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凶悪犯罪に関して
一部の人の間で、付属池田小児童殺傷事件の宅間守(37)の父の言動が不遜であると言われていますが、そういう人の神経を疑ってしまうのですが・・・ そもそも「不遜」というのは、頭を低くして謝るという前提で言っているんでしょうが、それは連座じゃないか? 未成年じゃなくて『37歳』なんだから、親が謝ることでもないでしょ。 さかきばら(漢字変換不可)の兄弟もそうだけど、親族の『悪性質』を報道し、検討すること自体、無意味で不当だと思うのですが・・・ また、監禁王子事件で祖父が弁護してるとか被害者の責任もあると言ったとかは、どう考えても報道すべきことではないでしょ。親でなければ責任なんて皆無なんだから、その親族が身内を弁護することを批判するのは異常。 あと、女子高生コンクリ事件で、出所後の元少年と結婚した方が非難されていることがありますが、非難される筋合いは無いと思うが。 事件が史上最も残虐だったからといって、彼女になんら非難の理由を見出せない。「なんであんな残酷な人間と結婚できるんだ?」他人が非難することではありません。ましてネットに住所を晒すなどただの犯罪だと思う。 このことについてどう思うか、答えよ。
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NO1です。 >道徳的に責められるというのは、どういうことでしょうか? >道徳的に責められるのは、道徳的に悪い人だけです。 >あなたのご意見では、酒鬼薔薇の弟に、『おまえは犯罪者の兄弟だから道徳的に責められるべきだ』ということが道徳的だということになりますよ。 もちろん酒鬼薔薇の弟に向かって、そのような言葉で責める人がいたら、それは行き過ぎだと思います。 しかし、たとえば犯罪者の育ての親が、育て方も含めて自分に何の道義的責任もないのだ、と開き直る人がいたら、「あの人の神経はどうなってるのか?」という声があがるのは、ごくごく自然だと思います。ただしそれは法的にいかなる責任も伴わないし、連座でもないです。それによっていかなる社会的権利が奪われることはあってもいけないのは言うまでもないです。今のマスコミや社会が、それについてリンチをしているというのなら、たしかにそういう傾向はあると思います。それを正当化する意図は僕にはないです。しかし、自分の身内から宅間や酒鬼薔薇が出た場合、僕なら、一生それについて内省するだろうと思います。そういう傾向がまったくない人がいたら、僕はその人の人間性について、疑問に思わざるを得ないです。
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確かにメディアの在り方はおかしいと感じる。 以前ドラマで「真実を伝えるのがMediaの在り方」ってかっこよく言ってたけど、視聴率のためなのか、「真実」なら何でも放送すればいいと思っているのかな。 凶悪犯罪に限らずMediaに追い詰められて自殺した人だっている。 Mediaによって加害者の家族も一被害者になる。 でも犯罪者が未成年だろうと何だろうと、親が「親の責任」を感じるべき。実際被害者も悪いこともあるから加害者ばかりを責められない犯罪もアル。出所後の元少年と結婚した方は確かに非難される筋合いはないけど、マスコミが喜びそうなネタではある=他人が色々言いたくなる、のも事実。 ここで書くよりマスコミ訴えた方が効果的かも。
- execrable
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NO6です。 身内というのは範囲の決まったものではないですが、たとえば血のつながった親子であっても、実際は小さい頃から離れて暮らしているという場合もあるでしょう。その場合、良心の呵責は、起きなくて当然でしょう。しかし、いとこ、おじ、おい、あるいは血がつながっていなくても、親友だったり、一緒に過ごすことの多い人が犯罪者になったとします。その場合、「彼がこうなったことの原因は、自分にも少しはないだろうか」「彼にしてあげられることはなかったか」「自分があの時こう振舞っていたらどうだろう」なんていうことは、普通の人だったら色々と考えるだろうと思います。 これは、いかなる法的、社会的責任と関係することではなく、人間って、自分と親しい環境にいた誰かについて、そんなふうに考えるものだと思うのです。 たとえば、ラフカディオ・ハーンは小さい頃、近所のある女の子を恨んでいたことがあって、その子がある時病気で死んだ。ハーンは、自分の恨みが彼女を死なせたんじゃないか、と良心の呵責に襲われたと言います。もちろんハーンに何の責任も原因もないことですが、人間って、こういう心の動きは、自然だと思います。 その一方で、そういう内省がない人がいたとしたら、たとえ責めなくても、この人は感受性が鈍感な人じゃないか、とか、あまり魅力的な人じゃないか、ぐらいは思います。 それは、いかなる法的、社会的な責任とも関係ありません。でも、人によって、「だから俺はあの人が嫌いだ」と思う人もいるでしょう。「嫌いというのでもないけど、あまり魅力的とは思わない」とか、「いや、いいんじゃないか」とか、いろんな意見があるのが、当たり前だと思います。
>兄弟もそうだけど、親族の『悪性質』を報道し、検討すること自体、無意味で不当だと思うのですが・ これに関しては同感。メディアの在り方がおかしい。 ただ、親族がメディアに対して、そのようなことを語ることも 遺族感情を逆撫でるという意味では無神経のそしりを免れません。 それは、ここで第3者が語っても同じことです。 加害者親族ならさらに気をつけるべきでしょう。 もちろん、こちらにだっていい分はあるんだということまでを 否定するものではありません。 >出所後の元少年と結婚した方が非難されていることがありますが ましてネットに住所を晒すなどただの犯罪だと思う。 これはあきらかに行きすぎですね。犯罪→同感。 出所したら罪を償ったのだ。という意識も大切です。 一生許せないのは遺族や被害者の関係者だけで十分でしょう。
- hurasuke
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当たり前ですが、親の罪は子に及ばず、その逆もありません。ですが、同時に日本人のよくないモラルのひとつに「親の顔が見てみたいわ!」的な思考があるのもまた事実です。 各人のモラル任せではないでしょうか? それよりも重大な質問がひとつあります。何故全体的に丁寧口調で書かれてて最後だけ命令なんですか(笑)。せっかくですが、それではモラルを語る資格なくなっちゃいますよ?
お礼
すみませぬ、不適切でした。 モラル=道徳なんですが、それが『よくない』ので 悪習といったところですかね。
- mi-dog
- ベストアンサー率6% (92/1479)
連座という言葉を使われました。 ので、そのことにちょっと言わせてもらいます。 野球、政治など、才能ある子は関係なくても、親族を巻き込みます。 親族が会社を辞めされたり、薬物に混入したり、いろいろあります。 悪意かもとしか思えません。 そういう、連座という風土はあるでしょう。 だから、祖父もかばったと思います。 また、成人後でも、連座があり、その子に関係なくても、親を攻撃します。 実際、知人の親子が勤めていた会社が、損害を出していなく、利益を出していたにもかかわらず、薬物混入などで追いやり、やめさせました、 だから、身内はかばうかもとは思います。 なかでは、批判してると思いたいです。 浄化作用というか。。。。 また、犯罪??とは再販が多いとは聞きます。 たぶん、周りがそういう目でみるから、またやるとかと思いたいです。 また、一度経験したから、忘れられないとかも。。。。 監視は警察の仕事と思いたいです。 ネットで、すべてさらすのはプライバシーの問題です。 また、何もしていない人まで安易にされます。 訴えたくなります。 なら、人とかかわりあわない事をするしかないように思えます。 行き過ぎも嫌いですし、大衆の群集効果も嫌いです。 正直、数人殴り殺したい人はいます。 でも、やらないのは人としての理性です。 人は怖いと思いました。
>このことについてどう思うか、答えよ。 犯罪はキライです 以上
補足
マトモに答える気がないなら書かないでくれ。 犯罪がスキなんてのは塀の中にいる輩や人格異常者くらいなもんだ
- execrable
- ベストアンサー率27% (58/208)
たしかに行き過ぎはよくないし、親族の人権は、公的に、守られなければいけないと思います。それから、言うまでもなく、親族は、罪人ではなく、法的には無実であります。 しかし、法と道徳は別のものです。法的に悪くないから、道徳的に責められるべきではない、ということでもないと思います。 個別のケースいろいろあると思いますが、そこには意見の幅があるのが、健康なことだと思います。概して、犯罪者の身内は、道徳的に非難の対象になりやすいでしょう。その一方で、質問者様のように、擁護に回る人がいる。そういうバランスが存在することが、社会が健康な証拠だと思います。どちらが欠けてもいけない。 たとえば、前科者やその親族のアイデンティティをネットに晒すのは、これは人権を侵害していると思います。また、神戸の酒鬼薔薇の場合、本来まったく関係ない別の差別問題に絡めて彼らの家族を中傷することが一部行われたと聞きますが、これも悪質だと思います。 しかし、一般的に、犯罪者の親族が、「俺は関係ないから批判する奴はただじゃおかないゾ」なんて開き直って、それで誰も批判する人のない社会がもしあったら、それはそれで、大丈夫かなあ、と思います。 ある判断の幅が社会にあって、その中で賛否両論がある、というのが自然だと思います。そしてどちらか極端にならないようにするブレーキが、社会のどこかになければいけません。今の社会に、その歯止めがないのではないか、という主張なら、一部賛成できます。
お礼
>「俺は関係ないから批判する奴はただじゃおかないゾ」 言い方にもよると思うが、『全く悪くないのに批判される』ことに対して言ったのだから、開き直りではないのでは?正当な言い分だと思うのですが。 開き直りとは、悪いことをして批判されたときの対応です。 >ある判断の幅が社会にあって、その中で賛否両論がある、というのが自然だと思います。 う~ん、これは不当かどうかの問題であって、判断の幅を認める=不当な悪習を是認する、ということではないでしょうか? 例えば犯罪を犯してもいいという考えを支持する人はほとんどいませんよね?そこに『判断の幅』などというものは不要ですし、むしろ害悪ではないでしょうか? >道徳的に責められるべきではない 道徳的に責められるというのは、どういうことでしょうか? 道徳的に責められるのは、道徳的に悪い人だけです。 あなたのご意見では、酒鬼薔薇の弟に、『おまえは犯罪者の兄弟だから道徳的に責められるべきだ』ということが道徳的だということになりますよ。
補足
再度ありがとうございます!! これだけはどうしても質問したいことがあります。 この手の話題では、必ずと言っていいほど >たとえば犯罪者の育ての親が、育て方も含めて自分に何の道義的責任もないのだ、と開き直る人がいたら、「あの人の神経はどうなってるのか?」という声があがるのは、ごくごく自然だと思います といういう意見がでます。 それは納得します。当然です。 そして次の段階に >自分の身内から宅間や酒鬼薔薇が出た場合、僕なら、一生それについて内省するだろうと思います。そういう傾向がまったくない人がいたら、僕はその人の人間性について、疑問に思わざるを得ないです。 という意見もまた必ず提出されます。 しかし、この意見の流れでの誤りは、 『産んで養育してきた親』から『身内・親族』に摩り替わっていることです。 この摩り替えの罪は、『いつのまにか』責任者・養育者たる親を『身内・親族』と表現することによって、明白に何ら反省や謝罪の必要が微塵も無いそれ以外の親族に話題を移していることです。 例えば、あなたの『身内』といいますが、いとこ・おじ・おいの犯罪、さらには親の犯罪で『謝罪』や『後ろめたさ』の気持ちが沸きますか? 少なくとも私は思いません。 むしろそう感じるほうが不健全だと思います。 『内省』ならありですが。