大きめの都市にこれらの役者さんたちはいました。
感覚的には
有名タレント vs 地方局の看板アナ みたいな。
さらにランクの落ちる「田舎でドサ周り」や、下回りの役者さんが田舎芝居に出てお小遣い稼ぎ、なんかですと本当に、かなりの差があります。
有名タレント vs 地方のライブハウス、ひどくなるとカラオケバー みたいな。
もちろん都市部にも小劇場や零細劇場はありました。
テレビのない時代、下を見たらキリがないというくらいたくさんの劇場が様々な規模とレベルで存在したようです。
六代目は、こういう場所でも、仕事を選ばなければ百三郎さんならそこそこの役者人生は送れたろうに、と言ったのだと思います。
お礼
丁寧に書き込んで下さって有り難うございます。 「テレビがなくて、むしろ需要は大きかった」ことと「昔の地方巡業は今より大変だった」ことに、やっと思いが到りました。お蔭様で「田舎芝居」のイメージも掴み易くなりました。 文法を、わざと外すことによって効果を出すことがあるので(例、「志ん朝は志ん生を継いだ男だよ、惜しいことをした。」)、「田舎へ行きやァ、寺小屋の千代くらいはやった人だ。」の解釈に迷いました。地方巡業の実態が判りましたので、市川八百三郎は実際に千代を演じたものと思えるようになりました。 成るほど「田舎で寺小屋の千代が務まる役者」というのは辛抱して役者人生を送るか、辛抱しきれず諦めるのか難しい位置付けではありそうです。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。