どちらかというと、職場でのいじめのほうが本筋です。
どうしてか、よーっく考えるとわかります。
いじめられるのは、立場上、弱いといじめるほうが思うからです。
まずは。
組織として余剰人員は要らないというのが徹底している。
能力のないものは去れとというのも徹底してる。
常に、こういう力学で動いている社会は、
常に、自分が「いじめられる」方にまわらないためにはいじめの対象を探します。
つまり「餌」。
それによって、いじめるほうは「排除される側でない」立場を手に入れる。
さらに、排除されて穴が開けば、組織的に、数が減って、
さらに人が減るのは困るので、次の「いじめの対象」になっても
はじかれにくい。
一番能力のある人がいじめることはまずない。
ほとんど、なぜにおまえが・・・というような、どうでもいいやつが
いじめるほうにまわるというのが鉄則です。
学校は、修業年限がありますので、固定しない。
さらに、その権力のある者の、権力の意味・価値が本来は
何もないので、本当は、いじめてるほうもいつ、いじめられるほうになるかという「恐怖・不安」で集合離散を繰り返しているに過ぎない。
勉強ができようが、スポーツができようが、それで人を支配できるわけではない。
職場は「生活の手段」を握っていますので、
そこに存在し続けるということ自体に意味がある。
そこにいられなくなるという一種「排除される順番」がいじめの原動力です。
すべてを抱えていくという方針でない限り、
いろんな意味での「いじめ」は職場ではなくなりません。
生活できないからといって、職場の同僚の足を引っ張り続ける人を
その職場に温存はできないでしょう。
その人の給与分も結局、職場としては捻出しなければならないわけだし。
すると、「お前はいらない、でていけ」これがいじめです。
かつては、妊娠する女もそうでしたし、今もそうでしょう。
その他もろもろのいじめはある。